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第13回代官山フォーラム - 北沢川文化遺産保存の会

2017/02/23 (Thu) 09:54:02

北沢川文化遺産保存の会と友好関係にある代官山ステキ総研
 「代官山の地域価値を共に学ぶ」
  第13回代官山フォーラムを開催する。
  当会でおなじみの、きむらたかしさんが特別講演を行う。
代官山地域を中心とした「三田用水」についての講演である。なお、会報3月号は既に発送すみだ。よってこの掲示板とフェイスブックで告知するものである。これの申し込みについては各自で行ってください。

Re: 第13回代官山フォーラム - きむらたかし@三田用水

2017/03/09 (Thu) 18:37:22

〔ただ今…〕

プレゼンとレジメを仕上げ中ですが、45分という持ち時間の都合もあり、三田用水については
・近代初期の水車
・現ヒルサイドテラス内の三田用水路の変遷
だけに収斂しそうです。

 もっとも、後者は、実際調べてみると結構「面白い」のです(「乞うご期待」かな?)。

Re: 第13回代官山フォーラム - きむらたかし@三田用水 URL

2017/03/21 (Tue) 13:14:41

【当日のお話のうち…】

代官山の、上品な街路「旧山手通り」ができた過程について

【余録】「旧山手通り」は、なぜ「『旧』山手通り」なのか?

と題して、こちら
http://mitaditch.blogspot.jp/2017/03/blog-post_18.html
にまとめておきました。

下北沢文士町文化地図七版に向けて - 北沢川文化遺産保存の会

2016/12/05 (Mon) 15:53:01

○地図は来年三月までに印刷をします。新版地図への挿入、削除などの情報はここに書き込むことにします。

・先日の忘年会では要望がありました。
  世田谷代田円乗院遺蹟を入れてほしいと。
  方法 鉄塔の右上辺りに ☆円乗院遺蹟と入れる
   もう一つは東京都遺蹟地図にある通りその箇所を青色
   などで示すか?
・野屋敷ヒマラヤ杉は 「跡」と一字入れて残すか?

Re: 下北沢文士町文化地図七版に向けて - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/05 (Mon) 21:36:52

[遺跡]

面白いと思うのですが…(68が円乗院遺跡)
問題は、この狭い地域でさえ「入れだすときりがない」面があるのが辛いところです。
http://tokyo-iseki.jp/

また、空襲の被災地区と重なるので、青などの点線で囲うのがよいかと。

Re: 下北沢文士町文化地図七版に向けて - 北沢川文化遺産保存の会

2017/02/04 (Sat) 17:44:27

2月に入りましたので詰めをしなくてはなりませんね。
一応、表面の原稿は送付しています。

帝国音楽学校の建物図については、掲載する場合は、掲載申請をしなくてはなりません。東京都公文書館に久保 絵里麻さんが出してくれて、受理通知書を受け取っています。

〇小学校名の記述ですが。2017年新学期を考え。
 つぎのようにしますか。

 ・代沢小(旧花見堂小学校)
 ・下北沢小(旧守山小学校)
 ・旧東大原小 

〇追加 東京セロファン工場跡

 「帝音」の創立は1927-44
〇写真については以前たかしさんが作ったものにしますか。
 オースチンさん載せたいとことですが…

Re: 下北沢文士町文化地図七版に向けて - きむらたかし@三田用水 URL

2017/02/11 (Sat) 00:23:16

[Permission for publishing of Dr.Austin's photos]

こんなメールを出したらどうかと思うのですが、英語に全く自信なし。
原始的レベルのスペルチェックを含めて、山本裕氏とか、英語遣いの堪能な方の校正が不可欠です。

Dr. Annika A. Culver

 We,”Kitazawagawa bunka isan hozon no kai” ( “The association for revelation of the cultural heritage of the Kitazawa river area”- sorry, in direct translation like the Google) published maps around Simo-kitazawa of the Setagaya area 6 times (approx. 10 thousand copies total. ).

These maps were “free to take maps”, because of the costs of publishing were provided by local government –City of Setagaya, Tokyo, Japan- and donations from our members and local peoples.

Recently our member found Dr. Austen’s photo pages in FSU, then we found many old time photos of Simokitazawa in that page (please see http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html).

We think that reason is,
1 st
Distaince between Dr.’s house and Shikomitazawa is under half mile. So, he could visit Shimokitazawa by his pretty red Jeep easily.
2 nd
Shikomitazawa was a very vital town at that time. also now, too.).

So, we wish to publish 3 or 4 photos of Dr.Austin by our next map.

Then, our questions is
1 How to get permission of FSU
2 Should we pay some fees to FSU?
*If we need to pay fees for approx. 1 by 2 inches, ado also approx. 4 thousand copies per photo.
3 Is some other conditions for publication?

Sinsioury yours

Takashi Kimura @ Simokitazwa, Setagaya, Tokyo, JAPAN
(member of “the Kitazawa-gawa bunkaisan hozon no kai”);
mailto:baumdorf@xxxxx.xxx

Re: 下北沢文士町文化地図七版に向けて - 北沢川文化遺産保存の会

2017/02/11 (Sat) 15:54:23

[オーステンさん写真]

 私も英文は苦手です。山本さんに言ってさっそくに出してもらうといいですね。

 世田谷区絆の予算で作りますのでこの二月中にメドをつけて三月には印刷しないと報告ができません。駄目だったら既に作ってあるもので埋めることはできますが、歴史的な価値ということでいえばオーステンさん写真がベストですね。

 絆予算で紀要も計上してあります。今大急ぎでまとめてはいます。タイトルは「代田のダイダラボッチ」にしました。たかしさんがハーフマイルにアップしている地図を載せると価値は高まるように思います。協力よろしくお願いします。

Re: 下北沢文士町文化地図七版に向けて - きむらたかし@三田用水

2017/02/11 (Sat) 17:47:06

[しかし…]

だれも、これまで Austin 写真中から3~4枚選択してませんよね。

これまでと違ってカラーになるのはともかく(ページ全体がカラーなので、多分製版コストはほとんど増えない)、
どうやってみても、1枚当たり超小サイズになり、それでも「パッっと見て」わかる写真を選ぶのは難しく作業放棄に近い中断中です。
まずは、どなたかに「これなら」という写真を5枚程度抽出していただく必要があります(そうでないと、そもそもFSUの許諾の取りようもありません)。


とはいえ、先行案の方も、環七工事写真については著作権クリアどころか、権利者もまだ未確定です。先行案についても、作業を急ぐ必要があるのは、全く同様です。

Re: 下北沢文士町文化地図七版に向けて - 北沢川文化遺産保存の会

2017/02/12 (Sun) 17:16:11

写真を選ぶのはそう困難なことでもないように、例えば、03、06、08、11、12、15というように…

 それで思ったのですが、仮に許諾を得られたらこれは素晴らしいですね。これほどリアルに街の空気感をあらわしている写真は他にありません。

 私たちは、レイアウトを固定的に考えてしまいます。裏は、古地図としてきました。が、載せていいとなれば、裏面をこれに充てることはできますね。それほどに貴重だと思います。一つの考え方です。

Re: 下北沢文士町文化地図七版に向けて - きむらたかし@三田用水

2017/02/20 (Mon) 17:36:19


山本氏には、先々週末、直接お願いしたのですが、未だ反応がありません。

どうしましょう?

Re: 下北沢文士町文化地図七版に向けて - 北沢川文化遺産保存の会

2017/02/20 (Mon) 18:13:15

まづ、第一点、山本さんには土曜日の街歩きで会いました。
 掲示板が分からないというので昨日、原文をコピーして送りました。すると「この手の文章の仕上げについてはは自信がないので、ちょっと確認してみます。ほんの少しお待ちください。」とのこと。

第二点、地図の改版については印刷屋さんが掲示板の表示に基づき改編をすすめているとのこと。が、どこに何がというのが探しにくいとのこと

 それで関係者に改定用の情報を送るために私がメーリングリストを作って送ろうかと、すぐにでもみなさんにとりえあえず送ります。

第三点目 紀要原稿は今月末締め切りとし、大慌てでいま取り組んでいます。

Re: 下北沢文士町文化地図七版に向けて - きむらたかし@三田用水 URL

2017/03/08 (Wed) 18:09:29

〔Dr.Austinに…〕

かまけていて、忘れていました。

富士講碑のスレッド
http://kimuraken.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=5347876
でご報告したように、

円海稲荷は、従前の場所、つまり6版標記の場所から、かなり北(+西?)に移動しています。

Re: 下北沢文士町文化地図七版に向けて - 北沢川文化遺産保存の会

2017/03/18 (Sat) 11:52:03

地図改訂に向けて大詰めを迎えました

 今回は世田谷区地域の絆の助成を得ての地図発行と紀要発行をします。年度内に印刷を完了しなくてはなりません。地図については最終情報を持ち寄り、これを総合して来週連休明けに印刷に取り掛かります。

 19日 午後2時から世田谷邪宗門で持ち寄った情報を整理します。時間のある方はおいでください。

 なお、新地図は予定としては一日、二日の土日、坂口安吾文学碑前で配布の予定。「代田のダイダラボッチ」紀要もこの日には印刷が完了しているようにしたい。

写真展「明治・大正時代の渋谷」 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/03/18 (Sat) 10:51:44

【昨晩…】

渋谷・白根の田原学芸員からいただきました。
真ん中右の「大正11年頃 渋谷川と宮益橋」。
これはもう「涙モノ」。
この1枚があるだけでも、見に行く価値がありそうです。

北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水

2017/01/26 (Thu) 14:13:49

名称不明のところが結構あります。
随時追記予定

Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水

2017/01/26 (Thu) 22:29:18

とくに、「?」つきのものについては、是非、銭湯の名前を、このスレッドにコメントしていただきたく、お願いいたします。

加えて、どこのでも構いませんので、壁絵
(当然、時期や男女の浴場によって違ってあたりまえですので
・浴場名
は当然ですが
・時期
・男女の別
はお忘れなく。)
とか、番台の看板じいさん、ばあさん、あるいは看板娘(銭湯にに行ったら、同級生の女の子が番台にいて恥ずかしかった、なんて話も目にしますので)とか、脱衣場の面白物などの情報も是非(これも、くれぐれも「時期」をお忘れなく)。

Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/26 (Thu) 22:40:04

山の湯について、北沢小の「記念写真集を見たら昭和13年の運動会の写真にお風呂屋さんと煙突らしいひょろっと高いものが写っていました。」と、これは及川園子さん情報。

Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水

2017/01/27 (Fri) 01:36:56

〔唐突に思い出した話ですが…〕

 戦前、といっても昭和10年以降だったと思いますが、海綿の需要が大きくなって、南洋から輸入した海綿の加工のために水槽が必要になったとき、日本橋の丸善は、たしか麻布か渋谷あたりだったかの銭湯を1軒買収して加工工場にしたとのこと(出典は、思い出してから、いずれ)。
 銭湯を丸々買収するのは大店〔おおだな〕(当時)の丸善ならではでしょうが、一時借り上げるのならそれほどの大企業でなくてもできそうです(貸主のオーナーにしてみれば、その間の採算が合えばよい)。
 その場合は、地図制作者からみれば「ただの工場」ですので、銭湯の記号が地図に載るわけはありません。

Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水

2017/01/27 (Fri) 17:29:19

[代澤湯]→[第2淡島湯]でした。

Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/27 (Fri) 18:13:50

関連情報

宮前湯 代田1ー37ー3
宝湯  大原1ー1-4 

Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/01/28 (Sat) 02:51:18

〔改訂5版〕
ベースは、推定昭和11年ころ発行の、地形社版「世田谷區詳細圖」

http://www.setagaya-old.com/other-bath1.html

https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=1SyZc0AxeepyaPWSp3HDN6XSoScA&ll=35.65964778866135%2C139.6693291242542&z=16
各参照

Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水

2017/01/30 (Mon) 21:17:35

〔「ヤマノユ」の表記〕

2014/11の解体直前に撮った写真を確認しました。

 玄関正面上の表記は「山」「変体仮名の『の』に近い『乃』」「湯」
 しかし、煙突の方の表記は「山の湯」でした。

 その時々の経営者の趣味の違いでしょうか。

〔2014/11/02撮影:CANON FD17/4〕

ようやく納得 - きむらたかし@三田用水

2017/03/12 (Sun) 21:58:23

〔今は亡き…〕
人文社が復刻・出版していた、地形社の昭和14年版の世田谷区詳細図。

 かつて、まだ地番入りの古い地図を入手するのが難しいときに、やむなく入手して使っていたのですが、とにかく判読しにくいのが悩みでした。

 今回昭和11年版の地形社発行のオリジナルを入手してわかったのですが、地形社図では、地番が薄い赤色で印刷されていて、それを含めて、強引にモノクロ2色に変換したのが原因だったようです。

銭湯マップ:くずすて湯 - きむらたかし@三田用水

2017/03/15 (Wed) 21:19:04

〔前掲の…〕
地図の「煙突マーク」は、ちょうど今の本多劇場のエントランスのあたりにあります。

ところが、
住宅協会「世田谷住宅地図 1962年版」中「北沢4丁目南部」によれば、「くずすて湯」は、茶沢通りの西、井の頭線土手の南に接する位置にあります。

Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/03/15 (Wed) 22:04:59

銭湯はすっかりと消えてしまいましたが。こうして図示されると銭湯も当地に密集していたことがわかりますね。下北沢静仙閣アパートの住人も銭湯に行っています。アパートが多いことと寮がたくさんあったことと関連してきます。銭湯も集まっていたというのは文化史の一端に位置づけられますね。

東北沢駅東の三田用水の立坑がまだ残っていた。 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/03/11 (Sat) 14:29:50





















〔駅の東…〕
旧代々木上原3号踏切西脇の、三田用水のサイフォンの立坑がなんとまだ残っていました(写真左下)。

 この場所では、駅前広場の造成工事がまもなく始まるはずで、その時には「消えて」しまうことが必定。

 残り少ない用水の遺構の一つを見ておくラストチャンスです。

詳しくは
http://mitaditch.blogspot.jp/2017/03/blog-post.html

従前の姿は
http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/Mita03.htm
の末尾近くの「[追記]2003/04/04」以下

をご参照ください。

三田用水の絶滅危惧遺構 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/03/12 (Sun) 21:40:29

〔昨年6月の…〕
三田用水ツアーの旧今里村地区にも、今後の環状4号線(たしか、昭和8年に計画決定)の工事による絶滅危惧遺構があります。

今、「品川用水」の渡部一二先生と
ツアーにも参加されていた「あるく渋谷川」
http://www002.upp.so-net.ne.jp/mitayousui2016/
の梶山公子氏
https://www.npwo.or.jp/arc/nhkvnet/report/article22.html
が、港区の教育委員会に働きかけを行っている由。

今の港区郷土館は、同区の三田図書館の建物内にあるので、遺構を郷土館などの恒久施設に移設するのは難しいかと思っていたのですが、現在、新郷土館プロジェクトが進んでいる
https://www.lib.city.minato.tokyo.jp/muse/j/letter/shiryokandayori-078.pdf
ことがわかり、あの築堤や今里橋の欄干+水道管の、移築→屋外展示の「目」が出てきました。

森敦寓居?解体 - きむらたかし@三田用水

2017/03/08 (Wed) 12:44:34

〔一昨日…〕

気付いたのですが、北沢1丁目の、旧・森敦の寓居のあった「長屋配置」の建物の並ぶブロックの最北端の建物が解体されていました。

その西の、道路に面した建物の解体工事に気を取られて気が付きませんでした。

しかし、あの場所、道路付きの関係で、新しい建物を再建築できるのでしょうか?

