FC2BBS

19675
名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

代沢小「ミドリ楽団」 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/01/07 (Sun) 15:45:07

〇新年になってミドリ楽団の在籍者から連絡があった。

 一つは、「ミドリ楽団」のレコードについて関係者にないか?と連絡を取っていたところ。三枚持っているうち、一枚は割れたが後はあるとのこと。

 もう一つ持ち上がったのは「ミドリ楽団同窓会」のことだ。

 現在のところ四五名に連絡が取れるようになった。さしあたって、連絡を取って小さな集まりをしたらどうか。
 邪宗門に集まって、ミドリ楽団の在籍時の話をそれぞれがする。もう一つは、レコードを聴くというものだ。

 さしあたって小さな集まりをして、できることなら一世一代「ミドリ楽団同窓会」を開くというものだ。

 ミドリ楽団在籍されておられた方は、当方に連絡をください。aoisigunal@hotmail.com

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/01/07 (Sun) 22:54:29

ミドリ楽団のレコードについて、再度連絡があり、またレコードがみつかったと。

 必死に探し回っていたがルートを辿れば容易にこのレコードに行き着く。またミステリアスな年になりそうだ。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - きむらたかし@三田用水

2018/01/12 (Fri) 17:51:11

〔デジタル・データ化〕

気づかぬ間に、ここまで進んでいたとは!

2週間ほど、原盤をおあずかりできれば、レコード会社や放送局のレベルまでは無理ですが、ほぼ遜色のないデジタル・データ化ができると思います。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/01/12 (Fri) 18:44:33

〔デジタル・データ化〕

 失われたレコードの情報が集まりつつあります。今は、安倍圭子さんが動いてくれています。他にも声を掛けてくださるとのこと。
 器楽関係の全国学校音楽コンクールは今は盛会ですが、その端緒を作ったのはミドリ楽団です。教本レコードとしてコロンビアが出したようです。その知られていない真実をできれば知らせていきたいとのこと。

 レコードはミドリ楽団の集まりのときに持ってくるように伝えます。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」同窓会 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/02/08 (Thu) 17:30:22

これまた話がどんどん進んでいます。
 まず、会報でミドリ楽団の同窓会を開いたらどうかという提案をしました。

 この話、方々に伝わりました。3月22日(木)19:00に安倍圭子さんの傘寿記念演奏会があります。これには地方在住のミドリ楽団団員も来られるとのこと。

 それで翌日23日にミドリ楽団同窓会を行ったらということになり、実施することになりました。当初は、邪宗門でやる予定でしたが、どうも十名以上になりそうです。

 それで今日、代沢小に連絡して、同窓会を行うので音楽室を使わせてもらえないかと御願いしました。この許可は受けました。プログラムとしては、まずレコードを聴きます。
 つぎに楽団員から当時の思い出を語ってもらいます。
 15時から17時までを予定しています。同窓会以外も参加OKとしました。ただ、代沢小SPは聴けないそうです。

 明日、ミドリ楽団団員と渋谷で会います。彼女は三枚レコードを持っています。これを借りてきます。
 なるべく早く邪宗門にこれを持っていきたいと思っています。デジタルデーター化をよろしく。
 CDはこちらで用意したいと思います。品番と枚数の指示をよろしく、御願いします。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/09 (Fri) 16:23:59

〔進行状況〕
 昨晩、カートリッジ(昔風に言えば「ピックアップ」)Shure M75e ED を引っ張り出し、それに SP盤専用の針 N75-3 をセットしました(どちらも30年ほど前「絶滅危惧種」になったときに入手して以来、秘蔵していた「未使用品」です)。
 ターンテーブルは、半年ほど前にベルト交換と注油済なのですが、一つだけ自力で直せるはずのマイナー・トラブルがあるので、修理方法を検討中です。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/02/09 (Fri) 18:31:56

返答をありがとうございます。

・今日は、レコードを持ってきてくださった内山さんと井の頭線ホームで出会って、そのまま邪宗門に行きました。

 1、レコードは聴けました。
 2,邪宗門でも店の機器でCDに焼けるとのこと。
 3,代沢小にはレコードプレイヤーがないとのこと。
   邪宗門のを持っていけば聴けるとのこと。
 4,今日、内山さんから預かったレコード三枚は
   邪宗門に預けてきました。
  どうかよろしく御願いします。 

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - きむらたかし@三田用水

2018/02/11 (Sun) 16:31:04

>1、レコードは聴けました。
>2,邪宗門でも店の機器でCDに焼けるとのこと。

・SP版は、ちょっとした「はずみ」で割れちゃうことがあるのと
・当方も「計算上」はOKですが、やってみなけりゃわからない要素がある
ので、まずは「保険」。というわけで、まず、邪宗門さんでCD化していただいてください。

その上で、連休明けに折をみて、邪宗門さんに取りにうかがうことにいたします(どうガードして、安全に運ぶかも課題ですけど)。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/18 (Sun) 23:57:04

〔連携プレーで…〕

無事デジタル化完了。
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/02/spcd-9869.html

CDは、邪宗門で聞けます。

ついでに、ジャケットの写真も、少々シャープにデジタル処理しました。

都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/17 (Sat) 16:42:39

[今日は…]

皆様、お疲れ様でした。

取り急ぎ、お約束した、旧・東北沢4号踏切北の小田急築堤にあった、里俗・森厳寺川のカルバートです(2004年8月撮影〔TeleElmarit(2nd.)〕)。

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/17 (Sat) 16:57:05

[別アングルで…]

上流(西)側の水路跡を入れたもの(2003年1月ころ撮影〔Elmar135(M)〕)

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/18 (Sun) 01:48:36

[レジュメ前半]

北沢川文化遺産保存の会 定例ツアー「都市物語を旅する会」第123回       平成28年12月17日(土)
「下北沢の終戦直後(1946~1950)のカラー写真跡を歩く」
              キュレーター きむらたかし

1 Dr.Austin 撮影写真について
 1903年にニューヨーク州で生まれ、ハーヴァード大学で博士号を受けた、アメリカの鳥類学者Dr. Oliver L. Austin jr. は、アメリカ陸軍の推挙により、1946年、連合軍占領下の日本に赴任、日本国内の鳥類の調査のかたわら日本の鳥類学者とも交流を深めている。
 同博士が遺した、日本各地の戦後まもなくの情景を捉えた空気感や臭いまでも伝わるような鮮明なカラー映像は、米国フロリダ州立大学のWebで公開されている
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/ )。

 それらの中で、特に注目されるのは、博士が、代々木大山町にあった連合軍接収の官舎(#665)に住んでいた関係からか、数多く撮影されている当時の下北沢の街の「まるで戦争などなかったように見える」日常的な風景の写真群である。
 1年ほど前、連合軍による日本占領について、若い方の中には、たとえば下北沢の街角のあちらこちらに土嚢が積まれ、その中で兵士たちが自動小銃や機関銃を構えて常時警戒している、という今の中東のそこここで見られるような情景をイメージしている方もいるのを知って呆然とした覚えがある。

 しかし、これらの写真を見れば、民間人の「学者さん」が、妻子や友人を連れ、人目を引く真っ赤なジープ(何枚かの写真に写り込んでいる)に乗って、「丸腰」で東京の町中を走り回っていたことが、理解できると思う。

 それらの撮影場所の「今」を訪ね、Dr.Austin撮影の写真との対比を試みる。
  
The Oliver L. Austin Images

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/

同解説ページ by Takashi Kimura
【「今」の写真は、こちらで】
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html

01・北口駅前から北方向〔「パン近江屋」=現・カルディのビル〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/cec70103e8117354303c97a8c4bbf4ee.jpg
02・北口駅前通り〔「近江屋不動産」=現・横浜銀行のビル〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/b4c2cea35381773074d21ebce9df2908.jpg
03・本通り(=現・一番街) 「宮田家具店」
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/9c13b826c1930322b60c1189433fb513.jpg

04・本通り(=現・一番街)中程から西方向〔正面奥右が「宮田家具店」〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/2f935400ef04dcfa5979eba93ca57687.jpg
05・本通り(=現・一番街)「稲毛屋金物店」
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/d3b2e888c3a4613d23dc424791b778f5.jpg
06・栄通り(=現・一番街)最北端・本通り手前から北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/9d01918ecf2a9431386c572585a5dd09.jpg
【追記】
 写真正面の「出雲工業」の移転先と思しき建物を見つけたので、このスレッドの末尾に追記します。

07・栄通り(=現・一番街)北から4分の1あたりから北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/f274e0c55404d7da8da9144a60547a2b.jpg
08・栄通り(=現・一番街)南から4分の1あたりから北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/76c893b396a9180bedc7ffe48a19d54b.jpg