[アコヤギ]さんからの伝言です… - 木村圭子 URL

2016/10/03 (Mon) 16:51:15




















以下「アコヤギ」ことアコーディオンのヤギさんからの、メール抜粋。
======================================================
●ご案内
日々の暮らしに追われ、ご無沙汰の不義理をお許しください。
秋の下北沢の楽園でのショータイムは歌姫勝負!
昨日のシャンソンマダムとの東京仙川公演で勢いにのり、
下北沢のスーパーアイドル歌姫と初ステージ。
何卒皆様、応援よろしくお願いいたします。
下北沢にて。ヤギ
青柳正太郎。

■■■緊急告知
土田聡子 上原英里Two Man LIVE
来週火曜
下北沢の楽園へ是非!
■■アコーディオンのやぎPRESENTS 
土田聡子 上原英里Two Man LIVE
伴奏:密室管弦楽団from 札幌
■日時
2016.10.4(TUE)
OPEN:18:30 START:19:30 
■料金
¥2,700+ORDER
■場所
LIVE BAR BIG MOUTH
東京都世田谷区代沢5-6-14 前田ビル2F
http://www.livebarbigmouth.com/
PHONE 090-9374-1123
小田急線・京王 井の頭線 
下北沢駅下車 南口徒歩約9分
■詳細
二人の歌姫。
スーパーアイドルと
シャンソンマダムのステージを
人力を糧に未開発の山奥でしか働けなかった男と
秘境を求め憧れた乙女による、
音でしか人里と関われなかった管弦楽団が伴奏します。
■■メンバープロフィール
■土田 聡子
Tsuchida Satoko 
仙台生まれ
優しい歌声の中に時折見せる力強さと、飾らない笑顔でのステージは人気も高く、
都内外のライブバー、ライブハウスを中心に年間100本以上のライブを行っている。
http://satoco.jimdo.com/

■上原英里
東京生まれ。
パリで聴きかじったフランス語と、日本語を織り交ぜながら歌うスタイルは独特。
東京近郊のライブバー、ライブカフェ、小ホール等の他に居酒屋、お寺、美術館、芝居小屋などで活動中。
■伴奏:密室管弦楽団from 札幌
●弦担当
境谷睦美(Violin)
山を愛する演奏家。
2才よりViolinを始める。
小学4年時にソ連のノボシビルスク市で記念演奏。
大学在学中は山岳部に所属。中国ヒマラヤ、ムスターグ・アタ(7546m)を目指し6400mまで到達。

●管担当
ヤギ(Accordion)
青柳正太郎
jazzピアニストを目指していた20代後半に、踊りながら音を出すアコーディオンの師匠に出合い転向。
以降、20世紀初頭のフランス音楽(ミュゼット)を街角に届けています。
伴奏:密室管弦楽団from 札幌 境谷睦美(Violin) ヤギ(Accordion)
■■追伸
ご予約不要ですが、出欠コメント頂けると、何よりの励みとなります。
何卒、よろしくお願いいたします。
-------
アコーディオンのヤギ
青柳正太郎
080-1243-3210
1234yagi@gmail.com

Re: [アコヤギ]さんからの伝言です… - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/27 (Tue) 19:06:49

[今日…]

我が家に、アコやぎさんから「お手紙」が届きました。

幸い、我が家には「読まずに食べ」てしまうシロやぎさんがいませんでしたので、同封の、明年1月のスケジュールを無事ご紹介できます。

[アコヤギ]さんからLiveの連絡 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/03/06 (Mon) 17:41:23

#Quote

◼御案内
アコーディオンのやぎLive in下北沢BigMouth
3月の下北沢楽園でのライブは2番勝負!
平日のトップバッターのソロと
年度末にシャンソンショーをワンマンで開催いたします。■時間は18:30開場19:00開演http://www.livebarbigmouth.com/schedule/2017/2017.03.html 皆さま応援よろしくお願いします。
--------
下北沢にて アコーディオンのヤギ
080-1243-3210

#UnQuote

ご本人が、直接ここに書きこみゃよいのに…という気もしますけど。

紀要五号「代田のダイダラボッチ」 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/03/02 (Thu) 17:44:19

紀要原稿は、ようやく脱稿し、印刷にまわしました。図版については、きむらたかしさん、デザインについては道好剛さん、レイアウトについては米沢邦頼さんがやってくれます。

 事務局の邪宗門はマスターが入院して休んでいますが、12日から店を再開できるだろうとのことです。

第125回街歩き - 北沢川文化遺産保存の会

2017/02/09 (Thu) 09:03:06

★北沢川文化遺産保存の会(2月18日)
【第125回都市物語を旅する】
烏山を歩く 仙川地図研究所 和田文雄さん 
・日時:2月18日(土)午後1時~4時30分ぐらい
・集合場所:午後1時 烏山区民センター前広場(千歳烏山駅北側)
・定員:20人(先着順)
・会費:550円(資料代&保険代)
・申込方法:FAXまたはE-mail
・コース:旧甲州街道→烏山神社→烏山北住宅(烏山川暗渠)→烏山寺町
     (高源院など)→区民集会所→西沢つつじ園→北烏山屋敷林→ゴ
     ール

[お問合せ・申込み先]
北沢川文化遺産保存の会
TEL&FAX:03-3718-6498
E-mail:k-tetudo@m09.itscom.net
URL:http://blog.livedoor.jp/rail777/

文士町文化地図7版用追加考証 - きむらたかし@三田用水

2017/01/22 (Sun) 20:18:41

【田中英光旧居…】
というよりも社員寮なので、どちらかというと寓居というべきでしょうけど。

 今日、代田の図書館で
世田谷文学館・編「世田谷ゆかりの作家たち」同館/1995・刊
をみてきたのですが、田中英光のいた社員寮の所在地は
北沢(1丁目)1147番地
で間違いないようで、標記文化地図の6版でも、「推定」としながらも、あらかたそのあたりにポイントが振られています(地図下段参照)。

 多分「推定」となっているのは、現在1147番地は存在せず、また、1146番地が比較的広い区画なこともあって、社員寮の位置が確定できない、という趣旨かと思われます(地図上段赤枠参照)。
 ところで、1147番地は、少なくとも明治初期の地券交付のために行われた測量時には必ず存在したはずですので、今無いのは、その後、どれかの土地と合筆(複数の地番〔筆〕の土地を1つにする)した結果といえます。
 たとえば2つの筆の土地を一つの筆にする場合は、原則として、地番は、その中の、若い番号になります(例外はありますが、この1146、1147については、1142番地からの地番の並び順(詳細後述)からみて、そのような痕跡はありません)。
 したがって、かつての1147番地は1146番地と合筆されることによって、消滅したと考えるのが素直です。
 明治初期の測量は、道路や水路に囲まれたブロック内の土地を、どこかの隅から順番に行い、かつ、その測量順に地番を振りつけてゆきますので、今は亡き1147番地は、1146番地と1148番地の間にあったはずで、つまりは、今の1146番地の西側を占めていたはずです(地図上段青枠と緑文字参照)。
 現在発行されている地番入りの地図である「ブルーマップ」をみると、凡例に明記はされていないのですが、現1146番の西端の、少なくとも約40パーセント、多分約50パーセントが旧1147番地と考えられます。

 つまり、上記6版にあるマークを少し左に動かして、地図下段の×印、平たくいえば、現茶沢通りからいわば「一皮引っ込んだ位置」に置けば「(推定)」との文字は不要となるはずです。

Re: 文士町文化地図7版用追加考証 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/23 (Mon) 09:31:27

生田葵山旧居

代沢一丁目の生田葵山旧居は入れたいと思います。明治の流行作家が住んでいたことははっきりしています。場所がわかりません。手がかりとなる銭湯の位置は、廣島文武氏からの情報でわかりました。とりあえず推定で1-31-6で入れておこうと思います。田中英光の推定は、位置を少しずらしてこれを取るということでよいと。

 問題は小学校です。代沢小、花見堂小、下北沢小などです.
このところ関係のない投稿が入ってきます。これは削除します。

Re: 文士町文化地図7版用追加考証 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/01/23 (Mon) 22:01:54

[生田葵山旧居]
ちなみに
「男の声」祐文社/M40.06・刊
は、人名録にある、生田葵名義で出版されています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/885648/132
 
〔追記〕
残念ながらマップの範囲外です。

〔追々記〕
「東京都荏原郡」‐>「東京府荏原郡」 ~~;

Re: 文士町文化地図7版用追加考証 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/01/24 (Tue) 10:49:35

〔帝国陸軍空中写真〕

B8-C3-71 1936年06月11日

借家やアパートのある区画のように思えます。
売地ならもちろん借地でも、敷地内に道路がないと「商品」になりにくい。
借家やアパートなら、敷地内に「通路」さえあれば済みますので。

Re: 文士町文化地図7版用追加考証 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/24 (Tue) 12:46:32

生田葵山 として探していました。獣医学校の東とはびっくりです。風呂屋はこちらの方にもあったのかもしれません。が、旧居は圏外ですね、残念 

Re: 文士町文化地図7版用追加考証 - きむらたかし@三田用水

2017/01/24 (Tue) 14:03:38

〔生田葵山は…〕

いくつも名前がある人で
生田葵
だったり
生田葵山人
だったり。

国会図書館では、インデクスは生田葵山に統一しているようですね

Re: 文士町文化地図7版用追加考証 - きむらたかし@三田用水

2017/01/24 (Tue) 14:38:40

〔昭和14年地形社図の…〕
銭湯。

 右端の下端からやや上の丸印のところ、生田邸から這ってでも行けるところにあります。

 なお、この時点で、石川湯や池ノ上三角橋通りの沢の湯などはありますが、山の湯はまだありません。
 したがって、朔太郎は山の湯には入れません。

Re: 文士町文化地図7版用追加考証 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/01/25 (Wed) 00:13:22

〔田中英光の住んでいた…〕
横浜ゴムの社宅があったとされる、北沢1-1047を含む1ブロックを

連合軍撮影の
USA-M499-66 1947/09/08
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1179393&isDetail=true
から切り出しました。

田中がいたのは、1945年9月までのようですが、
帝国陸軍撮影の
95C3-C6-91 1944/12/23
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=742560&isDetail=true
からの3年ほどの間に家の配置は変化がなく、1047番地らしきところ(黄線の上あたり)に社員寮のような建物はみあたりませんので、どうも、例えば普通の民家を借り上げるなどして社宅にしていたのではないかと思われます。

Re: 文士町文化地図7版用追加考証 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/25 (Wed) 09:15:44

山ノ湯については、記憶が定かでなくなったのですが、昭和二年創業と街歩きのときに聞いた覚えがあります。及川園子さんが確かよく知っているはずです…機会があったら確認してみます。

Re: 文士町文化地図7版用追加考証 - きむらたかし@三田用水

2017/01/25 (Wed) 13:24:15

〔山の湯〕

 2年かどうかはともかく、昭和初期の創業と聞いていたので、なんとも不思議なのですが、前出の地形社の昭和14年版地図だけでなく、同社の16年版地図にも記載がありません。

 こちらには、北沢小学校は表示されていますので、14年版のときは調査モレだったとしても、小学校の斜め筋向いにあって煙突のそびえるここを見落とすとも思えないのですが。

Re: 文士町文化地図7版用追加考証 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/25 (Wed) 21:08:37

山ノ湯の創業は何時か?早速に問い合わせてみたところ、
「石川湯さんと山の湯さんはともに昭和2年創業と聞いています。」との返答でした。関係者に問い合わせはできるとのことです。考証を要しますね

富士講 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/04/10 (Sun) 23:10:47

今日、この週末、富士講への興味が高じて、当会のF&Y&T氏が、遠路富士山麓までゆかれたと耳にしました。

当地北澤にとって、まず解明する必要のあるのは、かの「富士登山五十回碑」の由来で、とりわけ刻まれている写真の富士講の講紋。

「江戸八百八町八百八講」という言葉があるそうですが、それは江戸御府内のこと、御府外の荏原・豊島あたりまで含めれば、おそらく千を超えるべらぼうな数があったはずで、なかなか的を絞りこめません。

「困ったときのcinii」「困ったときの国会図書館」の後者で、こんな
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3051021_po_14-12.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
文献がありました。

近世期においても、一方で「お改め」(「ただの遭難」なのですが、いわば「死して屍拾う者無し」)という厳しい風習はあるものの、もう一方で、富士登山の「俗っぽさ」への批判があったことがわかります。

Re: 富士講 - 藤井

2016/04/18 (Mon) 08:49:02

富士吉田のツアー、良かったです。下北沢つながりの発見に盛り上がりました。富士吉田の北口浅間神社から富士山に向かう出口の所にある富士山登頂記念の石碑の一つが下北沢の先導師安野梅五郎さんのもので、その裏に刻まれている世話人の一人が、池ノ上の石碑の先導師鈴木金太郎さんでした。つながりますね。

富士講碑@浅間神社 - きむらたかし@三田用水

2016/04/18 (Mon) 22:17:33

〔遠隔地にある…〕
とはいえ、旧下北澤村にとって貴重な遺構ですね、これは。

 北沢1丁目の富士登山碑のあるあたりから、4、5丁目にかけては、旧家では安野家のテリトリー。
 そういえば、安野家の円海稲荷がリ・ニューアルされていましたね。

PS:この富士講碑の写真、他のいろんな角度のをアップロード希望です。

Re: 富士講碑 - きむらけん

2016/04/18 (Mon) 22:31:45

米澤さんから浅間神社行って「池ノ上の石碑の先導師鈴木金太郎さん」の名を見つけたと聞きました。直感的思ったことは近隣にはもっと富士講碑があったのではないかと。

 他は知る限りでは環七と世田谷通りの角のピーコックの裏手に鎮座ましますものです。北沢や代田にも他にあったのではないかという推理です。

Re: 富士講 - 藤井

2016/04/19 (Tue) 08:11:36

富士吉田の石碑の裏側の写真です
世話人の中で下北沢の筆頭(?)が鈴木金太郎さん。他にも馴染みのある名字が。

富士講碑 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/04/19 (Tue) 08:34:06

〔大正10年の…〕
1万分の1地図を見ると、旧高須光治宅の周辺には、数多くの石碑のマークが読み取れます。
 ただし、これらの中には、現4丁目北東の三叉路のところ(黄矢印)とか、長命地蔵(緑矢印)のところに集約された
http://homepage3.nifty.com/baumdorf/KimuTaka/HalfMile/Hokora.htm
ものも多いかと思われますので、この地図上の石碑の中に富士講碑があったかどうかは、地元の伝承にたよるほかないかと。

Re: 富士講 - きむらたかし@三田用水

2016/04/19 (Tue) 08:58:03

〔「ふるさと世田谷を語る 代田etc」編の…〕
pp.63-64 によると
代田では、三峰講、御嶽講、大師講、代永講は、村ないし集落単位だったようですが、富士講、木曽御嶽講、大山講、伊勢講、日待講は個人参加とのことです。

Re: 富士講 - 藤井

2016/04/19 (Tue) 21:31:34

こちらが環七ピーコック近くのだと思います。いま見ると丸平講でした。池ノ上と同じグループですかね。さらに、扶桑教の先導師さんの様です。裏に何が書かれているのでしょうか。

Re: 富士講 - 藤井

2016/04/19 (Tue) 22:27:29

しかし、富士吉田の北口浅間神社から富士山に向かう出発口の場所、いわば一等地に何故建てることが出来たのでしょうね? この場所の石碑は明治35年に建てられて、池ノ上のは大正9年とのこと(せたがやグラフ36号の記事より)です。少なくともこの19年間は講の結束と資金繰りをやり抜いたのですね。
写真右奥に石碑が建っています。

破壊された森巌寺の富士塚 - きむらたかし@三田用水

2016/04/20 (Wed) 00:47:13

世田谷郷土資料館「『特別展 社寺参詣と代参講』図録」(同館・平成4年・刊)p.39によれば
「文政四年(一八二一)に、三軒茶屋山吉講の新兵衛が願主となってなって淡島森願寺の境内に富士塚を造立している。この富士塚はもともと同寺にあった鍋島山と呼ばれる築山に盛土して築き上げたもので、見苦しくない様、その手入れ方を山吉講中が下北沢村名主・半蔵に約している。」
とあります。

三軒茶屋あたりは太子堂村であるのに対し、環7(略・堀の内道)と世田谷通り(略・旧大山道)の交点南東は上馬引村のようで、個人参加といっても、各講ごとに、石碑を建てたりさらには富士塚を造作したりといった動員力を発揮できるような、それなりのテリトリーがあったようです。
ことに、上馬引澤村でも下北澤村でも石碑を建立した丸平講なる講中には、今後ともアンテナを張っておく必要がありそうです。

Re: 富士講 - 藤井

2016/04/20 (Wed) 08:34:49

せたがやグラフ36号の記事の写真とキャプションです。
この石碑を池ノ上の石碑と言いましたが、〝池ノ上の〟か〝東北沢の〟か〝下北沢の〟か〝世田谷北澤の〟かどれがコミュニケーション上はいいでしょうね?

文献粗読み - きむらたかし@三田用水

2016/04/21 (Thu) 10:46:53

世田谷区民俗調査団「下北沢-世田谷区民俗調査第8次報告-」世田谷区教育委員会/1988・刊
佐藤敏夫「下北沢通史」同/1986・刊

を引っ張り出してみましたが、どちらにも富士講についてのめぼしい記述はありませんでした。

あるいは
世田谷区総務部文化課「ふるさと世田谷を語る-池尻・三宿・太子堂・若林・三軒茶屋-」同/1994・刊
同「ふるさと世田谷を語る-上馬・下馬・野沢・三軒茶屋・駒沢(1-2丁目)-」同/同・刊

あたりには、何か書かれているかもしれません。
が、前者は代田にあるものの、梅が丘にはどちらもないのが辛いところです。

富士講リスト - きむらたかし@三田用水 URL

2016/04/23 (Sat) 22:44:36

〔google booksにある…〕

井野辺茂雄「富士の信仰」(富士の研究第3巻)浅間神社社務所/昭和3年・刊

https://books.google.co.jp/books?id=murHqMaXDJ0C

のpp.175~(書籍のページ番号による)に、著名な富士講のリストがあるのですが…

「五十回碑」の「丸平講」、森厳寺の富士塚を築造した「山吉講」はリストアップされていません。
その他、なじみのある講名としては、目切坂上の目黒元富士(西富士)を築いたといわれる「丸旦講」はありましたが、べ別所坂上の目黒新富士(東富士)の築造に関与したらしい「山正広講」もリスト中にありませんでした。

なお、同じく google books 中
神奈川大学日本常民文化研究所「富士講と富士塚」平凡社/1993・刊
https://books.google.co.jp/books?id=lKYJAQAAMAAJ

によれば
「山吉講は、渋谷道玄坂の吉田平左衛門という食行身禄の直弟子が?袓、同じ講紋の講社は昭和八年で、渋谷,玉川,三軒茶屋,下谷,寺島,砂町と七講あった」
とされています。
どうやら、渋谷の109裏、台湾料理の「麗郷」前の通りの名前「御水横町」の由来となった講のようですね。

富士講文献 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/04/23 (Sat) 23:59:13

〔「困ったときのcinii」で…〕
あたってみたら、こんな

青柳 周一「富士講と交通 : 江戸の富士講を題材に」
交通史研究 (33), 10-27, 1994-05-20
http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0010541419

論文がありました。

興味深いのは

江戸幕府はたびたび富士講について禁令を出したが
「そのほとんどが江戸内部での富士講の活動を禁じるものではあっても、富士参詣そのものについて言及するものがな」く

かえって、「一八〇五(文化二)年に出された触」は「街道筋の旅籠や商人の生計を保障するため、富士・大山参詣者の海上往来を禁じて、街道を通行するよう指示したものだが、この触の物語ることのひとつは、こうした参詣者が街道筋に居住する人々の生計を左右するほどの数となってい」て、

とりわけ「元来、富士参詣者のほかにも馬による交通労働や畑地からの農作物の収益に生計を頼っていた須走村も、一七〇七(宝永四)年の富士山噴火によって畑地・秣場が荒廃するに致り、生計を富士参詣者を対象とする諸業務に、ますます依存する度合いを深めざるを得なくなった」

つまり、幕府も「富士参詣者中に富士講の占めていたであろう割合の高さを考えると、江戸内部では富士講の活動を禁じつつも、一方で街道筋の商人達の生計保障のため、その存在と参詣を認めざるを得ない、というジレンマに落ち入ってい」た

との指摘です。

こういう事態になっていたのは、この文献によれば、江戸時代は「お行儀の悪い」富士講が多々あったせいで、引用の一七九五(寛政七)年正月の町触には、

「    町触
町中にて職人日雇取、軽商人等講仲間を立、修験之袈裟をかけ、錫杖を振、唱事申連、家々之門二立、奉加ヲ乞、又は病人等之祈念を被頼、寄集、焚上と申、藁を焚、大造ニ経を読、俗ニて山伏躰ニ粉敷儀致候由、并大造成梵天を拵、大勢にて町々を持歩行、家々門々之幣を挿し、初穂を乞、中ニは少し遣候得は及口論候旨相聞、
甚不埓之至候間、早々相止可申候、且又神事抔ニ事寄、店々より為致出銭、少々出候得は仇いたし儀、間々有之由相聞候、向後右躰之儀堅致間敷候、若於相背は、吟味之上急度可申付候、此旨町中不残可触知者也、

右之通、安永四未年五月中相触候處、近年富士講と号、奉納物建立を申立、俗二て行衣を着、鈴最多角之珠数を持、家々之門二立、祭文を唱、或は護符守等出し、其外前書同様之儀致候もの有之趣相聞、不埓之至二候、以来右躰之儀堅致間敷候、若於相背は召捕、吟味之上急度可申付候、此旨町中可触知者也、
   卯正月」

とあって、結構笑えます。

また、慶長18年(1613年)の修験法度によって、真言宗系の当山派か天台宗系の本山派に帰属していた
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/01/post-a1bc.html
「加持祈祷」の本家ともいえる修験者からも
「講外之族迄祈祷相頼、修験永檀之者も富士講ニ相傾、修験帰依薄く罷成、職業日営取成行可申<ヨリ>迷惑仕候」
「畢竟法者<ヨリ>俗人<ヨリ>差別難相分、混乱之次第」
とのクレームが幕府に寄せられていたようです。

【追記】
御一新の御代になっても、似たような困った人たちがいたようですね
http://www.archives.metro.tokyo.jp/detail.do?smode=1&tsNo=1&id=659161&lbc=-1

「富士講其外種々之講銘を唱候者 其講之目標に日章旗号を持歩行候者有之哉に相聞候 件不宜之儀庶務本課より御沙汰に付 当番世話掛より達」(適宜スペース挿入:引用者)

【追々記】
上記の「町触」。
厳密に読むと「富士講」という「結社」を禁止しているわけではなく、その振舞い、主として
・俗人のくせに法者、つまり公許の宗教家もどきの衣装を着けたり行いをする
・宗教的行事に「事寄」せて、町場で寄付を事実上強要する
ことなどを禁止しているだけで「お行儀よく」していれば「召捕、吟味之上急度…申付」けられことはなかったことになります。
まぁ、ご法度中のご法度の切支丹ですら、江戸時代の中頃からは、大っぴらに活動しない限り「見て見ぬふり」をしていた、との見方もあるようですし。

【追々々記】
 ネット上のいろいろな方々の見解を読んでみると、上記の町触末尾の
「以来右躰之儀堅致間敷候、若於相背は召捕、吟味之上急度可申付候」
について、不正確な解釈をされている方が多いようで、「法律家の端くれ」としては「捨て置けない」のであえてコメントしておきます。
 明治以降の日本もそうですが、いわゆる近代国家といえるための必須の条件の一つは「罪刑法定主義」。つまり、
・どのような行為をすると犯罪となるのか(罪)
・その場合どのような処罰を受けるのか(刑)
のルールが、あらかじめ明確に(通常は「法律」の形で)公表されていなければならないのです。
 しかし、江戸時代の日本は少なくとも近代国家ではなかったので、当初は「罪」も「刑」も公表しないのが原則でした(もっとも、毎回判断がブレてはかえって「公儀」の威信が崩れるので、公儀の内部では「原則として前例に従う」というルールがあったようですが、その「暗黙のルール」は当然ながら公表されていませんでした)。
 しかし、大体、享保期あたりのようなのですが「罪」つまり「何が犯罪なのか」は、民に知らしめておいた方がよい、という考え方が主流となったようです(しかし、「刑」については、例えば「これをしてもせいぜい江戸払いか」とわかってしまうと、かえって犯罪を助長するのではないか、との懸念から公表しない方がよい、という見解が主流だったようです)。
 つまり
「以来右躰之儀堅致間敷候、若於相背は召捕、吟味之上急度可申付候」
の文意は
「右躰之儀」は犯罪であり
どのような刑罰かは公表しないけれども、「急度」(きっと=必ず)何らかの刑罰には「可申付」(もうしつくるべく=処するぞ)
ということなのです。
 平たくいえば
「急度可申付候」→「急度〇〇可申付候」(「〇〇」はいわゆる伏字)
なわけです。

富士講講紋 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/04/24 (Sun) 08:55:11

〔富士塚探索で有名な…〕

有坂蓉子さんのブログ「芙蓉庵」に、俗称「百八講印曼荼羅」、正式には「紙本着色冨士講惣印図」の画像がありました
http://hibiscusfujizzz.blog.shinobi.jp/Entry/933/
クリックすると拡大画像
http://file.hibiscusfujizzz.blog.shinobi.jp/marks.jpg
を見ることができます。

山吉講、丸旦講のはありますが、丸平講のはみあたらず。

Re: 富士講 - 藤井

2016/04/24 (Sun) 20:56:47

北口浅間神社と池ノ上の2つの石碑に刻まれている表裏の人名などを、米澤さんが読み取って下さいました。
ありがとうございます。


北口本宮富士浅間神社 吉田口登山道起点登山門脇
■表面 登山三十三度報賽 明治三十五年六月一日建之 東京府下北澤

先達 安野梅五郎

■裏面

世話人
若林

根岸弥三郎

下北澤

鈴木金太郎 月村作太郎

安野貞四郎 鈴木鶴太郎

代田
齊田孝吉
幡ヶ谷
横川(粟?)太郎 長谷川作太郎
並木仙太郎

雑色

佐久間謙


池ノ上(北沢 1-45)
■表面 補少講義四代目先達鈴木金太郎 冨(○平)登山五十度 講社中
■裏面 大正九庚申年七月吉日
□幡ヶ谷世話人
大野長松 長谷川作太郎 田中豊次郎
荒川金太郎 横川健次郎 伊東八五郎
横川伊三郎 渡邊金佐久 秋元源太郎
小泉直次郎
□雑色世話人
佐久間謙吉 柳田辰五郎 田中重蔵
□代田世話人
齊田清吉 吉澤重太郎 少教正 廣田岩吉
篠田鈴之助 齊田金五郎 清水平次
飯田佐太郎 齊田藤三郎
□下北澤世話人
斎藤岩治郎 安野庄太郎 安野貞四朗
月村浅次郎 月村源太郎 小杉興五郎
岸田力蔵 安野久之助 安野芳兵衛
田中傳五郎 鈴木虎吉 安野長三
榎本峰吉 飯田勘太郎 野口平次郎
阿川金三郎 朝倉富蔵 小坂興吉
訓導 石渡鉄五郎 田中幸太郎
幡ヶ谷石熊刻

Re: 富士講 - 藤井

2016/04/24 (Sun) 21:17:25

環七ピーコック近くの石碑を見に行きましたが、下北澤や代田の方は見られませんでした。
さらに、明大前近くの扶桑教境内にあるたくさんの石碑も見に行きましたが、それらの中でも同様に見られませんでした。また、丸平講の石碑もありませんでした。
残念でした。

山吉講 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/04/24 (Sun) 21:57:13

[今日「カメラ散歩」で…]

北沢5丁目方面に「出撃」したついでに、渋谷区の西原図書館で、御水横町の山吉講の枝講が載っているとされている
「渋谷区史料第二『吉田家文書』」
https://www.lib.city.shibuya.tokyo.jp/asp/WwShousaiKen.aspx?FCode=1297772
を見てきました。

内容は、いわば、山吉講主催の富士詣の「携行者リスト」で、講名の記載はないものの、講印が画像で掲載されているのですが、その中に丸平講の講印はありませんでした。

吉田口登山道起点石碑 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/04/25 (Mon) 11:07:30

代田の「横川」さんは、「眞太郎」
雑色の「佐久間」さんは、「常吉」
ではないかと…。

それにしても、雑色の人が加わっているというのは…
http://otaku.edo-jidai.com/40.html
やはりこれも品川道つながりか?