09・栄通り南端(=現・一番街)から北方向(元・東北沢6号踏切西脇)
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/79f9fa74986248ab9ff5b355bab84e50.jpg
10・現・オオゼキ~駅南口の小田急線東沿いの道を元・東北沢6号踏切東脇から南方向〔架線柱は「帝都線」〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/d8a398fde1bcc9f47377545efcbda347.jpg
11・下北沢駅南口駅前〔右端の「果実丸万」=現・マクドナルド〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/0031018287881a6a69a388b4325bcfd0.jpg
12・南口通り商店街 現・DOCOMO・Softbank前付近から南方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/37a93b2a4c45e7cf8dcdeb86818b691a.jpg

13・南口通り商店街 現・ミスタードーナッツの角を北方向から〔「配給」との解説付き〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/af57130b14be12c1a5c0d387df492f15.jpg
14・「砂場」南隣の八百屋店頭〔イチゴの木箱が懐かしい〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/a9e5deff6fa2cbe0dc71bbc3349d2955.jpg
15・南口通り商店街「砂場」南方から北方向 【註:Web上の写真は「裏焼き」】
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/151d9f3c1dd8c42dd7ecd4f99c30595f.jpg
16・南口通り商店街南端付近から南方向〔画面奥の支柱付きの電柱の場所が膳場青果店〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/494d7c976ef0fea0ff3b45730b4d2dd7.jpg

*地図の原図は、住宅協会発行の「世田谷住宅地図1962年度版」(米澤氏発掘)

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/18 (Sun) 01:57:29

[レジュメ後半]

2 里俗・森厳寺川跡を歩く
 徳川家康の次男で越前北ノ庄藩初代藩主だった結城秀康の位牌所として、慶長13(1608)年に建立されたといわれる森厳寺〔正式には「八幡山 浄光院 森巌寺」〕。
 その境内の西脇を流れ、現・世田谷区立代沢小学校の南東で北沢川〔北沢用水〕に合流することから、森厳寺川と呼び習わされていた川跡の暗渠を、元・膳場青果店東方から後述の「東京セロファン工場」跡地まで、北に向かってたどる。
 今は暗渠化され、ほとんどが遊歩道や駐輪場となっているが、現・世田谷区立北沢中学校北東にあった湧水などを水源とするこの川は、かつては旧・下北澤村の中ではほとんど唯一の水田地域(現・茶沢通りと遊歩道の間)を潤していた川で、上流部には北沢小学校北脇からの三田用水の「山下分水」が合流していて、明治期にはその分水路で水車が稼働していた。

3 「東京セロファン紙工場」について
 この工場は、我が国におけるセロファン紙製造の嚆矢である。
 セロファン紙は、1908(明治41)年にスイスのブランデンベルガ―が発明し、1912(同45)年ころに製品化され、大正期に入ると、我が国にも、食品、特に菓子の包装材として輸入されはじめていた。
 大正10年、脱脂綿を溶解したビスコースを使って電球のフィラメントを作る実験をしていた杉山繁太郎が、偶然セロファンの製法に気付いて渋谷区西原の自宅で研究を行った後、同12年、当地〔東京府荏原郡世田谷町大字下山谷577番地〕に試験的な工場を建てた。
 杉原は、大正15年、同地に、蓄電池製造業者であった河合光治の出資を得て光進社を設立したが、経営不振から、昭和4年に、星野錫〔せき〕らが設立した東京市日本橋区通二丁目2番地6に本社を置いた東京セロファン紙株式会社がこの工場を引き継いだ。
 しかし、同社の世田谷工場〔敷地477.67坪、建物126.10坪〕となったこの工場は、
・ 敷地狭小のため、半幅〔幅45センチ〕の製品が限界で、いわばグローバル・スタンダードである全幅〔幅1メートル〕のものは製造できず、また、その総製造量の面でも限界があった。
・ 同工場のボイラーに石炭を使用していたため、煙突から排出される煤煙について、住宅地化の進む周辺の住民からたびたび苦情が寄せられるようになった。
といった事情を抱えていた。
 昭和8年に同市足立区南鹿浜町に建設された、敷地が広大で水運の便もある同社の王子工場に製造拠点を集約する一環として、昭和11年5月9日に閉鎖、同12年に敷地も売却された。

【参考資料】セロファン紙製造と「水」
 セロファンは、かつて「透明 紙」「紙 ガラス」と呼ばれていたことからわかるように、その原料は、普通の「紙」と同じで、木材を粉砕して作るパルプや綿などの主成分のセルロースである。
 パルプなどを、水酸化ナトリウムなどのアルカリと二硫化炭素で溶かして暗褐色のコロイド状のビスコースを作り、それをスリットに通すなどして薄く成型したものを、硫酸(や塩酸)などの酸で中和して元のセルロースに戻すことによって製造される。
 これらの酸は、高濃度のものを水で希釈して用いていたと思われるが、ビスコースを中和してできた直後のセロファンの表面には、酸がある程度は残ってしまい、その洗浄のための水が必要となるはずで、現に、前掲の「世田谷工場のスケッチ」にも円筒状の水タンクと思われるものが櫓の上に載っていることが見て取れる。
 この敷地の東には、北沢川(北沢用水)の支流の里俗・森厳寺川が流れており、この川には、前述の、三田用水の現・北沢小学校北にあった山下分水が流れ込んでいたので、最初は、この水を利用していたのかとも考えたが、「スケッチ」を見ると櫓の右下に井戸用のポンプ小屋と思われる建屋があるのと、無色透明が特長のセロファンは、とりわけ汚れを嫌うはずなので、井戸水を製品の洗浄に使っていた可能性が高そうである。
 しかし、洗浄水の排水については、下水道が未発達の時代なので川に流していたと考えるほかなく、「水は三尺流れれば澄む」で、現代のように再処理など「考えてもいなかった」だろうから、「硫酸」などの希釈水が森厳寺川に流れ込んでいたことになる。

*図は、東セロ株式会社 社史編纂室・編「東セロ70年史」同社/2000年・刊p.3より
 画面手前が南の由
 したがって、奥の横方向の道と左端の道が茶沢通り

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/19 (Mon) 02:44:48

[ようやく発掘した…]

カルバートの東側の写真です。

 画面右方向が築堤。手前の穴で、築堤上部からの水を合流させて、そのまま、画面左方向にある下流の暗渠に繋がっていると思われる。

この構造物は、今も残っている。
(2006年11月撮影〔Summaron 3.5(L E39)〕)

*これにて、小田急の森厳寺川カルバート関係写真の「虫干し」完了。

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/19 (Mon) 19:12:34

[世田谷町大字下北澤3丁目〔旧〕字新屋敷1008番]

旧^2朔太郎邸裏木戸からの「敷島」最短ルート
(詳細は
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/51975452.html

の解説図です。

この家の勝手口+裏木戸+裏路地の存在がわかったので、
・女物の下駄を履いて
・ほとんど寝巻で
朔太郎が下北沢の街を徘徊した理由が「合理的」に説明可能になりました。

夜が明けるのを待って一番街(本通り)の煙草屋に「敷島」を買いに行くときの、

図の緑色が、正規ルート
  (男物の下駄を履いてゆくにはこのルートしかない)
同じく水色が、勝手口→裏木戸を使ったショートカットルート
  (女所帯でもあって勝手口には男物の下駄がないので、
   急ぐ時には、女物の下駄を履くしかない。
   さりとて、勝手口に男物の下駄を常備しておくのは
   御用聞きなどの目もあり、萩原家の沽券にかかわる)
と、いうわけですね。

 その所要時間の差は、せいぜい数十秒でしょうが、
・夜中にタバコを切らし
・火鉢の灰の中の吸殻を発掘しながら吸うが
  (代田時代の話だったと思いますが、葉子さんによると
   書斎の火鉢の中に吸殻が「剣山のように」刺さってい
   た由)
・それも吸い尽くし
・悶々としている裡にようやく夜が明けて…
・煙草屋が開く時刻を待ちかねて家から飛び出してゆき
・開店支度中の、まだ木戸を開けたばかりの煙草屋に飛び込んで
・「敷島」を購う
という状況が想定されます。

 「たかが」数十秒なのですが、それが「タバコ呑み」には、「永遠」とはいえなくても、少なくとも「一劫」*には匹敵する貴重な時間なのですよね。

http://blog.goo.ne.jp/nammkha0717/e/5274cc751e8173af47f280776cdefee1

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/26 (Mon) 00:59:46

[Dr.Austin の…隣家のご子息からのお手紙]

 先日、邪宗門にニュージャージ[US]からの手紙が届いたと聞き及び、それが何やらNakadaという人からのもので、件のDr.Austinの写真が4枚同封されていたとのことから、もしやと思って調べてみたら…

なんと、大山町の Dr.Austin の隣家のご子息(と、いっても around eighty)らしいことがわかりました。

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/the-nakada-family

 送り状も何も入ってないので、手掛かりは発信人の住所のシールだけ。

 米澤氏の調査で、奥さんのメールアドレスらしきものはわかったものの「誤爆」は避けたいので、念のため、金ちゃんに facebook を調べてもらったら、上のサイトにある写真と夫婦とも全く同じ顔。

 と、いうわけで、英語もどきと、ご子息の方は中学までは日本にいたらしいので、少なくとも読めはするはずの日本語とを併記して、メールを発信しておきました。

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/the-nakada-family

#Quote
Dear Xxxx Nakada

I heard that Mr.Sakumichi (Jashuumon of Setagaya) received you and Dr. Yoshinao's mail.