冨(○平)登山五十度碑 - きむらたかし@三田用水

2016/04/26 (Tue) 00:43:50

解読結果校正


幡ヶ谷世話人
横川健次郎->横川兼次郎

雑色世話人
佐久間謙吉->佐久間兼吉

下北澤世話人
安野貞四朗->安野貞四郎

でしょう。

Re: 富士講 - 藤井

2016/04/26 (Tue) 06:39:23

明大前近くの扶桑教境内に丸平講の石碑はありませんでしたが、石碑の写真は、先にきむらたかしさんが取り上げていた有坂蓉子さんのブログ「1393【 東京の富士塚がひとつ増えます! 】」にありました。
http://hibiscusfujizzz.blog.shinobi.jp/Entry/1394/
写真は扶桑教にかかっていた垂れ幕です。

Re: 富士講 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/04/27 (Wed) 17:50:43

〔野口建さんが…〕

造営委員長となると、とくに親しみが持てます。

昨年1月、野口さんの講演
http://www.mokutaikyo.com/zenkoku/index_2015.htm
を聴く機会があったのですが、主催者側関係者との人脈がらみで引き受けられた講演とのことで、結構「ざっくばらん」なお話を聞くことができました。

富士山のクリーンアップにも言及されていましたが、野口さんといえば、なんといってもエベレスト。

わかったことは、エベレストについては、「登頂成功談」なんかより、「登頂失敗談」次いで「登頂断念談」の方が、はるかに「面白くて、為になる」ことでした。

生命維持ぎりぎりの場所での、情報分析と、それに基づく判断のお話、しかも、その判断の結果、今でも「生き残っている」方のお話なのですから、ある意味、登頂談以上の成功談なのですよね、これ。

Re: 富士講 - 藤井

2016/04/28 (Thu) 08:15:18

きむらたかしさん、登頂より生還の判断というお話、その通りと思います。価値ありますね。
この投稿の一番始めの「お改め」は、価値判断を迷わせるものが富士山にはあったということですね。

Re: 富士講 - 米澤邦頼

2016/04/30 (Sat) 07:07:28

北口本宮の石碑裏面の
『月村作太郎』、Tさんのお祖父さんとの事です。

仮称:丸平講 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/04/30 (Sat) 09:40:24

〔ここ〕
https://twitter.com/64sai/status/362465318548930560
を、みると、富士講に相当造詣が深そうな人でも
「わからん」
ということのようです。

ここは、Tさんにお家の古文書を発掘していただかなくては…

Re: 富士講碑@雑色 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/04/30 (Sat) 11:57:47

〔安養寺というお寺〕

http://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/rekishi/rokugou_haginaka/anyouji_fujikouhi.html

の、富士講碑の100近い講印

http://pbs.twimg.com/media/BzA9VNXCcAAmfgG.jpg

中にも丸平はなさそうですね。

「富士をめざした安房の人たち」 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/05/03 (Tue) 09:17:16

〔東京湾を隔てた…〕
房総半島の先端の館山フィールド・ミュージアムの表題のページ。
http://enjoy-history.boso.net/book.php?strID_Book=0012&strID_Page=000&strID_Section=01

同地の富士信仰や富士詣の歴史をまとめたページですが、大変よくできています。

 目次抜粋

【1】安房から見た富士のすがた
【2】富士山の南と北 -富士への信仰の歴史- 
 1.富士山の登山口
  村山口 (静岡県富士宮市)
  大宮口 (静岡県富士宮市)
  吉田口 (山梨県富士吉田市)
 2.富士の教えとその広まり
  御身抜{おみぬき}
  江戸八百八講の大流行
【3】安房から富士山へ -記録のなかの富士参り-
 1.富士山登山口に残る記録
 2.安房からの富士参り道中
  登山口に残された安房からの参詣者の記録
【4】大願成就の大先達たち  
 1.先達{せんだつ}とは何をする人か
  修行
  呪術
  お焚き上げ
  先達のすがた
  記念碑を残した安房の主な先達
 2.大先達・栄行真山
  安房国浅間宮八百番
  〔安房国浅間宮八百番〕
【5】安房のなかの富士山 -センゲンサマと富士講-  
 1.安房に広まった富士講
  山三{やまさん}講
  山水{やまみず}講
  山包{やまつつみ}講
 2.センゲンサマは地域の富士山
  〔富士山の山開きにちなんだ主な行事〕

 かつて、館山には3年間ほど仕事で通いましたが、往復の内房線の車窓から、天候次第ではありますが、直線距離で100キロ向こうの富士山がきれいにみえました。

富士講関係論文 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/05/03 (Tue) 10:07:04

〔cinii で…〕

あらあら当たってみました(ただし、内容が比較的「俗っぽい」ものを中心に)。

谷釜尋徳「近世後期における江戸庶民の旅の費用」
http://ci.nii.ac.jp/els/110008582875.pdf?id=ART0009713303&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1462236128&cp=

「講組織によって旅費の多くが賄われたが、旅立ちに際しては有縁の人々から「饒別」を貰い受けるという慣習もあった。こうした講組織や饒別の存在は、庶民の旅にかかる負担を経済的な側面から軽減したという意味で、庶民を担い手とする旅の発展にとり看過できない要因であった。」

伊藤太一「江戸時代の富士山における登山道・登山者管理と登山者による費用負担」
http://ci.nii.ac.jp/els/110007226143.pdf?id=ART0009161372&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1462236394&cp=
「御師は早い峙期から「檀廻り」を行っていたがその対象は富士講の講員であった。物見遊山の登山者が増えると,登山集落間での客引きも活発化した。表口では東海道から直接村山に向かう者が多かったので,大宮経由を義務づける代官による制札が16〜18世紀にわたって繰り返し出された。これに対して村山は,吉原からの道標を、立てたりちらしを配ったりした。さらに, 蒲原においては草鞋無料提供切手を渡して集客に努めていた(裾野市史編さん専門委員会,2000)。須走と須山の問でも客引きが登山者を奪い合ったが1797年にそれぞれの客引きを自粛する協定を結んだ。」

大谷正幸「富士信仰から角行系宗教へ」
http://ci.nii.ac.jp/els/110002826581.pdf?id=ART0003211471&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1462236816&cp=

住谷 雄幸「江戸時代の山岳紀行 : 三山(富士山・白山・立山)紀行を中心に(第2部)」
http://ci.nii.ac.jp/els/110000990332.pdf?id=ART0001168993&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1462237177&cp=

青柳周一「富士講と交通」
http://ci.nii.ac.jp/els/110009985724.pdf?id=ART0010541419&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1462237322&cp=
〔既出〕

中島義一「富士塚の諸相」
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/29520/
〔駒澤大サイト〕

Re: 富士講 大谷正幸 URL

2016/05/05 (Thu) 20:56:44

はじめまして。大谷正幸と申します。

富士信仰の研究者ですが、「富士講に相当造詣が深そうな人」なのかは微妙です。

たまたまネットを巡回していてこちらにたどり着いたのですが、山冨講の丸平という枝講はだいぶ新しい(明治中頃から?)講のように思われます。実際、江戸時代の講紋曼荼羅や文書の類には見られません。明治十年代半ばと考えられる安養寺の碑に見られないところをみると、明治初期でもないのではないかと。

ところで、ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)に、砧村喜多見の山冨丸平講(とりあえずこう呼びます)によるマネキがあります。丸平という枝講名が何に由来するか(地名あるいは人名など)、現段階ではわかりませんが、北沢地域だけのものではなかったようです。

最後に「俗っぽい」富士講の本でしたら拙著『角行系富士信仰』(岩田書院、2011)がお勧めです。俗っぽすぎて(苦笑)評価されていないくらいでして。

Re: 富士講 - 藤井

2016/05/06 (Fri) 07:39:06

きむらたかしさん、房総半島の金谷の鋸山にある日本寺の千五百羅漢さんの中に偶然にもヤマミズ講の石碑を見かけました。当日は残念ながら半島から富士山は見えませんでしたが、石碑を見て富士山に近いのだと実感しました。

Re: 富士講 - 藤井

2016/05/06 (Fri) 07:44:38

大谷さん、丸平講の情報をありがとうございます。富士吉田のふじさんミュージアムの資料を今度見に行きたいものです。(周囲の散策はしたのですが…

あっ、そうか!! - きむらたかし@三田用水

2016/05/06 (Fri) 08:54:46

〔オーソリティーの…〕

ご参入と、ご教示、心強いです。ありがとうございます。

なるほど確かに
「山冨講(の枝講の)〔丸〕平講」
と解釈できますね。ということは山冨講を探ってゆけば、何か出てくるかも。

喜多見は「まねき」にもあるとおり北多摩郡、一方、下北澤、上馬引澤両村は荏原郡で、物理的にみてもかなりの距離があって、このあたりのローカルな講と思いきや、意外に分布が広いのですね。

 追って、旧・下北沢村の富士講碑。裏面右端下に刻まれた建立年は
「大正九庚申年七月吉日」
とあり、年一度の富士詣とすれば
1920-(50-1)=1871年≒明治4年
となり、富士吉田の「三三度=明治35年」ともほぼ整合します。
(写真は、2016/04/24撮影。濃度・コントラスト・レベルを調整)

Re: 富士講 大谷正幸 URL

2016/05/06 (Fri) 20:38:56

こんにちは。

まず誤解をいくつか解いておきたいのですが、富士信仰では講のリーダーを「先達」とは言うのですが、「先導師」という呼び方はしません。「先導師」というと、大山信仰で明治に現地の御師が呼び換えた自称を思い浮かべてしまいますので、使わないでいただければ幸いです。

それと、北口本宮(富士吉田市の行かれた浅間神社)にある石碑は「安野梅五郎さんの登山33回記念」で、旧・下北沢村の富士講碑は「鈴木金太郎さんの登山50回記念」です。もうこの時期になりますと交通が発達していますので、一年に複数回行くのもそう難しいことではないのですね。

今ここで上がっている話を基に考えますと、(三代目)安野梅五郎―(四代目)鈴木金太郎という系譜ができます。ピーコック裏手にある碑の「根行政山」さんはその行名と他の石碑の名前から考えるに、「根岸弥三郎さんの縁者で政の字を持つ人」ではないかなーと想像できます。それがわかればこの根行さんを安野さんの前とするか、鈴木さんの後とするか、見当がつくでしょう。

根本的な問題として「丸平」の「平」とは何かということがあります。要するに地名か人名ではないかと考えているわけですが、世田谷の周りに「平」という地名があるのか、無ければその枝講を始めた人の名前の一部ではないかと考えている次第です。

〔平〕 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/05/06 (Fri) 22:04:28

〔貴重な知見…〕
ありがとうございます。

何しろこのあたりは、北に位置する「代々木九十九谷」にはかないませんが「七沢八八幡」
http://blog.livedoor.jp/beckykusamakura/archives/40082107.html
と呼ばれた「沢だらけ」の地域でもあり、
下北澤村をはじめ、西の代田村、南の池尻(池澤)、三宿、太子堂あたりの各村には「平」の付く地名はなさそうです。
 また「平」という地名は、台地や高地の上部の平らな場所に多いことからみて、もともとが多摩川の氾濫原が大半を占める喜多見方面にもなさそうに思います。

 ただ、件の「馬引沢村」(上中下に分村後は「下馬引沢村」)には「平川」という小名が、新編武蔵風土記稿に記載されているのですが
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763982 41コマ目)、三軒茶屋、子の神丸と違って単に地名がリストアップされているだけでしたので、国会図書館にある
「新区町名地番表」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1270227 104コマ目>を見ると
旧駒澤町下馬(←下馬引澤村 →下馬1丁目)96~242番地
とのこと。
 現在の、下馬1丁目の略南半分、蛇崩川の左(北)岸の地域のようで、環七と世田谷通りの交差点からはかなり離れています。

取り急ぎ

〔平〕追伸 - きむらたかし@三田用水

2016/05/06 (Fri) 22:43:12

〔ふと思い出して…〕
世田谷区教育委員会「世田谷旧村古地名集」同/1983・刊
を引っ張り出して、旧・喜多見村の古地名のリスト(同pp.54~65)をチェックしましたが、「平」「ヒラ」「タイラ」を含む地名はみつかりませんでした。

Re: 富士講 - 米澤邦頼

2016/05/07 (Sat) 01:26:20

ネットで見つけました。(http://www.fujiyoshida.net/
二十三(?)夜講 四代先達『鈴木金太郎』の名が。
同一人物ですかね。
吉田口の中の茶屋に飾ってあるみたいです。

十三夜講 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/05/07 (Sat) 02:13:25

〔本拠中の本拠…〕
浅間神社のWebページ
http://www.sengenjinja.jp/fujikou/index.html
の「現在も活動している富士講」というリスト中に「山真 十三夜神明講」というのが確かにありますし、千葉市中央区寒川
の海津見(わたつみ)神社には、山真講の講印の富士講碑もあるようです
http://blogs.yahoo.co.jp/nobuhiro_suzu/39364757.html
ただし、碑文の「四代目先達」は「布施又四郎(の命)」、十五代先達でも、かなり年代モノのこの碑ですでに「命〔ミコト〕」になってしまっていますので、この系譜の講だとすると鈴木金太郎さんは二十四代なのでしょうか?

もっとも、
http://www.fujiyoshida.net/spot/141
の写真左端の「まねき」の「山吉 丸す御水講」も現役みたいですので、これらの講は、どれも現役で、したがって、鈴木金太郎さんも現役の先達じゃないかと…

Re: 富士講 大谷正幸 URL

2016/05/07 (Sat) 06:53:17

こんにちは。

その鈴木金太郎さんは別人でしょう。石碑の方は下北沢、マネキの方は千葉市の人ですから。ありふれた名前だけに、そこにとらわれるのはよくないと思います。

それとそのマネキ、相当古びているように見えます。茶色い字は白抜きだったはずです。中の茶屋は昭和63年に開けなくなって、再び開けるようになったのはつい最近です。いいところ昭和、おそらく戦前のものではないかな。

それと、丸平の「平」は人名なのではないかという気がしてきました。ただし、証拠はまだ無いという段階です。

諸々情報追加 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/05/07 (Sat) 09:59:44

〔千葉市寒川町が…〕
1~3丁目に分かれるのは、昭和50年前後のようです。

ついでというのも変ですが
 喜多見村が周辺他村と合併して砧村になったのは明治22年
 東京府砧村となったのは明治26年
 東京市世田谷区への編入は昭和11年
 の由。

 ところで、富士講碑の「○○度」というのは、いわば「個人タイトル」で「講」のタイトルではなかったのですね。

 中には「八十八度」さらには「百八度」なんてものすごいのもあり、
http://movie.geocities.jp/toyoura_denske/custom3.html
年1回の参詣では追いつきませんね、たしかに。

旧・下北澤村の富士講史料 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/05/07 (Sat) 12:50:13

〔これまで…〕
すっとばしてしまっていた民俗史料を。

・旧下北沢村の富士講碑/富士参詣について

佐藤敏夫「下北沢通史」同/昭和61年・刊

p.133 安野敬一氏(大正4年生まれ)昭和60年7月・談
「(8)石塔・古寺など
 当家のすぐ近くにある庚申塔。富士講碑などは私ら地元の者で管理している。建っている位置は大体ののままで*、唯、富士講碑は南側にマンションが建ったとき少し北に移動した。」
 *〔引用者註〕ただし、庚申塔というか延命地蔵は当初の位置から少し南に移動している。http://homepage3.nifty.com/baumdorf/KimuTaka/HalfMile/Hokora.htm

p.127 阿川昌朝氏(明治42年生まれ)昭和60年5月・談
「(6)信仰・講
   :
 富士講は先達になって行ったことがある。七月に笠をかぶり、杖を持ち、呪文の字を書いた白装束で出かけた。同行二〇人位だっただろうか。コースは大山・御殿場への道であった。父の代には三百人位で行ったこともあるらしい。女も加わった。」

・下山谷の鈴木家

世田谷区民俗調査団「下北沢 世田谷区民俗調査第8次報告」同区教育委員会/昭和63年・刊

p.4 「明治期下北沢略図」(月村福一氏作成図をインキングしたものの由)
 富士講碑のある下山谷付近を抜粋して引用するが(右が略北)、安野(やすの)家に囲まれた位置に鈴木家がある。