We,"Kitazawa-gawa bunka isan hozon no kai(Association for preservation of the cultural heritage about the Kitazawa river [setagaya Tokyo] )" found the Web of Dr. Austin's photography in 1946-50 at Fsu, early summer of this year.

We holed workshop (Aug.) and tour (Dec.) about Dr. Austin's shooting points at Shimo-Kitazawa area.
(Please access to
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/2016-12-18.html
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52034893.html
etc.

http://kimuraken.bbs.fc2.com/ article "都市物語を旅する会@161217"
and
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html )

So, we can send agendas of the workshop and tour, and also digest copy of "Ohyama-chou si (the town history of Shibuya-Ku Ohyama town)" (there was a place of ex-Nakada's and Ex.Austin's house. attached file is an old map of Ohyama town), by e-mail, via file transfer sight ("https://www.filesend.to") or traditional mail, if you need.

                             Sincerely yours

By NIHON-GO below

 世田谷邪宗門の作道氏宛、中田ご夫妻からのお手紙が届いた旨聞き及びました.

私ども北沢川文化遺産保存の会でも、Austin博士の写真のWebを今年の初夏ころに知り、その下北沢地域での撮影場所について、8月にはその研究会、12月には探索会を開催しております。

 ご要望がございましたら、その際の資料、あわせて、かつて中田家などのありました渋谷区大山町の町史(町の昔の地図を添付いたします)のダイジェストをメール、ファイル転送サイトあるいは郵便でお送りしたいと思います。

                                   草々

           Takashi Kimura
           XX-X,1-Choume, Kitazawa,
           Setagaya city,
           Tokyo, JAPAN
           mailto:xxxxxxxx@nifty.com
#UnQuote

さて何が飛び出して来ますか…

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/31 (Sat) 19:29:56

[朔太郎書斎の火鉢の「剣山のように刺さっていたタバコの吸い殻」]

 やっと、かつて見た出典を見つけ「ウラ」が取れました。

前橋文学館「同館特別企画展『萩原朔太郎とデザイン -非日常への回路-』図録」同館/2007・刊

p.43 「住空間① 設計した家」中「代田の家の平面図」のうち「2階」抜粋を解読

 キャプションに「1986(昭和61)年、長女葉子が記憶に基づき、建設会社に依頼して、作成してもらったもの」とあるので、「タバコの/吸殻/[放置?]」と読める手書き部分は、葉子さん自身が書いたか、葉子さんからの直接の聞き取り結果を記載したものと思われます。

Have a nice year!

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2017/01/04 (Wed) 15:43:50

[2016/12/18 (Sun) 01:48:36]の

06・栄通り(=現・一番街)最北端・本通り手前から北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/9d01918ecf2a9431386c572585a5dd09.jpg

 画面正面の「出雲工業」は、作道敬子さんの聞き込みでは「この後、代沢に移った」とのことでしたが、今日、茶沢通りでそれらしき建物を見つけました。
 商号に「設備」の2文字が加わっていますが、Dr. Austin の写真の看板の、上部に書かれている業務内容は「電灯 電力 水道 衛生 暖房」、さらに左脇には「ポンプ」とあり、まさに建築物の「設備」関係ですので、まず、間違いないだろうと思います。

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/17 (Sat) 15:58:02

[オースティン博士の写真展]


当方のブログについたコメント
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html#comment-141333416
によると
本2018年3月
九段下の昭和館
で、オースティン博士の写真展が開催されるようです。

詳細がわかりましたら、ここに追記します。

がありましたので、下記のとおり回答しておきました。

なお、この昭和館では、78回転のSPレコードの音声のデータ
ベースを構築中のようです。

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/18 (Sun) 17:07:52

[オースティン博士の写真展]

まだ「予告」段階ではありますが…
会期は3月10日から5月6日
とのことです

http://www.showakan.go.jp/events/index.html

2018/02/18 - きむらたかし@三田用水

2017/12/24 (Sun) 00:53:14

[この工事]

代替バスのルートとか、いろんな意味で見ものかもしれません。

Re: 2018/02/18 - きむらたかし@三田用水

2018/02/10 (Sat) 18:05:24

【速報】
 この工事、どうやら、すでに京王井の頭線下北沢駅北東にセット済の、写真の巨大な鉄筋コンクリート製の橋げたを「横にずらして」既存のそれと入れ替える算段のようです(はるか昔の世田谷代田の西の環状7号をまたぐ陸橋の架設工事に似ています)。
 したがって、前夜の終電後の25時ころから取り掛かって、どうやってみても、夜間だけでは終わらないので、18日の昼まで電車を止めるほかないのでしょう。
 「野次馬」としては、
・この工事を一部始終を観察できる場所があるのか
・この工事の、いわば「見せ場」は18日の何時ころか
に興味があるところです。

狼谷情報を求む - 北沢川文化遺産保存の会

2017/12/21 (Thu) 12:57:50

ブログで狼谷のことを書いたら、リンクしているフェイスブックで盛り上がってしまいました。

 発端は古老のコメントです。(三十尾さん)

①狼谷 懐かしい地名 小生の秘密の遊びは この辺りが多かっッタ 魚はべた めだか, 鳥は オナガ アオジ ヒヨドリ うぐいす カケス メジロ ホオジロ シジュウカラ キクイタダキ コノハズク フクロウ これらは全てここで覚えた。
②こわい 恐ろしいとこだった これに焼き場 医療少年院ときたから オドロオドロしいいところだった。

皆様、狼谷情報をください。

Re: 狼谷情報を求む - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/21 (Thu) 19:20:00

「リンクしているフェイスブック」のアドレスが、ブログ右端のリストをどう探してもわからないのですが…

それはともかく

「新編武蔵風土記稿」には

「 火屋 村の西にあり、此辺を狼谷と云、広さ九百坪…四ツ谷西念寺、勝興寺、戒行寺、麹町栖岸院、心法寺、五ヶ寺の拝領地にして荼毘所なり、文禄年中〔註:1592-96〕まで 四谷千日谷にありしか、後年千駄ヶ谷村に移り、寛文四年〔註:1664〕八月当所に移されしと云」

〔巻之十一 豊島郡之三
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763977/7

とあります。



 池ノ上あたりの古老は、比較的最近まで「狼谷の焼き場」と呼んでいましたし、当方も「代々幡斎場」と言われるより「狼谷」と言われた方がすぐに場所がイメージできます。

なお、昭和22年当時は
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.40.48.891N35.40.10.056/zoom/11/?data=showa-22

同38年当時は
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.40.48.891N35.40.10.056/zoom/11/?data=showa-38

Re: 狼谷情報を求む - きむらたかし@三田用水 URL

2018/01/12 (Fri) 00:06:50

〔今日…〕

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館に行きました折、ロビーの書棚に
堀切森之助・編「幡ヶ谷郷土誌」幡ヶ谷を語る会/1993・刊
(ただし、渋谷区立図書館の書誌データや文体などからみて、原文は昭和12年ころ書かれたらしい。)
があったので、道路・水路・公共交通関係の部分をコピーしてきました。

その、「世田谷道(鎌倉街道)」の項(pp.35-)の末尾近くに、駒場道について

「執れは甲州街道開通後に造られた路ではあったらうが、古くから開かれてゐたであらうといふ事は、甲州街道からの分岐點の西角に幅八寸、厚さ六寸、高さ三尺程の「おほかみだに道」の古い石標があった事でも知る事ができる。唯だ惜しむらくは少年の頃に深い関心も無く見過ごして来た事であるから、その建立歳次の記憶が無い事である。しかしその歳次を知り度いと思へば大正の末年頃、この畑中道にも等しい小径を現在の三間道路に改修した際、この道路の下を東から西へ流れる下水道の暗渠の側溝材料に、此の石標を西角寄りへ埋没するのを目撃して居るのであるから、其所を掘返したならば此の石標を得て歳次を知る事も出来るであらう。
 元来此の道は駒場道の本道では無い。それが地理的條件と時代の推移によって甲州街道開通以前から存在したであらうと推定される本道を、今は廢道同様の有様に変ぜしめて自ら隆昌を衿って居るが、これも寛文四年(一六六四年)八月以来代々木大上谷(狼谷)火葬場への道として、(新編風土記曰ふ。四谷西念寺勝興寺戒行寺麹町栖岸院心法寺五ヶ寺の拝領地、同上年茶毘所を造ると)多くの亡き人々の霊を送迎してゐるがため、その功徳によって本道以上に榮えたのでもあらうか。」(p.38)