世田谷区内富士講分布 - きむらたかし@三田用水

2016/05/07 (Sat) 16:15:10

〔考えているだけでは…〕
仕方ないので、代田の図書館で
世田谷区立郷土資料館「『特別展 社寺参詣と代参講』図録」平成4年10・11月
を借りてきました。

そのp.34によると

世田谷では

・奥沢村・三軒茶屋*・太子堂村・等々力村・野良田村・上野毛村・尾山村・世田谷元宿・世田谷上宿・深沢村・新町村・用賀村の講中が渋谷宮益坂・山吉講の枝講
・下北沢村・世田谷村・若林村・代田村の講中が山冨講の枝講
・松原村・羽根木・代田大原の講中が一山講の枝講**

〔引用者註〕
*三軒茶屋の大山道から南は上馬引沢村のようです
**こちらは甲州道中南の東西につながった範囲なので、地域的なつながりとして納得がゆきます

にそれぞれ属していた由。

画像は、同ページに掲載されている若林村の「富士講掛金帳」の表紙と本文。見事に丸平です。

富士参詣スケジュール - きむらたかし@三田用水

2016/05/08 (Sun) 11:39:14

〔前掲の…〕
世田谷区立郷土資料館「『特別展 社寺参詣と代参講』図録」平成4年10・11月
pp.35~37を要約すると

明治初めの世田谷・若林村の記録によれば冨士参詣には通常8日程度を要し、

1日目
-上町の万屋(「同行堅メ」と呼ばれる共同飲食をして結団)
-滝坂道-甲州街道
-国領 ・府中 ・立川(各休息)
-日野(多摩川を渡り、休息)
-八王子(泊)

2日目
-駒木野の関所-高尾山(参詣)
-尾根伝いに小仏峠-甲州街道
-上野原-鶴川-野田尻-犬目
-鳥沢(泊)

3日目
-大月-谷村
-冨士吉田(御師 ・佐藤出羽守の宿坊泊)

4日目
-「御胎内巡り」
-馬返-三合目(休息)
-八合目石室(泊)

5日目
六合目「御中道」巡り
山頂「御鉢」巡り
-八合目石室(泊)

6日目
-須走
-御師の坊(昼食)
-小林村(きやり地蔵参詣)
-竹下-矢倉沢-関本
-町屋(泊)

7日
-曲松
-大山(参詣)
-厚木(泊)

8日目
-長津田-荏田
-二子の渡し(多摩川を渡る)
-世田谷上宿(万年屋と蕎麦屋で旅装を解く-ハバキヌギ-)
-帰宅

路銀1人あたり 2両+銭460文
他に共通経費として、馬方2名の給金4両、まき銭300文、接摩代200文

とのこと。

Re: 富士講 - 藤井

2016/05/08 (Sun) 11:42:15































環七ピーコック近くの石碑を再確認しに、米澤さんと共に、行ってみました。
壁と石碑の隙間にスマホを入れてカメラであれこれ確認しか結果、この石碑は根岸弥三郎さんが明治21年に建てたものです。根岸さんはこの辺りに多い地主さんのお名前です。ご近所の方に偶然お話を聞けたのですが、この石碑がある場所も根岸さんの土地で、環七が通る時にこの場所に移されたそうです。
根岸弥三郎さんは北口浅間神社の石碑の裏面にあるお名前と同じです。
これで3つの石碑が次のようにつながりましたね。
北口浅間神社⇄環七ピーコック近く…根岸弥三郎さん
北口浅間神社⇄池ノ上…鈴木金太郎さん
池ノ上⇄環七ピーコック近く…丸平

Re: 富士講 大谷正幸 URL

2016/05/08 (Sun) 12:15:48

こんにちは。

『社寺参詣と代参講』を見ました。この丸平講の帳面は明治六年となっていますので、その頃には講があったということで、私の認識を改めなければならないようです。ありがとうございます。石造物やマネキといった文字資料ではないものからの憶測も時には危険という教訓になりました。

この帳面の所有者は巻末のリストから「根岸武守氏寄託」ということで、この根岸さんというのがくだんの根岸姓の方々の末裔なのでしょう。

ところで、この図録にある(上で挙げてくださっている)スケジュールと金額については、ほんとかなというところがいくつかあります。「同行堅メ」と「ハバキヌギ」については、この文を書いている人が民俗語彙を使って解説しているものであって、史料の方にはそうは書いてないのではないかなと。要するに単に集合・解散の場所をここにしているだけじゃないのかなということですね。

それと、路銀についてですが、この金額はちょっとかかりすぎなのではないかという気がします。さらに馬方代やまき銭は今でいうところの経費ですし、さらに按摩は登山に関係ない私費と考えられます。何が言いたいかというと先達の費用とヒラ講員の費用は同じに考えられないはずで、ここにあがっている数字はお金がかかる先達の場合だけでしかないのではないかなということです。

なお、太平山の二百度記念の碑についてですが、行った当時の写真が確認できなかったので削除しました。

Re: 富士講 - 藤井

2016/05/08 (Sun) 17:17:50































ピーコック近くの石碑の表裏を拾い出したらこんな感じでした。
世や蔵の字は現代の字体です。ご容赦ください。

Re: 富士講 - きむらたかし@三田用水

2016/05/08 (Sun) 19:13:28

〔仮称:(上)馬引澤村〔訂正:元若林村〕富士講碑探査…〕
お疲れさまでした。

ところで、
「萩原 忠蔵
 同  初太郎」
の部分ですけど、この「同」の部分。
 碑文自体に「同」と刻んであったのでしょうか
 あるいは「萩原」とあるのを「同」と省略標記されているのでしょうか?

 リストの同様の部分も含め、どちらかによって、標記上は同姓にしても、お二人あるいはお三人の関係(家系)の評価が違ってくる可能性がありますので。

 それはさておき、今度は三宿村ですか…やれやれ

Re: 富士講 大谷正幸 URL

2016/05/08 (Sun) 21:21:58

こんにちは。

調査お疲れ様です。

根山さんが「根岸弥三郎さんの縁者」だという点はあたっていたようです。「政」字を持っている人なんではないかなという点も当たってるといいのですが。

それで、くだんの碑が明治21年ということで(二代目)根山政行(根岸某)―(三代目)安野梅五郎―(四代目)鈴木金太郎という系譜ができそうです。もしかすると根山さんが初代で、根山―安野か安野-鈴木間に一人いる可能性もありますが、今のところ、このスレの情報から

1、根山-安野-鈴木の順に先達が推移している。
2、4代目が鈴木金太郎

の二点は確定しています。

で、次に、『社寺参詣と代参講』にある根岸家寄託の文書『冨士講掛金帳』(明治6年)と『冨士同行日〆帳』(明治5年と6年の二冊)の筆者が根山さんなのか否かが問題になります。もし、根山さん本人ではなく、根山さんの縁者(可能性が高いのは父親)が筆者だったとすれば、初代がその人で根山さんは二代目ということになります。

Re: 富士講 - 藤井

2016/05/08 (Sun) 22:06:37

きむらたかしさん、石碑の同の件ですが、同なんです。
石工の方も生産性に苦労されてたのでしょうね。
それとも、画数で代金が決まるとかで、発注側の都合とか(笑)

ピーコック裏富士講碑の所在地 - きむらたかし@三田用水

2016/05/09 (Mon) 02:02:07

〔現・世田谷通り…〕
大山道旧道の南にあるので、上馬引澤村だとばかり思い込んでいたのですが、碑の建立者が「根岸」弥三郎で、件の若林村の2通の富士講文書が「根岸」家蔵ということなので、改めて調べてみました。

 世田谷区郷土資料館の「世田谷の土地」展で展示されていた明治4年の「分間一分十間組合村縮図 武蔵国荏原郡第五区」図によると、旧堀之内道(略・現・環状7号線)のあたりでは、若林村の村域が大山道旧道(略・現・世田谷通り)の南に少しはみ出しています(上図赤矢印)。

 「世田谷の地名(上)」p.144の第89図をみると、この地域が旧・駒澤村に編入されたのは、同村成立時の明治22年らしいのに対し、富士講碑が建立されたのは、明治21年ですので、その時の若林村の村域にあった可能性が高いようです。

 したがって、碑文の
「當村」というのは「若林村」
「世田谷村」というのは、明治22年に下北沢村・代田村・三宿村などを含めて併合した(仮称)大・世田谷村でなく、旧来の(仮称)小・世田谷村
だということになります。

Ps:現・環7周辺で、若林村が現・世田谷通り南にはみ出していたとすると…
常盤塚
  http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2015/10/setagaya-b2e8.html
  の所在地についても、再検証が必要かもしれません。
 

「同」の意味 - きむらたかし@三田用水

2016/05/10 (Tue) 17:40:13

〔「同」という表記は…〕

その二人なり三人が、同族として自他ともに認めているからでしょう。
旧・下北澤村では「イッケ」と呼ばれる「くくり」で、卑近な例を挙げれば
 「きむら けん
  同   たかし」
という表記は、普通しませんが、
逆に「きむら たかし」とその妻「きんちゃん」こと「きむら けいこ」を併記する場合は
 「きむら たかし
  同   けいこ」
とする表記にしないと「きむら たかし」と「きむら けいこ」が、全くの他人にみえてしまうので、こちらの表記の方が、むしろ原則ともいえますよね。

あららっ! - きむらたかし@三田用水

2016/05/18 (Wed) 17:43:49

〔お間抜けにも…〕
今頃になって気が付いたのですが、このスレッドの
Re: 富士講 - 藤井 @2016/04/18 (Mon) 08:49:02
掲載の写真。

石碑中央の「登山三十三度…」の上に、「田」の字の下半分らしきものが写り込んでいます。

できれば、このあたりから石碑の「てっぺん」までの写真、希望です。

Re: 富士講 - 米澤邦頼

2016/05/19 (Thu) 19:29:56

これです。
『冨』の(田)部分ですかね。

おおっ。 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/05/19 (Thu) 21:21:36

〔やはり…〕

三つ山+冨 の山冨講の講印でしたね。

この講が築いた富士塚が、横浜市青葉区、Dr.別宮がお得意の、大山街道近くにあったようですね。
http://www.ondamemo.net/archives/000037.html

Re: 富士講 - 藤井

2016/10/09 (Sun) 23:21:27

米澤さんとふじさんミュージアムに行ってきました。
充実の富士講空間でした。

Re: 富士講 - 藤井

2016/10/10 (Mon) 08:08:36

今回はふじさんミュージアムでヤマトミ丸平講のことを見つけるのが目的でした。展示物は見切れない・読みきれないほどあってワクワクしましたが、どうもこの中には見当たらないようです。しかし資料室の書籍で見つけました。ヤマトミ丸平講!
富士吉田市資料叢書13「マネキ」のp93にヤマトミ丸平講で鈴木金太郎さんの名前が四代目先達として書かれているマネキを発見。富士山7合目の山小屋にあるようです。このマネキには他にも、北口浅間神社の石碑裏面に世話人として名前の出ている根岸弥三郎さん、長谷川作太郎さんが見られました。さらに池ノ上(東北沢)の石碑裏面に名前の出ている大野長松さん、安野芳兵衛さんの名前もありました。
北口浅間神社の石碑は明治35年、池ノ上(東北沢)の石碑は大正9年で、今回見つけたマネキは明治44年なので、二つの石碑の間を鈴木金太郎さんがしっかりと繋いでくれていました。
とても面白かったです。

Re: 富士講 - 藤井

2016/10/10 (Mon) 08:12:27

ふじさんミュージアムの展望ラウンジからの富士山です。

遠路の調査… - きむらたかし@三田用水 URL

2016/10/10 (Mon) 15:04:36

〔お疲れさまでした〕

今度機会があれば
烏帽子岩講 千駄ヶ谷富士 ?
丸旦講 目黒元(西)富士 本所
山正廣講 目黒新(東)富士 麻布
山吉講 森厳寺富士 三軒茶屋?元講は本所

あたりの、まねきの所在はひとまずおいて、発祥その他の消息を示すデータがないかの、ご調査を希望。

図版は、近藤冨藏〔重蔵の息子で、地境をめぐるトラブルで、図中左端の隣家の一族ら5人を斬って、八丈に遠島になった由〕の、「八丈実記」中「鎗丘実録」から

「富士信仰について書かれた随筆リスト」 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/10/23 (Sun) 00:40:27

〔富士信仰について書かれた随筆リスト〕

http://fjska.sakura.ne.jp/kijilist/index.php?title=%E9%9A%8F%E7%AD%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

全く無関係な江戸時代の史料を探しているとき、偶然出てきました。

「近世以降富士信仰について言及している随筆や名所案内、年中行事の類を列挙したものである(一部例外あり)。ただし、翻刻の無い随筆・『滑稽富士詣』のようなフィクション・紀行類・記述が一定地域にわたって網羅的になっている『新編武蔵風土記稿』のような地誌類は原則として除いた。」

Re: 富士講 - コミ

2016/11/14 (Mon) 23:58:57

門外漢が他所から口出しして恐縮ですが、こんな本が有るのご存知かなと思いまして。もしかしたらご研究の一助になるかもと。吉田口の御師の家から始まり、山頂奥の院までの、富士講奉納物が殆ど約99%奉納者の名前まで調べた文献です。紙マネキかた布マネキ、板まねき、額、石塔すべてと言ってイイほど網羅されています。「マネキ資料図版」としてだけでも約250ページ。全420ページ。

Re: 富士講 - コミ

2016/11/15 (Tue) 00:21:14

本の内容はこんなのですね。

Re: 富士講 - コミ

2016/11/15 (Tue) 07:25:25

こんな図版も掲載されていました。

富士講資料 - きむらたかし@三田用水

2016/11/15 (Tue) 14:16:44

コミ様

ご紹介ありがとうございます。
どんな情念によるのかはわかりませんが、世の中には、ものすごい史料を編む方がおられるのですね。

やはり、ピーコック裏の碑は、かの地が若林村内にあったときに建立されたことにまちがいなさすです。

お差し支えなければ、書誌情報をご教示いただければ、ここのメンバーのみならず、すべての「後進者」にとって、より有益な情報となると思います。

Re: 富士講 - コミ

2016/11/15 (Tue) 14:47:55

東京家政大学教授で民俗学者の、西海賢二先生が平成9年に自費出版なされた「民衆宗教の祈りと姿ーマネキ」という御著書です。先生の実姉が以前私と同じ職場におられたのが縁で、ご著書を入手いたしました。

西海賢二先生 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/11/15 (Tue) 15:00:54

ありがとうございます。

これ

http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA32578423

ですね。
本務校のほかは、身延山大学図書館に所蔵ですか.

読めるようになるまでのハードルが高そうです。

Re: 富士講 - コミ

2016/11/15 (Tue) 15:22:02

2160円で「日本の古本屋」サイトで売っていますけど。

Re: 富士講 - きむらたかし@三田用水

2016/11/15 (Tue) 17:45:20

【日本の古本屋〛

ご指摘のとおりありますね。

1か月前なら、一も二もなくゲットしたのですが、ここのところ、追いかけている他のいくつかのテーマのため、ネットオークションで、いろいろ出てきた史料を落札しまくってしまったので「財源枯渇」。

「…保存の会」のどなたか、FさんとかYさんとか、入手していただけませんか?

PS:先ほどは、某古地図を2000+で入札中だったのですが、落札してしまいましたので、まずます枯渇

Re: 富士講 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/11/15 (Tue) 21:18:48

〔「大正九庚申年七月」の碑文〕

・藤井さんの
2016/04/24 (Sun) 20:56:47

池ノ上の富士講碑の碑文データは

大正九庚申年七月吉日 付け

・コミさんの
2016/11/14 (Mon) 23:58:57

おそらく4合目のどこかの碑文データも

大正九庚申年七月 付け

ですので、まったく同時期。

ただ、碑文にある、多分登山五拾度を達成した、鈴木金太郎さんは

前者では
補・少・講義 

後者では
講義

ですので、字面から素直に評価する限り、「補」も「少」も付いていない後者の肩書の方が、少なくとも2ランク上というのが同時期なのに不思議です。

Re: 富士講 - コミ

2016/11/25 (Fri) 19:06:15

昭和初期の写真ですが、右端の旗マネキの笠印が「山富」のようです。講印は「丸平」では無いようですが。御参考までに。

Re: 富士講 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/11/26 (Sat) 15:29:26

【講印】

何分写真が小さいので、無理無理にではありますが…

山冨-丸玉講

でしょうか?

http://enjoo.com/ayaseinari/otakara/otakara-5.htm

「民衆宗教の祈りの姿」と「マネキ」 大谷正幸 URL

2017/01/21 (Sat) 14:34:40

ご無沙汰しております。

久しぶりに覗いたらお話も進んでいたようで何よりです。

マネキについて二つ本が出ていたので、それについて。

実は両書の中身、特にマネキについて調査した部分は全く同じなのです。なぜなら調べたのも書いたのも同じ西海氏だから。

マネキの調査は富士吉田市が市史を編纂するための資料として行われたものです。報告書つまり『マネキ』を刊行するために西海氏は膨大な量の解説も書いていたのですが、(おそらく予算の都合か、西海氏のお世辞にも上手とはいえない文章が原因で)その掲載を拒否された。そこで憤った西海氏が解説を調査結果と共に自費出版したのが『民衆宗教の祈りの姿』です。

『民衆宗教の祈りの姿』をご本人からいただいた時に口頭で聞いた話ですが、まあ、あの解説の文章なら『マネキ』で十分だと思っています(今も売ってるしカラー図版きれいだし)。

『マネキ』にカラー図版があり『民衆宗教の祈りの姿』にないのは写真の著作権がおそらく市にあるのではないかな。

ところで、私の「富士信仰について書かれた随筆リスト」がお役に立っているようで何よりです。

Re: 富士講 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/01/24 (Tue) 20:21:54

大谷様

史料の解題ありがとうございます。
この
http://www.mfi.or.jp/marubi/hon/hon2.htm
#35ですよね。

「きれいなカラー図版」のために+約¥2000…
なかなか悩ましい。

第2回研究大会・きむらたかし発表分補遺 - きむらたかし@三田用水

2016/08/20 (Sat) 14:07:07

〔渋谷のタマデンルート1〕

当日
「当初タマデンは、道玄坂上から渋谷まで、後の専用軌道ではなく、道玄坂を併用軌道で下っていたのではないか」
とのご指摘がありましたので、調べて見ました。

まずは、当日のスライドのご説明から

図の右が北にあたります。
図の左端の黄色塗りの部分が、現在の首都高速3号線
図の右端の緑色塗りの部分の道路は、
 すぐ北に渋谷川の支流の川があり、これは宇田川と考えるほかない(現在は、西武のA・B館の間の地下を暗渠で流れている)
 ので、結局ここが道玄坂の通り
ということになるはずですので
 タマデンは、道玄坂の通りの南に独立した専用軌道を通っていたことになります。

Re: 第2回研究大会・きむらたかし発表分補遺 - きむらたかし@三田用水

2016/08/20 (Sat) 14:11:05

〔渋谷のタマデンルート2〕

で、今度は同じく大正01年発行の「大字中澁谷字道玄坂」の地籍図です。

タマデンが、道玄坂南の専用軌道で渋谷に下っていることがわかります。

Re: 第2回研究大会・きむらたかし発表分補遺 - きむらたかし@三田用水

2016/08/20 (Sat) 14:18:23

〔渋谷のタマデンルート3〕

地籍図だけではいかにも「愛想なし」なので、明治44年撮影の道玄坂下の写真(毎日新聞社・蔵の由)。

画面右が109の場所。

併用軌道の痕跡も、その上の架線の痕跡も見当たりません。

【追記】
坂の中ほどに段差のようなものが3つほど見えますが、これはワザと付けた段差だと思います。
勾配をスムーズにすることができないわけではないのですが、荷車等が暴走した場合、どんどん加速してしまって危険なため、急で長い坂については、このように設えたそうで、「九段の母」の九段坂も、そのような段差が9つあったので、その名が付いた由。

なお、写真右の現109から現文化村に斜めに抜ける通りができたのは、明治30年代半ば。それまでは、麗郷の前の通り(御水横町)が、メインの道路でした。

研究大会補遺〔小田急編〕 - きむらたかし@三田用水

2016/08/20 (Sat) 14:23:11

〔道玄坂の写真と…〕

同じ資料にあった、昭和1桁台の小田急線の写真

まずは
昭和8年の「成城ガール(上)と成城ボーイ(下)」

研究大会補遺〔小田急編2〕 - きむらたかし@三田用水

2016/08/20 (Sat) 14:28:26

〔次いで…〕

昭和9年の代々幡上原停車場〔現・代々木上原駅〕

駅名標の標記がメートル標記になった、というだけの写真ですが、
左方向 代々木八幡 まで 0粁6分
右方向 東北沢   まで 0粁9分
としっかり写真から読み取れるのがミソ。

Re: 第2回研究大会・きむらたかし発表分補遺 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/08/25 (Thu) 22:12:29

【参考】九段坂の段々

江戸名所図会巻1の1
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2559040/55

Re: 第2回研究大会・きむらたかし発表分補遺 - きむらたかし@三田用水

2017/01/22 (Sun) 17:22:48

〔三軒茶屋の…〕
三段?坂

キャロットタワーと田園都市線三軒茶屋駅を結ぶ地下通路。
途中で、おそらく地中の水道管か何かをクリアするために、一部が盛り上がって、通路に鞍部ができています。

そのスロープ部分の写真

まち歩きコースコンテスト - 北沢川文化遺産保存の会

2016/12/26 (Mon) 18:41:48

○当会もコンテストに応募している。最近分かったことは、せせらぎの管理に加わっていた廣島文武氏も、北沢川緑道の文学碑めぐりを応募されている。これはポスター展示のようだ。

 こちらはプレゼンありとしているが、審査はなくて応募申請すれば出場できるようだ。したがって5分間のプレゼンを1月21日のどこかの時間帯で行うことになるようだ。

Re: まち歩きコースコンテスト - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/12 (Thu) 08:19:11

プレゼンテーションの時間が決まりました。10時5分から11時45分までの間に、エントリーされた23本の発表があります。持ち時間、一人2分半とのこと。当会は「シモキタザワ猫町散歩」を提案します。投票形式なので参加者の投票で決まります。ぜひご支援を…

Re: まち歩きコースコンテスト - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/15 (Sun) 09:36:34

世田谷まちなか観光交流協会主催

第2回 世田谷まちなか観光メッセ

日時:平成29年1月21日(土) 午前10時~午後5時

会場:三軒茶屋キャロットタワー 4・5階

当会は「シモキタザワ猫町散歩」でエントリーしています。二分半のプレゼンを行います。
http://www.setagaya-icl.or.jp/messe2nd/

Re: まち歩きコースコンテスト - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/20 (Fri) 18:05:14

第二回世田谷まちなか観光メッセが明日、21日開催される。今回は、「まちあるきコースのコンテスト」がある。我らの会は「シモキタザワ猫町散歩」(萩原朔太郎の『猫町』を歩く)でエントリーしている。全体では23の団体が応募している。予想を超える応募となったのであろう、当初は5分間のプレゼンとあったが、これが半分の2分半になった。150秒でアピールするのは至難だ、23団体が論陣を張っての闘いだ。どうなるのだろう、場所は三軒茶屋、キャロットタワー四階のワークショップルームで行われる。10時から、我らの会は早い。一番目が駒沢給水塔、二番が我々だ。10時16分30秒から19分までと細かい。さてどうなるだろう?

原稿募集 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/17 (Tue) 17:42:27

▲新春から原稿用紙二枚程度の小研究、あるいは話題を募集します。会報は図書館所蔵、ネットへのアップなどで広く行き渡るようになりました。原稿はメールで送付してください。この会報にぜひ載せたいと思います。

 ぜひ寄稿をお願いします。

第124回都市物語を歩く - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/15 (Sun) 09:39:33

★北沢川文化遺産保存の会(1月21日)
【第124回都市物語を旅する】
 田端文士村を歩く(案内者 原敏彦さん)下北沢文士町との文化比較。
・日時:1月21日(土)午後1時~4時30分ぐらい
・集合場所:午後1時 田端駅南口改札口前
・定員:20人(先着順)
・会費:550円(資料代・保険代)
・申込方法:FAXまたはE-mail
・コース:芥川龍之介旧居跡→童橋公園→福士幸次郎・サトウハチロー旧
 居跡→鹿島龍蔵邸跡→大龍寺(正岡子規・板谷波山墓)→ポプラ坂・ポプ
 ラ倶楽部跡→板谷波山旧居跡→室生犀星 旧居跡→田端文士村記念館

[お問合せ・申込み先]
北沢川文化遺産保存の会
TEL&FAX:03-3718-6498
E-mail:aoisigunal@hotmail.com
URL:http://blog.livedoor.jp/rail777/

謹賀新年 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/01/04 (Wed) 15:45:15

ことしもよろしくお願いします 

都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/17 (Sat) 16:42:39

[今日は…]

皆様、お疲れ様でした。

取り急ぎ、お約束した、旧・東北沢4号踏切北の小田急築堤にあった、里俗・森厳寺川のカルバートです(2004年8月撮影〔TeleElmarit(2nd.)〕)。

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/17 (Sat) 16:57:05

[別アングルで…]

上流(西)側の水路跡を入れたもの(2003年1月ころ撮影〔Elmar135(M)〕)

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/18 (Sun) 01:48:36

[レジュメ前半]

北沢川文化遺産保存の会 定例ツアー「都市物語を旅する会」第123回       平成28年12月17日(土)
「下北沢の終戦直後(1946~1950)のカラー写真跡を歩く」
              キュレーター きむらたかし

1 Dr.Austin 撮影写真について
 1903年にニューヨーク州で生まれ、ハーヴァード大学で博士号を受けた、アメリカの鳥類学者Dr. Oliver L. Austin jr. は、アメリカ陸軍の推挙により、1946年、連合軍占領下の日本に赴任、日本国内の鳥類の調査のかたわら日本の鳥類学者とも交流を深めている。
 同博士が遺した、日本各地の戦後まもなくの情景を捉えた空気感や臭いまでも伝わるような鮮明なカラー映像は、米国フロリダ州立大学のWebで公開されている
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/ )。

 それらの中で、特に注目されるのは、博士が、代々木大山町にあった連合軍接収の官舎(#665)に住んでいた関係からか、数多く撮影されている当時の下北沢の街の「まるで戦争などなかったように見える」日常的な風景の写真群である。
 1年ほど前、連合軍による日本占領について、若い方の中には、たとえば下北沢の街角のあちらこちらに土嚢が積まれ、その中で兵士たちが自動小銃や機関銃を構えて常時警戒している、という今の中東のそこここで見られるような情景をイメージしている方もいるのを知って呆然とした覚えがある。

 しかし、これらの写真を見れば、民間人の「学者さん」が、妻子や友人を連れ、人目を引く真っ赤なジープ(何枚かの写真に写り込んでいる)に乗って、「丸腰」で東京の町中を走り回っていたことが、理解できると思う。

 それらの撮影場所の「今」を訪ね、Dr.Austin撮影の写真との対比を試みる。
  
The Oliver L. Austin Images

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/

同解説ページ by Takashi Kimura
【「今」の写真は、こちらで】
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html

01・北口駅前から北方向〔「パン近江屋」=現・カルディのビル〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/cec70103e8117354303c97a8c4bbf4ee.jpg
02・北口駅前通り〔「近江屋不動産」=現・横浜銀行のビル〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/b4c2cea35381773074d21ebce9df2908.jpg
03・本通り(=現・一番街) 「宮田家具店」
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/9c13b826c1930322b60c1189433fb513.jpg

04・本通り(=現・一番街)中程から西方向〔正面奥右が「宮田家具店」〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/2f935400ef04dcfa5979eba93ca57687.jpg
05・本通り(=現・一番街)「稲毛屋金物店」
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/d3b2e888c3a4613d23dc424791b778f5.jpg
06・栄通り(=現・一番街)最北端・本通り手前から北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/9d01918ecf2a9431386c572585a5dd09.jpg
【追記】
 写真正面の「出雲工業」の移転先と思しき建物を見つけたので、このスレッドの末尾に追記します。

07・栄通り(=現・一番街)北から4分の1あたりから北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/f274e0c55404d7da8da9144a60547a2b.jpg
08・栄通り(=現・一番街)南から4分の1あたりから北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/76c893b396a9180bedc7ffe48a19d54b.jpg

09・栄通り南端(=現・一番街)から北方向(元・東北沢6号踏切西脇)
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/79f9fa74986248ab9ff5b355bab84e50.jpg
10・現・オオゼキ~駅南口の小田急線東沿いの道を元・東北沢6号踏切東脇から南方向〔架線柱は「帝都線」〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/d8a398fde1bcc9f47377545efcbda347.jpg
11・下北沢駅南口駅前〔右端の「果実丸万」=現・マクドナルド〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/0031018287881a6a69a388b4325bcfd0.jpg
12・南口通り商店街 現・DOCOMO・Softbank前付近から南方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/37a93b2a4c45e7cf8dcdeb86818b691a.jpg

13・南口通り商店街 現・ミスタードーナッツの角を北方向から〔「配給」との解説付き〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/af57130b14be12c1a5c0d387df492f15.jpg
14・「砂場」南隣の八百屋店頭〔イチゴの木箱が懐かしい〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/a9e5deff6fa2cbe0dc71bbc3349d2955.jpg
15・南口通り商店街「砂場」南方から北方向 【註:Web上の写真は「裏焼き」】
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/151d9f3c1dd8c42dd7ecd4f99c30595f.jpg
16・南口通り商店街南端付近から南方向〔画面奥の支柱付きの電柱の場所が膳場青果店〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/494d7c976ef0fea0ff3b45730b4d2dd7.jpg

*地図の原図は、住宅協会発行の「世田谷住宅地図1962年度版」(米澤氏発掘)

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/18 (Sun) 01:57:29

[レジュメ後半]