とありました。

文中の「おほかみだに道」と刻まれた旧い石標。今も甲州街道と駒場道の交点付近の地中に眠っているのかもしれませんね。

(地図の原図は
東京逓信管理局「東京府豊多摩郡代々幡村」逓信協会/M44・刊
< https://www.tokyo-23city.or.jp/base/archive/home51files/Yoyohata-Toyo_CHOSON/Yoyohata-Toyo_CHOSON_kmview-zoom.html >参照)

Re: 狼谷情報を求む - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/05 (Mon) 19:59:00

〔幡ヶ谷地蔵窪の…〕
お地蔵さん、「廃道寸前だった」駒場道の旧道、そして、ついでに牛窪のお地蔵さんを、昨4日に見てきました。

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/02/post-619a.html

2体+のお地蔵さん、どちらも、像が安置されている近代的な堂宇をみると、地域の方々の篤い信仰を集めていることが、よくわかりました。

松澤の「将軍池公園」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/01/28 (Sun) 15:53:17





















[今日…]
午後、上北沢に用事があったので、帰りに、北澤川源流部で旧都立松澤病院内の(名物患者の名前に因む)将軍池と(その主治医の名前に因む)加藤山の東側の道路までの部分が、公園として整備されたらしいので、見に行きました。

写真奥の茶色い柵の向こうの黒い部分が将軍池、その奥が加藤山。

Re: 松澤の「将軍池公園」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/01/28 (Sun) 16:06:40






















〔そのうち…〕
古墳と見間違える人も出てきそうです。

Re: 松澤の「将軍池公園」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/01/28 (Sun) 17:44:30

〔ここに…〕
アクセスされる方には、ほとんど「釈迦に説法」かもしれませんが、現地の説明板。

加藤医師の「作業療法」への取り組みについては、他に「硬い」文献もあるのですが、とりあえずは、これ
http://jsmh.umin.jp/journal/39-3/393-394.pdf
が、最も端的かもしれません。

他の史料をみてみると…
・それまで「ほとんど半裸で過ごし、発言も何を言っているのかわからなかった」患者さんが
・この、将軍池/加藤山の作業に従事しているうち
・服を付け、自ら現場で作業する他の患者さんを指揮をするようになった
といったエピソードなど「目からウロコ」の情報も数多いのですが…

ps:加藤医師は後に下北沢に精神科医院を開設。同院は、ご子孫によって、今も存続しています。

Re: 松澤の「将軍池公園」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/02 (Fri) 10:43:31

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1050346/9

〔このあたりの…〕

水路、つまり、北沢用水/北沢川について、ここ
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/02/post-902c.html
にまとめてみました。

特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/10/17 (Tue) 18:46:54





















[標記の特別展が…]

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 で
平成29年10月28日(土)~平成30年1月21日(日)
開催されます。

https://www.city.shibuya.tokyo.jp/edu/koza/12kyodo/tenrankaishousai.html#15

展示物の提供(何かは見てのお楽しみ)など、少しばかりお手伝いさせていただいた折に聞き及んだところによると、西隣の世田谷区東北部、とりわけ帝都線や玉電沿線の住民にとっての見所は…

・明治18年に日本鉄道品川線(現・山手線)開通時に、今の湘
 南新宿ラインの渋谷駅(俗称・南渋谷駅)のところに、渋谷
 駅が開業して以来の変遷を、とくに大山街道を走った玉電や
 市/都電の停留場との関連を含めて示す展示
そして
・昭和39年のオリンピックを前に、首都高速3号線工事の進む
 東口駅前を中心に再現したジオラマ
  このジオラマ、かつて、東急プラザの閉館直前の展覧会
  で見たのですが、ヤジロベエ式の首都高3号線の橋桁工
  事、東横百貨店屋上の遊戯施設、工事中の東口周辺の道
  路の「ヤレ」た路面、など感動モノでした(写真は、そ
  の折のもの)

・渋谷駅からハチ公バスが使えるので、交通費低廉
・60歳以上入館無料(要証明資料提示)
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kyodo/index.html
なので、是非お運びを。

「上水記展」@東京水道歴史館 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/10/20 (Fri) 10:19:50

[秋のイベントもう一つ]

東京都水道歴史館(水道橋近く!)で
29年10月28日~11月5日
と、こちらは、史料(上水記原本)の劣化予防のためか短期開催

詳細は、下記リンク先で
http://www.suidorekishi.jp/event.html#event_josuiki

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水

2017/11/02 (Thu) 18:55:11

〔「上水記展」@東京水道歴史館〕

「一度は『上水記』の原典を見なければ」という一種の義務感もあり、また会期も短いことから、10月31日に、たまたま「外回り」の用事の後で立ち寄ってみました。

各地で出土した、上水の木製の埋樋の現物が展示されていて、その一部は「触ってよい」というのはありがたいのですが、写真撮影禁止というのは、これからオリンピックが来る東京都の機関としては「グローバル・スタンダード違反」でした。

「何とかしろよコイケ」という気分で、館をあとにしたのですが…

ひょこっと周辺を見回すと、玄関を出てすぐ左に細い通路。

実は、この場所、東京都水道局の「本郷給水所」の敷地らしいのですが、通路に沿って裏に回ると、何と神田上水の石積みの白堀(開渠)が復元されています。


Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/11/06 (Mon) 15:24:34

〔地図で見る世田谷〕

世田谷区立郷土資料館 で
平成29年10月28日(土曜日)から12月3日(日曜日)まで
開催。

http://www.city.setagaya.lg.jp/event/1991/d00155970.html

詳細は、ここ
http://www.city.setagaya.lg.jp/event/1991/d00155970_d/fil/dayori67.pdf

何といっても、「ほとんど宝箱」のDVD付き図録が魅力です。

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/11/06 (Mon) 18:58:07

「ヤジロベエ式の首都高3号線の橋桁工事」は良く覚えています。渋谷警察署の裏手で小父が徽章店を営んでいて、よく手伝っていました。東急文化会館の前の電車プールから須田町行きの電車にはよく乗りました。
 何となくうっすらと記憶にあるのですが、確か、ディビダーク工法とか言っていたように、検索で調べたら合っていた。

・渋谷警察側の道路予定地に中華料理屋さんがあって、この焼きそばは美味かった。今でも思い出します。
 ちょっと忙しいけど会期中には行こうと思います。

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水

2017/11/07 (Tue) 22:53:36

〔地図でみる世田谷〕

世田谷郷土資料館の特別展に
「図録が売り切れてしまう前に」
と、今朝アサイチで寄ってきました。
   
 図録+そのpdfを収録したDVD+職業別明細図のレプリカ付き。

 内容は、もう世田谷の地図だらけ(画像は、そのインデクス・ページ)。
 収録画像も世田谷全域の図となるとさすがに苦しいのですが、地域を限った図だと、細部の文字まで読み取れる高解像度です。

 冊子版の図録の厚さも約1センチとものすごいものでした。

 いや、手に入れられてよかった。

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水

2017/11/08 (Wed) 08:56:06

〔地図でみる世田谷〕

大日本職業別沿革図では、下北沢あたりが込み入っていて、図録のデータでは細部が読み切れませんので、接写してきた写真を加工しました。

これは、昭和7年版の世田谷中原付近(11月26日再々撮影版)

12年版は図録の附録のレプリカで十分読み取れます。

PS:こうなると欲がでてきて、もっと鮮明なデータが欲しくなります。
  ノンフラッシュなら展示物の撮影OKなので、会期中にもう一度は接写に強いレンズ付きのカメラで、昭和7年図と10年図の下北沢~代田地域を撮って来たいと思います。

【追記】
で、撮ってきました。

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2017/11/post-1291.html

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/01/12 (Fri) 19:04:40

やっと特別展に出かけた。
 國學院大學の側なので図書館に行った。
 ①当会の「ダイダラボッチの紀要」の寄贈。
   目を通してから収蔵を決める。
 ②貴館に所蔵されている「ダイダラボッチ」についての
  論考を閲覧したい。 居住区の図書館の紹介状を

 特別展、当然ですが写真撮影禁止。
 ネットでは「海外の美術館は、撮影OKのところも多くて初めて海外の美術館に行ったときは、カルチャーショックでした。」とあった。どうも日本の場合は杓子定規だと。

 受付の人はかなり知識レベルの高い人でだいぶ話こんだ。
 当会の、文化地図を送りますと約束した。

 きむらたかしさんを知っている学芸員の人はいなかったけれど、名刺をおいてかえったら本人から電話があった。

 渋谷区に居住した文人と文士町に居住した文人との繋がりがあまりないように思った。

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水

2018/01/13 (Sat) 01:13:43

[世田谷と渋谷]