2 里俗・森厳寺川跡を歩く
 徳川家康の次男で越前北ノ庄藩初代藩主だった結城秀康の位牌所として、慶長13(1608)年に建立されたといわれる森厳寺〔正式には「八幡山 浄光院 森巌寺」〕。
 その境内の西脇を流れ、現・世田谷区立代沢小学校の南東で北沢川〔北沢用水〕に合流することから、森厳寺川と呼び習わされていた川跡の暗渠を、元・膳場青果店東方から後述の「東京セロファン工場」跡地まで、北に向かってたどる。
 今は暗渠化され、ほとんどが遊歩道や駐輪場となっているが、現・世田谷区立北沢中学校北東にあった湧水などを水源とするこの川は、かつては旧・下北澤村の中ではほとんど唯一の水田地域(現・茶沢通りと遊歩道の間)を潤していた川で、上流部には北沢小学校北脇からの三田用水の「山下分水」が合流していて、明治期にはその分水路で水車が稼働していた。

3 「東京セロファン紙工場」について
 この工場は、我が国におけるセロファン紙製造の嚆矢である。
 セロファン紙は、1908(明治41)年にスイスのブランデンベルガ―が発明し、1912(同45)年ころに製品化され、大正期に入ると、我が国にも、食品、特に菓子の包装材として輸入されはじめていた。
 大正10年、脱脂綿を溶解したビスコースを使って電球のフィラメントを作る実験をしていた杉山繁太郎が、偶然セロファンの製法に気付いて渋谷区西原の自宅で研究を行った後、同12年、当地〔東京府荏原郡世田谷町大字下山谷577番地〕に試験的な工場を建てた。
 杉原は、大正15年、同地に、蓄電池製造業者であった河合光治の出資を得て光進社を設立したが、経営不振から、昭和4年に、星野錫〔せき〕らが設立した東京市日本橋区通二丁目2番地6に本社を置いた東京セロファン紙株式会社がこの工場を引き継いだ。
 しかし、同社の世田谷工場〔敷地477.67坪、建物126.10坪〕となったこの工場は、
・ 敷地狭小のため、半幅〔幅45センチ〕の製品が限界で、いわばグローバル・スタンダードである全幅〔幅1メートル〕のものは製造できず、また、その総製造量の面でも限界があった。
・ 同工場のボイラーに石炭を使用していたため、煙突から排出される煤煙について、住宅地化の進む周辺の住民からたびたび苦情が寄せられるようになった。
といった事情を抱えていた。
 昭和8年に同市足立区南鹿浜町に建設された、敷地が広大で水運の便もある同社の王子工場に製造拠点を集約する一環として、昭和11年5月9日に閉鎖、同12年に敷地も売却された。

【参考資料】セロファン紙製造と「水」
 セロファンは、かつて「透明 紙」「紙 ガラス」と呼ばれていたことからわかるように、その原料は、普通の「紙」と同じで、木材を粉砕して作るパルプや綿などの主成分のセルロースである。
 パルプなどを、水酸化ナトリウムなどのアルカリと二硫化炭素で溶かして暗褐色のコロイド状のビスコースを作り、それをスリットに通すなどして薄く成型したものを、硫酸(や塩酸)などの酸で中和して元のセルロースに戻すことによって製造される。
 これらの酸は、高濃度のものを水で希釈して用いていたと思われるが、ビスコースを中和してできた直後のセロファンの表面には、酸がある程度は残ってしまい、その洗浄のための水が必要となるはずで、現に、前掲の「世田谷工場のスケッチ」にも円筒状の水タンクと思われるものが櫓の上に載っていることが見て取れる。
 この敷地の東には、北沢川(北沢用水)の支流の里俗・森厳寺川が流れており、この川には、前述の、三田用水の現・北沢小学校北にあった山下分水が流れ込んでいたので、最初は、この水を利用していたのかとも考えたが、「スケッチ」を見ると櫓の右下に井戸用のポンプ小屋と思われる建屋があるのと、無色透明が特長のセロファンは、とりわけ汚れを嫌うはずなので、井戸水を製品の洗浄に使っていた可能性が高そうである。
 しかし、洗浄水の排水については、下水道が未発達の時代なので川に流していたと考えるほかなく、「水は三尺流れれば澄む」で、現代のように再処理など「考えてもいなかった」だろうから、「硫酸」などの希釈水が森厳寺川に流れ込んでいたことになる。

*図は、東セロ株式会社 社史編纂室・編「東セロ70年史」同社/2000年・刊p.3より
 画面手前が南の由
 したがって、奥の横方向の道と左端の道が茶沢通り

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/19 (Mon) 02:44:48

[ようやく発掘した…]

カルバートの東側の写真です。

 画面右方向が築堤。手前の穴で、築堤上部からの水を合流させて、そのまま、画面左方向にある下流の暗渠に繋がっていると思われる。

この構造物は、今も残っている。
(2006年11月撮影〔Summaron 3.5(L E39)〕)

*これにて、小田急の森厳寺川カルバート関係写真の「虫干し」完了。

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/19 (Mon) 19:12:34

[世田谷町大字下北澤3丁目〔旧〕字新屋敷1008番]

旧^2朔太郎邸裏木戸からの「敷島」最短ルート
(詳細は
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/51975452.html

の解説図です。

この家の勝手口+裏木戸+裏路地の存在がわかったので、
・女物の下駄を履いて
・ほとんど寝巻で
朔太郎が下北沢の街を徘徊した理由が「合理的」に説明可能になりました。

夜が明けるのを待って一番街(本通り)の煙草屋に「敷島」を買いに行くときの、

図の緑色が、正規ルート
  (男物の下駄を履いてゆくにはこのルートしかない)
同じく水色が、勝手口→裏木戸を使ったショートカットルート
  (女所帯でもあって勝手口には男物の下駄がないので、
   急ぐ時には、女物の下駄を履くしかない。
   さりとて、勝手口に男物の下駄を常備しておくのは
   御用聞きなどの目もあり、萩原家の沽券にかかわる)
と、いうわけですね。

 その所要時間の差は、せいぜい数十秒でしょうが、
・夜中にタバコを切らし
・火鉢の灰の中の吸殻を発掘しながら吸うが
  (代田時代の話だったと思いますが、葉子さんによると
   書斎の火鉢の中に吸殻が「剣山のように」刺さってい
   た由)
・それも吸い尽くし
・悶々としている裡にようやく夜が明けて…
・煙草屋が開く時刻を待ちかねて家から飛び出してゆき
・開店支度中の、まだ木戸を開けたばかりの煙草屋に飛び込んで
・「敷島」を購う
という状況が想定されます。

 「たかが」数十秒なのですが、それが「タバコ呑み」には、「永遠」とはいえなくても、少なくとも「一劫」*には匹敵する貴重な時間なのですよね。

http://blog.goo.ne.jp/nammkha0717/e/5274cc751e8173af47f280776cdefee1

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/26 (Mon) 00:59:46

[Dr.Austin の…隣家のご子息からのお手紙]

 先日、邪宗門にニュージャージ[US]からの手紙が届いたと聞き及び、それが何やらNakadaという人からのもので、件のDr.Austinの写真が4枚同封されていたとのことから、もしやと思って調べてみたら…

なんと、大山町の Dr.Austin の隣家のご子息(と、いっても around eighty)らしいことがわかりました。

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/the-nakada-family

 送り状も何も入ってないので、手掛かりは発信人の住所のシールだけ。

 米澤氏の調査で、奥さんのメールアドレスらしきものはわかったものの「誤爆」は避けたいので、念のため、金ちゃんに facebook を調べてもらったら、上のサイトにある写真と夫婦とも全く同じ顔。

 と、いうわけで、英語もどきと、ご子息の方は中学までは日本にいたらしいので、少なくとも読めはするはずの日本語とを併記して、メールを発信しておきました。

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/the-nakada-family

#Quote
Dear Xxxx Nakada

I heard that Mr.Sakumichi (Jashuumon of Setagaya) received you and Dr. Yoshinao's mail.

We,"Kitazawa-gawa bunka isan hozon no kai(Association for preservation of the cultural heritage about the Kitazawa river [setagaya Tokyo] )" found the Web of Dr. Austin's photography in 1946-50 at Fsu, early summer of this year.

We holed workshop (Aug.) and tour (Dec.) about Dr. Austin's shooting points at Shimo-Kitazawa area.
(Please access to
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/2016-12-18.html
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52034893.html
etc.

http://kimuraken.bbs.fc2.com/ article "都市物語を旅する会@161217"
and
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html )

So, we can send agendas of the workshop and tour, and also digest copy of "Ohyama-chou si (the town history of Shibuya-Ku Ohyama town)" (there was a place of ex-Nakada's and Ex.Austin's house. attached file is an old map of Ohyama town), by e-mail, via file transfer sight ("https://www.filesend.to") or traditional mail, if you need.

                             Sincerely yours

By NIHON-GO below

 世田谷邪宗門の作道氏宛、中田ご夫妻からのお手紙が届いた旨聞き及びました.

私ども北沢川文化遺産保存の会でも、Austin博士の写真のWebを今年の初夏ころに知り、その下北沢地域での撮影場所について、8月にはその研究会、12月には探索会を開催しております。

 ご要望がございましたら、その際の資料、あわせて、かつて中田家などのありました渋谷区大山町の町史(町の昔の地図を添付いたします)のダイジェストをメール、ファイル転送サイトあるいは郵便でお送りしたいと思います。

                                   草々

           Takashi Kimura
           XX-X,1-Choume, Kitazawa,
           Setagaya city,
           Tokyo, JAPAN
           mailto:xxxxxxxx@nifty.com
#UnQuote

さて何が飛び出して来ますか…

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/31 (Sat) 19:29:56

[朔太郎書斎の火鉢の「剣山のように刺さっていたタバコの吸い殻」]

 やっと、かつて見た出典を見つけ「ウラ」が取れました。

前橋文学館「同館特別企画展『萩原朔太郎とデザイン -非日常への回路-』図録」同館/2007・刊

p.43 「住空間① 設計した家」中「代田の家の平面図」のうち「2階」抜粋を解読

 キャプションに「1986(昭和61)年、長女葉子が記憶に基づき、建設会社に依頼して、作成してもらったもの」とあるので、「タバコの/吸殻/[放置?]」と読める手書き部分は、葉子さん自身が書いたか、葉子さんからの直接の聞き取り結果を記載したものと思われます。

Have a nice year!

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2017/01/04 (Wed) 15:43:50

[2016/12/18 (Sun) 01:48:36]の

06・栄通り(=現・一番街)最北端・本通り手前から北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/9d01918ecf2a9431386c572585a5dd09.jpg

 画面正面の「出雲工業」は、作道敬子さんの聞き込みでは「この後、代沢に移った」とのことでしたが、今日、茶沢通りでそれらしき建物を見つけました。
 商号に「設備」の2文字が加わっていますが、Dr. Austin の写真の看板の、上部に書かれている業務内容は「電灯 電力 水道 衛生 暖房」、さらに左脇には「ポンプ」とあり、まさに建築物の「設備」関係ですので、まず、間違いないだろうと思います。

代田連絡線京王側分岐部 - きむらけん

2016/01/29 (Fri) 15:46:36

ここの壺庭は現存しているが、こういう角度では写せなくなっている。このときは木造のアパートが建っていたが今はマンションになってしまった。

代田連絡線京王側分岐部 その後 - きむらたかし@三田用水

2016/01/29 (Fri) 20:32:47

事前:上のページの写真は
2008年09月20日13時42分 撮影
事後:こちらは、
2012年05月06日12時15分 撮影
 【追記】
  右端の「腕」は、上の写真の手前中央の「beckykusamakura」
  <http://blog.livedoor.jp/beckykusamakura/>氏

以後、代田連絡線関係の、情報や画像(撮影年月日をお忘れなく。時期不明だと、史料価値激減)を、このスレッドに集積してゆくとよいと思います。

代田連絡線参考文献 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/02/27 (Sat) 09:34:23

*上図は「北澤警察署管内図」(昭和20年代前半)から抜粋

>写真ないし地図あり

きむらけん「井の頭線、小田急線を繋ぐ 幻の代田連絡線」Will 2013年9月号 pp.188-195

鎌田達也「井の頭線沿線の一世紀」生活情報センター/2006年・刊 pp.122・123(「新代田 環状線の真下の小さな駅が井の頭線の危機を救った」)

生方良雄「小田急の駅今昔・昭和の面影」JTBキャンブックス/2009年・刊 p.57(代田連絡線)

グラビア「1400型一代記」鉄道ピクトリアルNo.422(1983年9月臨増 <特集>京王帝都電鉄)号 p.62(左下の「珍しく貨車を牽いて走る1400形」と題する写真の画面左端に連絡線が写り込んでいる)

関田克孝「『大東急』代田連絡線」JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くⅤ」/1998・刊 pp,59-61

Web「幻の廃線」<http://www.geocities.jp/takeshi_departure/keio-odakyu.html>

>車両の復旧・運用

荻原次郎ほか「座談会:大東急の車両とともに」鉄道ピクトリアルNo.442(1985年1月臨増 <特集>東京急行)号 pp.107-112)

山岸康次郎「過ぎ去りし日々のおもいで 帝都線から井の頭線へ」鉄道ピクトリアルNo.422(1983年9月臨増 <特集>京王帝都電鉄)号 pp.98-103

斉藤秀夫「井の頭線を復興する」鉄道ピクトリアルNo.422(1983年9月臨増 <特集>京王帝都電鉄)号 pp.104-108

【追記】
ここ数年、代田連絡線を敷設した、帝国陸軍鉄道連隊の写真集が刊行されているようです。

高木宏之「日本陸軍鉄道連隊写真集」潮書房光人社/2015
同「写真に見る鉄道連隊」光人社(同上?)/2011


Re: 代田連絡線京王側分岐部 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/17 (Sat) 11:39:57

[連合軍撮影空中写真]


整理番号   USA
コース番号  M449
写真番号   120
撮影年月日  1947/09/08(昭22)

http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1179180&isDetail=true

非常に鮮明

Re: 代田連絡線京王側分岐部 - きむらたかし@三田用水

2016/12/25 (Sun) 04:26:26

本家
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52033500.html#comments
にも書いておきましたが…

[小田急史の主…]
と言ってもよい生方良雄氏の書いた
鉄ピク アーカイブス セレクション1 小田急電鉄1950-60(平14)p.47に再録の
同誌No.99(1959-10)生方良雄「私鉄車両めぐり(37)小田急電鉄」
に気になる記述がありました。
「…井の頭線永福町車庫が1945(昭和20)年5月に戦災を受け多数の電車が焼けたので急ぎ工事中の代田連絡線を完成させ,小田原線より応援車両を送った.」

つまり、代田連絡線は、帝都線永福町車庫の戦災によって、急遽いわば泥縄式に敷設されたわけではなく、もともと、戦災を想定してすでに工事が始まっていた可能性が出てきたことになります。

小田急経堂工場の転車台 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/02 (Fri) 15:45:47

[「下北沢X物語(3167)~戦時小田急入線幻のC58?~」の…]
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52033500.html

経堂の転車台。写真
整理番号 USA
コース番号 M385
写真番号 29
撮影年月日 1947/08/01(昭22)
撮影高度(m) 1524
撮影縮尺 9883
の赤矢印のところではないかと…
(1万分の1の地形図には記載がなかったのですが)

Re: 小田急経堂工場の転車台 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/08 (Thu) 13:21:17

[wiki「小田急電鉄経堂工場」]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%80%A5%E9%9B%BB%E9%89%84%E7%B5%8C%E5%A0%82%E5%B7%A5%E5%A0%B4