>渋谷区に居住した文人と文士町に居住した文人との繋がりがあまりないように思った。

確かに、双方に共通しているのは、竹久夢二位しか思い至りません。
 しかし、画家では、高須光治は、代々木山谷に住んだ岸田劉生の直弟子ですね。

>受付の人はかなり知識レベルの高い人でだいぶ話こんだ。

 確かに、あのおばちゃん、気配り経験知ともに、かの地の小説に出てくる、英国の図書館の女性ベテラン司書を髣髴とさせる面があります。

新年のご挨拶 きむらたかし@三田用水 URL

2018/01/01 (Mon) 15:12:02

皆様の本年のご多幸をお祈り申し上げます。

きむらたかし

2017年、当会の十大ニュース募集。 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/12/29 (Fri) 18:04:53

思いつくかぎりを挙げてみる。

・下北沢文士町文化地図第七版の発行
・紀要「ダイダラボッチ」の発行
・戦争経験を聴く会、語る会、第10回の開催。
・「帝音」をテーマとした第三回北沢川文化遺産保存の会の研 究会の開催。
・フロリダ州立大学に申請していたドクターオースチン写真の 使用許可願いがおりたこと
・暮れの忘年会で、ロスコンパニェロスの素晴らしい美声が聴 けたこと。
・計画していた街歩き、ダイダラボッチ跡を歩く、武蔵野文学散歩の二回が降雨で中止になったこと。
・世田谷区に申請していた絆予算が満額下りたこと。
・解体される代沢小から長机2&椅子十数脚の永久貸与を受けたこと

 みなさん思いつくことはありませんか。

Re: 2017年、当会の十大ニュース募集。 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/12/30 (Sat) 08:47:55

つけくわえ

・街歩き、初の車による県外旅行実施 山梨県
・ダイダラボッチ音頭
 2017年12月30日 視聴1400回超える!
 https://www.youtube.com/watch?v=DQxilyFjqWA

第134回 街歩き - 北沢川文化遺産保存の会

2017/12/06 (Wed) 18:17:55

12月16日(土) 午後1時 京王線幡ヶ谷駅改札前
 案内人 渋谷川・水と緑の会 梶山公子さん 
 渋谷川の跡を歩く

コース:幡ヶ谷駅→玉川上水・二字橋→宇田川水源の地(JICA・NITE)→旧徳川山脇の流れ→大山の池→底抜け田んぼ(小田急線南側)→西原児童遊園地→小田急沿線の小川跡→田中地蔵→山手通り下・流れの合流点→新富橋→初台川→代々木八幡と縄文古代住居→代々木八幡駅かつて「代々木九十九谷」と呼ばれた地域に渋谷川の支流である宇田川が流れていました。明治神宮の西側にあたる西原、大山町、元代々木などの地域です。そこには縄文時代の人々も住んでいました。上記のような宇田川の跡をたどって地域の歴史を感じ取る楽しいツアーにしたいと思います。是非ご参加ください。

参加費資料代保険 550円
申し込み 12月13日までに
  メール きむらけん k-tetudo@m09.itscom.net
  電話3718-6498

Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/10 (Sun) 18:51:00

[資料:その1]

https://www.tokyo-23city.or.jp/base/archive/home51files/Yoyohata-Toyo_CHOSON/Yoyohata-Toyo_CHOSON_kmview-zoom.html
豊多摩郡代々幡町 M44郵便地図

です。

Re: 第134回 街歩き - 北沢川文化遺産保存の会

2017/12/10 (Sun) 18:59:09

いつもの係の米澤邦頼さんが当分不在となりますので、申し込みはきむらけんにしてください。14日には保険の申し込みをいたします。

Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/10 (Sun) 19:26:52

[資料:その2]

M42測 S03修測3_世田谷+S06部修_中野 接合図 抜粋

なお、梶山さんのWebの関連ページは、
http://www015.upp.so-net.ne.jp/riverandsongs/back7.html


Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水

2017/12/17 (Sun) 04:16:22

〔とりあえず…〕

Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/18 (Mon) 16:40:15

〔疑問氷解1〕
 「代々木九十九谷ツアー」の折、渋谷区立大山公園東脇の坂道を下りきった突き当りの「A」の場所。
 どう見ても、東から西に向かって傾斜している、いわゆる「逆川」の状態に見えて不思議でならなかったのですが、goo mapの昭和38年の空中写真で、理由がわかりました。
 あそこは、その前にご案内いただいたJICA=NITEの池のある西から東に向かう谷戸(赤線)と、代々幡斎場東の北から南に向かう谷戸つまり「狼谷」(橙線)の合流点で、後者の下端部とだとすれば、東から西方向に下がっていても何の不思議もないことになります。

 なお、JICA=NITEの谷戸も、38年写真ではNITE側の西にもう一つの溜井のような池が見られ、[資料:その2]の地形図とも整合しているので、2つの谷戸が合流してできたものと思われます。


「下水道宇田川幹線」(緑線)については、田原光泰「『春の小川』はなぜ消えたか」之潮/2001・刊:p.210参照

Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/21 (Thu) 00:53:44

[正面の突当りが「A」点]

画面上方が、代々幡斎場のある、狼谷右岸の台地

Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/23 (Sat) 13:01:44

[難透水層]

 梶山さんの、JACA=NITEでの「この辺りは浅いところに地下水がある」とのお話を聞いて思い出したことがあって、以前、烏山の寺町通り区民集会所に展示してあった、「湧水分布図」と「ローム層中の難透水層の分布」図を引っ張りだしました。

 図は、この2枚(「ガラガラ」=「ガラス越し」の「ガラケー撮影」なので不鮮明ですが)の重ね図の抜粋で、グレーの雲みたいなものが難透水層の位置、赤点が湧水(データがやや古い)の位置。

 JICA=NITEの池(赤矢印)、そして、駒場のケルネル田圃の池(青矢印)も、難透水層の縁にあることがわかります。

 ちなみに、JICAの標高は36メートル程度で、池面は約2メートルほど下、これに対し、玉川上水=三田用水の流れていた尾根筋の南側にある我が家の標高は39メートル強で、我が家の井戸の水位は初夏で地表面マイナス3.5メートルなので、ほぼ整合。

「シモキタガール」系情報 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/14 (Thu) 22:12:18

さきほど、こんなページに辿り着いてしまいました。

ヘアサロン激戦区「シモキタ」の美容師に聞くファッションのこだわり〔2017年11月24日〕
http://www.asahi.com/and_bazaar/articles/SDI2017112278261.html?iref=andb_pc_kiji_backnum_article_05

写真展を観に行く人と開く人 シモキタガールのこだわりを聞く〔2017年12月12日〕
http://www.asahi.com/and_bazaar/articles/SDI2017121189731.html?iref=andb_pc_kiji_pickup_article_01

シックにポップを盛り込む「シモキタガール」のお気に入り〔2017年12月14日〕
http://www.asahi.com/and_bazaar/articles/SDI2017121391881.html?iref=andb_pc_kiji_pickup_article_01

小田急GSE - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/05 (Tue) 18:16:44

[この12月5日に…]

小田急の新ロマンスカーが公開されました。

20m車体かつ非連接ということなので、SE系ではなくてEXE系。
前頭部も、EXEみたいで、VSEと較べると格段に「あまり美しくない」。

まぁ、「小田急悲願の『新宿―小田原間60分」を70年を経てようやく実現させる車両のようですので。今回に限っては許せますが「その次は是非とも連接車をと切望する」ところです。

テレビ放送予告 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/11/29 (Wed) 08:29:50

 放送局BS朝日
 番組名「ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~」
(毎週土曜午後6時~6時54分放送中)
放送予定日2017年12月23日(土)予定 
「安倍圭子×宮嶋泰子」
○番組内容
今、あなたに聞きたいことがある……
様々なジャンルで時代を切り拓いてきたトップランナーたち。
彼らは、如何にして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?
知られざる『裸の履歴書』が明かされる。
週末の土曜18時からお届けする『ザ・インタビュー』は時代の「トップランナー」と人間洞察のプロである「インタビュアー」との手に汗握る真剣勝負をお届けする、全く新しい感覚のドキュメンタリー番組です。
今回の放送は、マリンバ奏者/安倍圭子様の素顔にテレビ朝日スポーツコメンテーター/宮嶋泰子さんが迫ります。

*安倍圭子さんから連絡をいただいた。「ミドリ楽団物語」も紹介したがどのように編集されているかは分からないが、「ミドリ楽団」の話はエピソードとして出てくるとのこと。

帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/08/22 (Mon) 11:10:46

〔「母家」…〕
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52026052.html#comments
にも書きましたが


東京都公文書館のデータ
http://www.archives.metro.tokyo.jp/
によると…

東京都内の「帝国*音楽学校」については、3校分の記録があります。

1 大正06年認可 帝国音楽学校 牛込区所在
2 昭和02年認可 帝国音楽学校 荏原郡世田谷町所在
3 昭和14年認可 帝国高等音楽学校 世田谷区所在

なお、
1については、
 認可の記録しかなく、その後不可欠になるはずの「校長就任認可」などの記録がないので、実際に開校したかどうかは疑問です。

2については、
 昭和02年校長就任認可、03年校長事務取扱就任認可、04年と09年に学則変更認可の記録があること
 昭和05年の東京府荏原郡世田谷町全圖をみると後述の代田701に「帝国音楽学校」が記載されていること
 「音楽年鑑」楽報社/昭和03年・刊にも「所在地 府下世田谷町代田七〇一」「校長福井直秋氏…」などと具体的な紹介記事があること
から、実動していた学校であることはまず間違いありません。

3については、その認可前のはずの昭和12年発行の大日本職業別明細図にこの学校の名称が記載されていて、あるいは、事実上この名前を使っていたのを、学則をこれに合わせて改組した可能性もあります。ただ、当時は「高等」という呼び方に今ほどの「しばり」があったわけではありませんので、その程度のことなら、学則変更でも済みそうな気もしますが。

【以上「母家」】

さらに、国会図書館にある
大日本音楽協会「昭和16年度 音楽年鑑」共益商社書店・刊
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109457
をみると、

巻頭の広告では
 昭和7年創立 と学校自体が明記しているのですが…

本文中の記事では
 昭和2年4月創立。幾多の變遷を經て、昭和12年田村虎蔵校長となり…
 (なお、声楽の教授陣中に、民藝運動の柳宗悦の夫人、柳兼子がいます。すでに世界的といってもよい名声を得ていた声楽家ですので、この時点ではかなり「しっかりした」学校だったと思われます)

と、さらに事態がヤヤコシくなります。

いずれにしても Wiki に書かれている、昭和6年設立の「帝国音楽学校」は年鑑のデータを含めても「存 在 し な い」うえ、昭和6年が、いわゆる「節目の年」でも何でもないことになるので、まず、その記述の信ぴょう性自体を疑ってかかる必要があり、そのまんま、それを敷衍してゆくのはやはり危険です。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/08/22 (Mon) 11:19:19

〔音楽年鑑S16の…〕
広告と奥付

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/08/22 (Mon) 11:55:44

〔音楽年鑑S03〕
「音楽年鑑」楽報社/昭和03年・刊 の方の
記事と奥付

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2016/08/22 (Mon) 12:05:31

〔「大日本職業別明細図 世田谷区」S12/12刊〕
世田谷中原周辺抜粋

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2016/08/22 (Mon) 12:13:41

〔「東京府荏原郡世田谷町全図」S05〕
世田谷中原周辺抜粋

Re: 帝国音楽学校 - 北沢川文化遺産保存の会 URL

2016/08/22 (Mon) 17:22:16

帝国音楽学校の創立が昭和2年4月、とすれば小田急開通を見越してのものだということになりますね。確かにウィキのはアバウトだと思います。

 ネットにはこの学校のことを調べている久保絵里麻さんのことが載っています。彼女には邪宗門で会ったことがあります。(明治学院大学大学院博士後期課程2014年修了 芸術学博士)
第二回研究会で話してもらおうかと言っていたのですが、連絡が取れませんでした。彼女、台湾で発表していますが、後ろに写されているのは帝国音楽院のマーク、それと二階建ての校舎だと思います。http://www.mg-geika.net/act02/conf/01.html

 鈴木禎一については全集があることを知りました。年譜で点検しようと思って目黒区の図書館調べましたが蔵書なし、ところが世田谷区にはありました。まだ見ていませんが。

 東京都公文書館、案外に家から近いところにありました。検索では建物図面もあるようで閲覧したいものです。

 研究会については評判がよく話をさせてくださいという方もおられます。今回の司会だった石坂さんも劇場のオーナーだったことが分かりました。長年、店とか、劇場とか、喫茶店をやっていた人、四五人に話してもらうのがいいかなと。ただ、やっぱり薄謝でも講師謝礼はしなくてはと思いました。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2016/08/22 (Mon) 21:16:55

〔久保さん…〕
というよりDr.なので「久保先生」ですが、背景のプレゼンを見ると、「[1928-1944]」となっています。

つまり、Dr.久保の認定では、同校は、昭和3年に開校し、昭和19年、かの山の手空襲以前に閉校していたことになります。

それぞれに、↑に書いたものとは異なる史料がないと、そうはならないはずで、それが何なのか、興味深いところです。

【史料といえば…】
都の公文書館のデータチェックは、いわばマストとして
国会図書館には、先にご紹介した昭和16年度版以前の音楽年鑑も、デジタルデータ化され、館内(または提携図書館)限定で閲覧・謄写可能です。
これらを手繰ってゆけば、昭和16年版にいう「幾多の變遷」の経過もトレースできるかと思います。

mision cumpleda

あとは、どなたか、よろしく。

【PS】
国会図書館の
レコード音楽技芸家名鑑S15
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1056525/211?viewMode=
によれば
「昨年4月学院を学校と改め認可さる。」
とありあります(212コマ左)。

一体どうなっているのやら…。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/08/25 (Thu) 09:54:18

〔こんな…〕

ページ
http://www.shiro1000.jp/tau-history/nazis/nazis.html
をみつけました。

年月日が特定されているので、かなり信ぴょう性の高い資料に基づいていると思われます…
が、Wikiの例もあり、裏どり不可欠。

Dr.久保の学位論文 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/08/25 (Thu) 10:25:26

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 



久保絵里麻「鈴木鎮一と才能教育―その形成史と本質の解明」7-Mar-2014
http://hdl.handle.net/10723/1942


論文本文

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1942/14/A33_text.pdf

の96ページあたりから、詳細な学校の経緯が書かれています。
(なんと、今津さんの「昔の代田」が参照文献として掲示されています)

おおまかな結論を言えば
「3ないし4つの、『ほとんどまるで別の学校』が入れ代わり立ち代わり代田701の地に存続していた。共通しているのは『帝国』の名前だけ」

画像は、論文97ページの略年表を引用。

PS:Dr.久保は、ヴァイオリニストでもあります。
https://www.concertsquare.jp/blog/2010/2010070518.html

帝国*音楽学校年譜 - きむらたかし@三田用水

2016/08/25 (Thu) 17:23:04

ヤヤコシクなってきたのでここまでのまとめです

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/09/03 (Sat) 00:13:40

〔柳宗悦夫人…〕
兼子について、こんな論文

高 仁淑「柳兼子の公演活動と朝鮮における民芸運動」
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/3668/KJ00004167265.pdf

を見つけました。

「東京高等音楽学院は,学校の紛糾が起き,東京高等音楽学院と帝国音楽学校に分裂したが,柳兼子は,東京高等音楽学院と帝国音楽学校で声楽を教えることになり,終戦まで朝鮮人留学生にも音楽レッスンを行なった。その時の東京高等音楽学院の出身音楽家が洪蘭披,洪成裕,金元福等であり,帝国音楽学校卒業生が仝鳳楚,羅遅発,孫牧仁らである。」

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2016/09/03 (Sat) 13:39:38































[鈴木釣り堀写真]

この界隈で釣り堀というと、森厳寺川の水道道路との交点南のが有名ですが、帝国音楽学校からはちょっと遠すぎませす。

で、あるいは
北澤用水のタマデン山下の西
か?

2か所あったうち、東の方のは河川改修時になくなっていますし、地形的にみても西よりの方のかと。

しかし、何を釣っているんでしょうね。ヘラブナにしては道具が華奢すぎですし、さりとて、ゲンゴロウブナあたりなら何も釣り堀に来なくても、そこいらへんの川でいくらでも釣れたでしょうし。


【余談】
日本の釣り(和釣)に詳しい友人の話では
「釣りはフナに始まりフナに終わる」
と言われていたようです。
で、
「始まりのフナ」がゲンゴロウブナ
「終わりのフナ」がヘラブナ
の由。
 まぁ、ほかにも、「タナゴ釣り」なんていう、気の遠くなるような超マニアックな釣りの世界もありますが。


所在地は… - きむらたかし@三田用水 URL

2017/04/04 (Tue) 10:47:11

[東京府荏原郡世田谷町大字代田字『吹上』]

旱天には大根畑から立ち上がる砂塵が、降れば降るで雨粒が、校舎に吹き付けていたのでしょう。

http://www.shiro1000.jp/tau-history/reikichi/onngaku.html

の校舎の写真を見ると、出入り口が正面ではなく横を向いていて、風除け室の造りになっています。
 あるいは、後から増築したのかもしれませんね。

【追記】
写真の上端中央やや右に鉄塔の一部が写り込んでいます。この鉄塔は校舎の東にあったので、この写真は、校舎の北面の校庭で撮影されたものということになります。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/06 (Sun) 18:36:51