に掲載されている「経堂工場概要図」によれば、上の空中写真の赤矢印の場所で間違いないようです。

Re: 小田急経堂工場の転車台 - 北沢川文化遺産保存の会

2016/12/08 (Thu) 15:52:09

先月の「古老の話を聞く」では、転車台は車庫の隅にあったと言っておられましたが、確かに隅ですね。

恒例忘年会・情報交換会 - 北沢川文化遺産保存の会

2016/11/18 (Fri) 21:16:19

 間もなく十二月だ、今年もあと僅かとなった。ついこの間、夏の納涼会を行ったと思ったらもう忘年会を行う時期になった。恒例の我らの忘年会だ&情報交換会だ。

 基本、誰でも参加できる。参加した人が楽しめる会にしようとこのところ夏と冬にはずっと開いている。まずはおいしいお弁当を食べ、好きな飲み物を飲み、各自が持ってきた何か(何でもよい、手作りのパン、自宅近くの名産、亡くなった丸山さんはいつも日の出納豆持参だった)をその逸話ととも味わい楽しむ。そして語り合ったり、しゃべったり、気が向いた人は手品をしたり(今回も作道明さんが披露してくれるだろう)、歌を唄ったり、踊りを踊ったり、(ダイダラボッチ音頭の振りができているやも知れず)して楽しむものである。
 恒例のオークションも楽しめる。家でいらなくなったものを持ってきてみんなに買ってもらってその代金は会の活動費にする。夏に古い切符を持ってきている人がいてそれは忘れてしまっていた。楽しめるもの持ってきてほしい。
 必ず情報交換タイムを設ける、参加者アピールをしてほしい。


 日時、12月3日(土) 五時半から 場所 北沢タウンホール二階集会室
 参加費 3000円 会員、非会員誰でも参加できる。
 お約束の一人一品持参のこと(義務ではない)、オークション品(自宅に何かあれば)
 申し込み締め切り 11月30日(水)までに米澤邦頼に090-3501-7278
○「信濃屋特製」豪華お弁当がつく、必ず連絡を

オークション - きむらたかし@三田用水

2016/11/23 (Wed) 20:46:26

ここ1月ほど、ネットオークションに、5万分の1を中心に、戦前のものを含む地形図・地勢図が、膨大にしかも超安価に出品されていて、かねてからほしかったものを片っ端から落札してしまったのですが…

 あらためて、手許のストックを調べてみると
・父が終戦直後に(おそらく仕事の必要から)集めたもの
・ご近所のお宅の建替えにあたって、いただいたもの
・オークションに抱き合わせて出品されていたので、不本意ながら手許に来たもの
など、結構重複している地図が多いことがわかりました。

 今のところ玉石混交で10枚+ですが 全体の傾向としては、東京から西方面、甲州あたりまでの5万分の1地形図が多いのですが、オークション方式で1枚1枚やっていると、多分時間がいくらあっても足りないので、たとえば
・午後6時あたりから内覧開始
・希望者には地図にポストイットを貼っていただく
・午後7時とか切りのよい時刻から
・なんでも1枚〇百円(〇は1~3でしょうが今考慮中ですが、内覧開始時には公表)以上で
・ポストイットを貼った希望者が複数なら、その図を競り売り
・希望者が1名なら、そのまま開始価格
で放出して、売り上げは会の活動費にしたいと思うのですけど…

Re: 恒例忘年会・情報交換会 - 北沢川文化遺産保存の会

2016/11/25 (Fri) 19:19:18

ダイダラボッチ音頭の振り付け発表会を行います。

 石坂さんがほぼ振り付けを完成させたとのこと、歌おう、踊ろうダイダラボッチ音頭

Re: 恒例忘年会・情報交換会 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/02 (Fri) 00:57:14

[だいだらぼっち音頭]

ビデオ記録が必要ですね。

できれば、それを元に、こういう
https://youtu.be/ZMLcRWP_jRs
アニメが作れるとよいのですが、難しそうですね、なかなか。

公開質問 - 北沢川文化遺産保存の会

2016/11/30 (Wed) 21:33:05

世田谷まちなか観光協議会から「まち歩きコースコンテスト」の募集案内が来ました。

シモキタザワ猫町散歩

 これで応募したいと思います。海外からの観光客も対象に入るよう。で、英名をサブタイトルにつけたい、何といえばよいのでしょうか?

 ここで敢えて公開質問をいたします よろぴく

Re: 公開質問 - きむらたかし@三田用水

2016/12/01 (Thu) 23:48:47

Literary artists' alleys of Shimokitazawa district(,Setagaya,TOKYO)

下北澤文学の小路 の直訳

Cat alleys と言いたいところですが、それでは、江の島とか谷中みたいな「猫だらけの街」(写真は、2015年10月10日撮影の谷中)を期待させる、誤ったインフォメーションを発信することになるので回避。

当会のオリジナルTシャツ - 北沢川文化遺産保存の会

2016/11/30 (Wed) 18:48:21

驚いたことに市販されていた。2000円だと、
ギャランティはくれるのか?

http://up-t.jp/info.php?type=item&id=9910000066360

Re: 当会のオリジナルTシャツ - 北沢川文化遺産保存の会

2016/11/30 (Wed) 20:22:27

私たちの会は、文化探査が目的です、当会の意に沿わないものが投稿されていますがこれは遠慮なく削除します。

Re: 当会のオリジナルTシャツ - きむらたかし@三田用水

2016/12/01 (Thu) 02:00:49

ああいう…

超低レベルのデザインのものを駆逐するには、本当の当会オリジナルのものを作っちゃうに限ります。

マエストロ道吉はいうに及ばず、デザイナーはそれこそ「いぃーぱい」いるんですから、当会や周囲には。

たとえば…

「きむけんマーク」とか… ^^;

Re: 当会のオリジナルTシャツ - 北沢川文化遺産保存の会

2016/12/01 (Thu) 15:42:50

道吉さんいいですね

忘年会はこられません、機会あれば頼んでみましょうか。
誰かこの市販品頼んだ人はいるのかな?

Re: 当会のオリジナルTシャツ - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/01 (Thu) 18:54:29

>機会あれば頼んでみましょうか。

まずは、忘年会の「夕餉の話題」でしょう。
 デザイナーいかんに関係なく、数がある程度見込めないと、どうしようもありません。

野毛大塚古墳展 - 木村康伸 URL

2016/11/27 (Sun) 12:25:17

こんにちは。ご無沙汰しております。

ちょうど三年前の「第89回都市物語を旅する会」で世田谷区野毛の野毛大塚古墳を訪れましたが、その野毛大塚古墳の出土品がこの度、国の重要文化財に指定されました。

それを記念して世田谷区郷土資料館では現在、野毛大塚古墳展を開催しています。

古墳の現地では見られない出土品が一堂に展示されていますので、野毛大塚古墳をより立体的に感じることができます。図録(600円)も販売されており、野毛大塚古墳のペーパークラフトも入手できます。

会期は残りわずか(12月4日まで)ですが、興味のある方はぜひいらしてみてください。入場は無料です。


また皆さんと古墳の旅をしてみたいです。

Re: 野毛大塚古墳展 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/01 (Thu) 11:06:56

[昭和11年ころの…]

「等々力ゴルフリンクス構内大塚」こと野毛大塚古墳です。


[東京府史蹟名勝天然記念物調査報告書. 第13冊 「東京府下の古墳」]から
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1115014/58

Re: 野毛大塚古墳展 - きむらたかし@三田用水

2016/12/01 (Thu) 11:22:54

[3000分の1 帝都地形図]

忘年会&情報交換会 - 北沢川文化遺産保存の会

2016/11/24 (Thu) 16:28:45

いつもは忘年会ですが、席が固定されているので、個別の情報交換があまりできないように思います。

 従来通り席は席でいいのですが一卓ぐらいはそこに行って飲めるようにしていて、個別に情報交換をするというのはいいのではないかと。

 地図のオークションいいですね、結構好きな人いますから。
先回に出品された古切符、あらかじめこれも並べておいておきましょう。

要らないけど捨てるのはもったいないものオークションに出してください。

♢第122回都市物語を旅する - 北沢川文化遺産保存の会

2016/10/21 (Fri) 17:18:48

♢第122回都市物語を旅する
馬込文士村を歩く 案内者 松山信洋さん
 ・テーマ 女性…新しい時代の風
下北沢文士町と縁の深い、萩原朔太郎、三好達治、宇野千代旧居などを巡る。
 ・日時:11月19日(土)午後1時~4時30分ぐらい
 ・集合場所  午後13時 大森駅西口改札前
・定員:20名(先着順)
・会費:550円(資料代&保険代)
 ・申込方法:FAX または E-mail
・コース: 大森駅西口→尾崎士郎記念館→山王草堂(徳富蘇峰)→北原白秋旧居跡→山本周五郎旧居跡→尾崎士郎・宇野千代旧居跡→三島由紀夫邸→萩原朔太郎旧居跡→川端龍子美術館→村岡花子邸

朔太郎といえば… - きむらたかし@三田用水 URL

2016/10/22 (Sat) 08:11:27

朔太郎撮影の立体写真のうちの1枚です。

他のはあらかた撮影場所の見当がついたのですが、これと、あと1枚のが、わかりそうでわかっていません。
道路左の人力車と車夫の向かいの路地?にも、何台か人力車が置かれていて、これだけの需要があるのは、このあたりでは、大井町でも蒲田でもなくて、資生堂や松屋など銀座の名店も支店を出していた大森駅周囲としか考えられないのですが…。

できれば、当日ご調査を。

朔太郎の立体写真 その2 - きむらたかし@三田用水

2016/10/22 (Sat) 08:20:00

撮影場所不明写真の2つ目

こちらは、商店街と線路の角度からみて、大井町(三つ又本通り)、あるいは蒲田の可能性が高いかもしれません。

Re: ♢第122回都市物語を旅する - 北沢川文化遺産保存の会

2016/10/23 (Sun) 18:16:57

下の方の写真はだいぶ調べました。この道手前から向こうには下っていますね。大井町、道は稲毛道で、ずっと向こうにみえているのは今の東海道本線の品川道踏切ではないかと…

RE:朔太郎の立体写真 その2 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/10/25 (Tue) 14:45:05

[図は…]
昭和20年代の大井警察署管内圖の三つ又通り付近を抜粋したものですが、赤矢印の方向に撮影したとすれば画面に矛盾はありません。
ただ、それ以上のウラが取れず、大井町の商店会のWebなどいろいろ調べたものの、決め手がありませんでした。

RE^2:朔太郎の立体写真 その2 - きむらたかし@三田用水

2016/10/26 (Wed) 21:13:32

[今日入手の…]

大正15年と昭和12年の地図情報を、件の昭和20年代図にプロットしました。

 もっとも、これで、何かがドンピシャでわかったわけではありませんが…

Re: ♢第122回都市物語を旅する - きむらたかし@三田用水 URL

2016/11/23 (Wed) 10:16:37

【本編…】
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52033086.html
にリンクして、朔太郎の大森「暗闇坂」立体写真

萩原葉子「父と立体写真」より

「…父は、あえて現実であるのに現実でない、『ロマッチックな思慕』の世界へ這人り、不思議な郷愁を楽しんでいたのであろう。
 『僕の心の中には、昔から一種の郷愁が巣を食ってる』と書いてあるが、その郷愁をたぐり寄せるために立体写頁を撮ったのである。
 たしかに立体写真を覗いていると『大森駅前坂』を例にしても、前景の石垣のでこぼこから続き、後景のずっと向うの突き当たりの無い遠い道から、海の風景へとつづき、終りの無い果てしないものが浮き出て来て、時間の無い不思議な世界へと誘われる。」
(「萩原朔太郎写真作品 のすたるじあ」新潮社/1994・刊 pp.3-6所収)

Re: ♢第122回都市物語を旅する - 北沢川文化遺産保存の会

2016/11/23 (Wed) 18:49:44

馬込を巡っていくと当地の文化の深さに気付きます。

思ったことは奥さんをわざとくっつけさせて駆け落ちさせたというようなことはあったのかと。

このくらやみ坂よく残っていますね。 

終戦時の逸話は… - きむらたかし@三田用水 URL

2016/11/21 (Mon) 21:27:16

あちらにも、あちらなりにあるのですね。

「第2次大戦で日本降伏が伝えられた際、喜びに沸くニューヨークのタイムズスクエアで白衣の女性が米水兵に抱きしめられ、キスされる有名な写真で、この女性だと名乗り出たグレタ・フリードマンさんが8日、肺炎のためバージニア州で死去した。92歳だった。12日付のニューヨーク・タイムズ紙が伝えた。」
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091200849&g=soc

このショットを撮ったアイジーことアイゼンスタットの写真は好きで、かつて結構フォローしていたつもりだったのですが、不覚にも、この写真、初めて知りました。

Re: 終戦時の逸話は… - きむらたかし@三田用水 URL

2016/11/21 (Mon) 21:59:22

〔アイゼンスタットで…〕

検索すると…
こんな逸話も…

「情熱的な写真からフリードマンさんとメンドンサさんは恋人同士だったように思えるかもしれないが、実際には知り合いでさえなく、その場に居合わせただけだった。
この写真には、ジョージさんの肩の上に将来の妻リタ・メンドンサ(Rita Mendonsa)さんの笑顔も写っている。」
http://amano-jack.jp/kiji/101595

 普通の時なら、恋人の目の前でこれをやったら「タダでは済まない」はずなのですが、この時ばかりは、日本の「マツリ」と同じ「お祭り騒ぎ」だったのでしょうね。

PS:アメリカにも「かわいいお婆ちゃん」って、いたんだ。晩年の写真をみて納得。

無題 - コミ

2016/11/15 (Tue) 00:11:34

因みに、この石碑は四合目御座石浅間神社に現存しているとのこと(H9現在) 他のページをめくるとコンナ具合です。 ご興味が無いようでしたら無視してくださって結構ですので。

ダイダラボッチ万歳 - 北沢川文化遺産保存の会

2016/11/14 (Mon) 17:43:17

ダイダラボッチ音頭、ユーチューブ千回視聴達成!

 個別発信で千回は大したものです。
 石坂悦子さんにはぜひ振り付けを案出してほしいと、今メールをしておきました。

ダイダラボッチ音頭 - 北沢川文化遺産保存の会 URL

2016/09/03 (Sat) 22:57:21

ダイダラボッチ音頭 ユーチューブ再生回数800回を超えました。

 https://www.youtube.com/watch?v=DQxilyFjqWA

 地元小学校でこれを学習に取り入れようとの動きもあると聴いている。子どもに伝わることは嬉しいことだ

Re: ダイダラボッチ音頭 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/11/14 (Mon) 17:25:59

[慶祝]アクセス1000回突破

ダイダラボッチ音頭 - 北沢川文化遺産保存の会

2016/11/10 (Thu) 09:37:06

ダイダラボッチ音頭、ユーチューブでは今現在

975回再生、あと25回で千回!

 この音頭に、北沢の石坂悦子さんがふりつけをしてくれるそうな。歌おう、踊ろう、「ダイダラボッチ音頭」


https://www.youtube.com/watch?v=DQxilyFjqWA


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