[昨日話題になった…]

「国立音楽院」。

ここ
https://www.kma.co.jp/outline/index.html
(co.jpに注目)によると、最初国立市に開設された音楽教室なので、「国立音楽院」〔経緯からみて「こくりつ」ではなく「くにたち」〕を名乗っているようです。

その開設が昭和42年とのことなので、「本家」の「国立音大」よりはるか後。創立者が「国立」さんだったり、そうでなくても国立市内にあるときは別として、よく「本家」と裁判沙汰にならなかったものです。


Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/16 (Wed) 19:12:37

[下北沢X物語(3336)―第3回研究大会:世田谷代田「帝音」Ⅱ―〕
<http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52050980.html>
の「反例」発見。

「(三)
 久保さんの調べはとても地道なものである。
「台湾に行って帝音関係者の調べをすると例えば、身分証明書みたいなものでもしっかりと保存されているのですよね。日本ではありえないことですよね」
 確かにそうだ、公文書館とか資料館に行くことはある。ところが体系的に整理が行き届いているところは少ない。
 いつだったか図書館の人と話をしたことがある。地域文化を記したものは大切であるように思うが、館員はそういう意識が欠落しているという。オーソドックスなものを図書館が所蔵することが図書館だと思っていると。我らの意識レベルも低いと感じる。」
とあります。

 確かに、我が国の国立「公文書館」には、Dr.久保の指摘のとおり、過去の特定の個人のアーカイブはないように思います。

 ところで、かねてから追いかけている、ブラジル移民、というより「昭和初期からのアマゾン地方への日本人の移住」(なぜ、移「住」というかは説明が面倒なので省略)からみで、国会図書館のデータベースを検索していたところ…

「中野順夫旧蔵アマゾニア産業研究所関係資料」
http://iss.ndl.go.jp/books?rft.title=%E4%B8%AD%E9%87%8E%E9%A0%86%E5%A4%AB%E6%97%A7%E8%94%B5%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%82%BE%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%94%A3%E6%A5%AD%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%B3%87%E6%96%99&search_mode=advanced
というコレクションを見つけました。

 リストを見ると、昭和の初期、ブラジルのアマゾナス州の、東隣のパラ州との境近くに設立された「アマゾニア産業研究所」関係者の、同所に関連する資料のアーカイブでした。

 要するに、ナショナル・アーカイブである公文書館と、ナショナル・ライブラリである国会(立法院)図書館との「仕事の仕訳」が、日本と台湾とで違っているにすぎないわけです。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2017/11/08 (Wed) 11:42:26

〔平間声楽研究所〕

既報のとおり、昭和12年版では世田谷中原南方にあるのですが、この昭和10年版「大日本職業別明細図 世田谷」では下北沢の新屋敷953番地(現・北沢3-21-5)あたりに「平間文寿声楽研究所/北沢児童音楽園」があります。

Re: 帝国音楽学校 クボ

2017/11/08 (Wed) 13:19:33

下記の記事の件で、誤解があるようなので、書き込ませて頂きます。

2017/08/16 (Wed) 19:12:37
[下北沢X物語(3336)―第3回研究大会:世田谷代田「帝音」Ⅱ―〕
<http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52050980.html>
の「反例」発見。

「台湾に行って帝音関係者の調べをすると例えば、身分証明書みたいなものでもしっかりと保存されているのですよね。日本ではありえないことですよね」

↑この発言の意図は、「帝音」関連資料が資料として納められていたことに対する、いわば感激を述べたもので、
「日本の公文書館等で身分証明書などが保存されていることはあり得ない」という意図ではありませんので、その点は誤解なきようお願い致します。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2017/11/09 (Thu) 22:56:44

〔昭和12年当時の帝音の写真〕

別スレッドの「特別展『渋谷駅の形成と大山街道』」の4コマ目でご紹介した…
世田谷区立郷土館で開催中の「特別展 地図でみる世田谷」
の図録中#058
「大日本職業別明細図 索引附住所入信用案内 第三五三号 東京市 世田谷区」東京交通社/昭和12年12月20日発行

この地図の世田谷中原周辺の地図の抜粋は、すでに、このスレッドの4コマ目でご紹介済みですが、
その地図の左上に
「帝國高等音楽学院」
の正面のエントランスを中心に写した写真があることがわかりましたので、転載しておきます。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/11/10 (Fri) 20:48:32

〔鈴木の釣堀写真〕

「特別展『渋谷駅の形成と大山街道』」で既報の
「大日本職業別明細図」昭和7年版で、件の釣堀写真
http://livedoor.blogimg.jp/rail777/imgs/6/1/6116c31d.jpg
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52026975.html
の撮影場所について、もう一つの可能性が出てきました。
 里俗・ダイダラボッチ川の八大龍王堂の少し下流に「みどり釣場」という名前の釣堀としか考えられない場所があります。
 地図と言っても略図の域を出ない図ですが、素直に見ると代田926と960の中間。学校からは下北沢に向かってほぼ中間地点ですので、けん先生のご指摘通り「学校をちょっと抜け出して」通ってもおかしくない場所です。
 あとは地形的に写真の背景と整合するかなのですが…

Re: 帝国音楽学校 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/11/11 (Sat) 18:51:08

帝国音楽学校からみの会合

沢井さん(古関金子さんの姪御さん)の話を聞く会

 11月17日(金)13:00 邪宗門
 沢井さんの話を聞く会を予定していましたが、先方の都合のいい日ということでこの日に決定しました。
 今のところ四名の参加があります。会場の都合もありますので、参加希望される場合にはきむらけんに連絡をください。

なお、古関金子さんは古関裕而の奥さん、彼女が帝音に入るというので当地に居を定めた。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2017/11/19 (Sun) 09:34:18

































[帝都地形図]
日本地形社・刊 T11測S22補修1/3000帝都地形図
羽根木+代田接合図 帝音周辺抜粋

帝音だけでなく、八大龍王堂、中原デパート、中原市場、静仙閣、世田谷中原2号踏切など、代田でこれまで話題になったポイントはほぼ網羅できるように切り抜きました。

ところで、駅東方の「春光園」って何でしょうか?地図によっては「春光園売店」がその西にあったことになっていますが。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/11/22 (Wed) 14:57:11

〔みどり釣場〕

代田926と960の間。ダイダラボッチ川沿いでT字路の下流。
を昭和5年図にプロットすると
代田940~944あたりと思われます。

Re: 帝国音楽学校 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/11/22 (Wed) 15:34:36

上記地図、963に「緑丘」の表示。北沢に住んでいた中村汀女がここに転居する、「やがてほど近い代田緑ヶ丘に居を定めた」(中村汀女俳句集成)と述べている。この地名地図上で見たのは初めてだ。この命名は、土地造成業者によるものが多い、買い手の心をくすぐる。
 砂利場の上に鶴ヶ丘とある。この場所が鶴ヶ丘分譲地だった。やはり土地造成業者によるものだと思われる。

 帝音がらみでいうと世田谷中原逆一踏切が代田吹き上げにいく道となっている。何かエピソードあるはずだ。駅方向へいくと先生に出会うから、はねた連中はこの踏切を多く使っていたように思われる

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2017/11/23 (Thu) 21:36:04

〔平間が…〕

昭和12年当時、下北沢新屋敷に声楽研究所に加え、「北沢児童音楽〔園|團〕」を主宰している一方、

この下北沢新屋敷も学区に含む代沢小学校への浜館菊雄教諭の赴任は、このスレッドで既報のとおり昭和11年、
(「代沢小学校100週年記念誌2」(同校PTA・編,同校創立百周年を記念する会/S550505・刊)p.48)

ですので、両者の間には(協調関係なのか対抗関係なのかなどはまったく不明ですが)何等かの関連があるかもしれません。

北沢・代田の住宅地・史料集 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/11/23 (Thu) 10:51:22

〔緑丘〕

S05東京府荏原郡世田谷町全図 : 番地界入
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142506

北沢・代田の住宅地・史料 - きむらたかし@三田用水

2017/11/23 (Thu) 10:57:59

〔鶴ヶ岡住宅地〕

S07大日本職業別明細図

北沢・代田の住宅地・史料 - きむらたかし@三田用水

2017/11/23 (Thu) 11:01:25






























〔守山公園分譲地〕

S22修正 1/3000帝都地形図「羽根木」

北沢・代田の住宅地・史料 - きむらたかし@三田用水

2017/11/23 (Thu) 12:34:47

〔清風園〕
s03/12/18 警視廳・東京府公報 p.883

11月18日の街歩き - 北沢川文化遺産保存の会

2017/11/17 (Fri) 18:24:40

第133回街歩き
 
 明日、18日三鷹武蔵野散策を予定されていた方々に。
 荒れ模様との予報、雨と寒気予想されます。
 
 それで暖かくなる3月17日(土)に延期することにしました。そのときにはぜひおいでください。

街歩き 昭和・狭斜巷を歩く - 北沢川文化遺産保存の会

2017/10/12 (Thu) 19:57:06


第132回 10月21日(土)午後1時 浅草雷門前
      案内人 松山信洋さん
(新企画)昭和・狭斜の巷を歩く
(荷風、露伴、吉行の世界を歩く)
コース:浅草雷門→旧玉ノ井→露伴旧居跡→鳩の街→京島→曳舟

◎申し込み方法、参加希望、費用について
参加費は各回とも550円(資料代保険代)
 参加申し込みについて(必ず五日前まで連絡してください。資料部数と関連します)
 
 電話の場合、 米澤邦頼 090-3501-7278
  メールの場合 きむらけん k-tetudo@m09.itscom.net FAX3718-6498

Re: 街歩き 昭和・狭斜巷を歩く - 北沢川文化遺産保存の会

2017/10/25 (Wed) 08:18:16

雨の中も案外情趣があった。

『ミドリ楽団』関係者は? - 北沢川文化遺産保存の会

2017/09/18 (Mon) 22:21:00

 フェイスブックで『ミドリ楽団』の最後はどうなったのかという問い合わせがありました。

 私もこの顛末は気にかかります。当事者に話を聞いて、ネットに記録できればと思います。

 ミドリ楽団の最後のメンバーもしくは関係者おられませんか?

Re: 『ミドリ楽団』関係者は? - きむらたかし@三田用水

2017/09/25 (Mon) 12:04:23

[浜館菊雄教諭の…]

代沢小学校への勤務期間は、
「代沢小学校100週年記念誌2」(同校PTA・編,同校創立百周年を記念する会/S550505・刊)p.48によると

昭11~40

となっています。

可能性としてはこの昭和40年というのが一番高そうです。

なお、「下北のジャニス」こと金子マリさんも、このころミドリバンドにいたようです。

Re: 『ミドリ楽団』関係者は? - 北沢川文化遺産保存の会

2017/09/25 (Mon) 17:01:08

当時、「ミドリ楽団」保護者会のようなものが結成されていて、この親たちが側面から援助していたようです。「ミドリ楽団最終公演」は、ヤマハホールで行われたと思います。ここで毎年コンサートを開いていたようです。

 現在のヤマハホールの定員は333名とあります。一つの小学校の音楽会としては規模はかなり大きいですね。チケットの配布なども努力されたのでしょう。
写真はシアトルから来訪した米国人

 前に話を伺ったとき、ヤマハホールでは、「ウィリアムテル序曲」を演奏したと聞きました。

 最終公演はいつ行われたのか、興味がありますが、戦前からの卒業生なども加わってにぎわったことでしょう。

 指揮者には可愛い女の子が選ばれるとか、その子が大きな薔薇の花を抱えて、これを濱舘菊雄先生に渡したのでしょう。彼は万感の思いでこれを受け取った。きっと涙したことでしょう。

Re: 『ミドリ楽団』関係者は? - 北沢川文化遺産保存の会

2017/09/25 (Mon) 17:04:22

シアトルから楽器を寄贈にきたアメリカ人。再度アップ

Re: 『ミドリ楽団』関係者は? - きむらたかし@三田用水 URL

2017/09/25 (Mon) 17:24:07

[会場が…]

ヤマハホーㇽ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB
と特定しているのでしたら、まずは当のホールに聞きにゆくのが先決でしょう。

著名音楽家の演奏会も多かった格式ある会場ですので、学芸員的な仕事をされている方がいる可能性もありますし、少なくとも相応に記録が保存されているかと思います。

しかし↑のWikiで驚いたのは
「1957年の鉄道技術研究所による講演会『東京 - 大阪間3時間への可能性』…など、様々な催しが実施された。」

松本幸四郎主演のテレビドラマ「新幹線をつくった男たち」では、大学の大講堂みたいな場所を使ってのロケでしたので、目からウロコ。

余談ながら、三國連太郎の十河総裁も、高橋昌也演じる「粗にして野だが卑ではない」の石田総裁も「雰囲気そっくり」でしたね。

Re: 『ミドリ楽団』関係者は? - きむらたかし@三田用水

2017/10/16 (Mon) 20:36:13

[記事を…]
文字起こししました。あとはそのま読むなり、google で翻訳をかけるなりしてください。

#QUOTE
Page 2 of "PACIFIC STARS ans STRIPES" Aug.13
(* year is unknown. but atleast 1947 or before. cf.https://newspaperarchive.com/jp/japan/tokyo/pacific-stars-and-stripes/)

Osaka Youths' BAnd in popular Demand.

By BETH EVEMETT, Staff Weiter

A Children's band from the Daizawa Elementary School whitch has played twice during the past two weeks in the Osaka hotel dining room through the dinner hour has proven so popular with the sophistcated Osaka audience that they have been requested to apper again next week.

The performances are sponsered by the Osaka Club.
The 30 to 35 children who play in the band range from eight to 12 years in aged. The band instrument are zylophone, accordion, harmonica, tambarine, triangle and drums. the program includes American folk songs, nursery jingles and several simple Japanese melodies.

The player perform with verve and enthusiasm. The over-all impression is that they are a well-trained and talented group. One of the accordion players who attracted special attention is Kyoko Tsunoe, diminuitive eight-year old child whose sisiter also plays in the band. Kyoko's performance gives an impression of great nonchalance and ease. She has played with the groupe for the past year.

THe band made numerous appearances throughout occpation installations. It is one of many school groups in the Tokyo area, and was elected to represent Setagaya-ku ward in the last elementary school competiotion in Tokyo.

Occupation installations who have heard their performance include the 49th General 361st Station Hospital,Octagon Theater, Yokohama, Washington Heights School, Dai Iti hotel and Osaka hotel.

The children will perform at the Ernie Pyle Theater the night of September 8, 9 and 10.
#UnQUOTE

それにしても、記事中の”Kyoko Tsunoe”ちゃん、今どこでどうされているのでしょうか?

Re: 『ミドリ楽団』関係者は? - 北沢川文化遺産保存の会

2017/10/16 (Mon) 20:47:55

10月14日、代田図書館講演会に行きました。そのとき玉ノ湯にいたという疎開学童の人と会いました。妹さんがミドリ楽団に入っていたと、そのことから『ミドリ楽団物語』は求められたよう。それで当人が読んで疑問に思われたことがあったと。

代沢浅間学園の歌では「撃ちてしやまん」という歌を繰り返し歌ったとのこと、そんな関係から、戦後になって米軍にミドリ楽団が奉仕するのはどうなのかという疑問を持ち続けていたとの指摘。確かにそういう一面は把握はしていたが、グサリと言われると、グサリと突き刺さります。が、これは歴史事実の一つとしては貴重なものだと思いました。

Re: 『ミドリ楽団』関係者は? - きむらたかし@三田用水 URL

2017/10/17 (Tue) 17:42:59

[上のリンク先…]

https://newspaperarchive.com/jp/japan/tokyo/pacific-stars-and-stripes/

で、“Daizawa”で検索すると、結構ゴロゴロと30いくつ位だかの記事にヒットします。

基本的には、有料サイトなのですが、1週間はフリートライアル可能な由。

ただ、日本語サイトなら、1週間後にID抹消するのは簡単なのですが、英語サイトだと、結構面倒です。

どなたか、英語が堪能な方に、いわば「一撃離脱」で記事を集めてもらったらいかがでしょう。

1945年の戸越公園駅 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/10/02 (Mon) 23:27:21

























[全く別系統の…]
画像を探していたら、
1945(S20)年の戸越公園駅の写真を見付けました。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c8/Togoshi-koen_Station1945.jpg

俯瞰で撮っていますので、8月15日から後の写真と思われます。

しかし、この地域は、民間、官製はては私製の戦災図のどれをみても「ここは、そこまでは焼けていません」し、強制疎開地でもないようなのです。

いったい、これはどう解釈すればよいのか?

Re: 1945年の戸越公園駅 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/10/03 (Tue) 15:49:47

確かに、生々しい写真と地図とではあまりに大きな開きがありますね。しかし、焼け跡の記録はどこまで正確かという問題はありますね。

この間、世田谷代田駅前の佳仙の親父さん、自分の店と向かいの店も焼けたと言っていました。文化地図と違うということを言っていました。

 戸越公園駅の写真、最初見たとき、戸越銀座ではないかと思いました。よく似ています。

Re: 1945年の戸越公園駅 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/10/04 (Wed) 00:19:40
















[戸越銀座だと…]
こうです。

こっちの方が地図(とくに「民」の方)との整合性があります。
もっとも、地図は官民の乖離が大きいのですが、駅舎が被災したように見えないことから、あるいは、空地は強制疎開によるものかもしれません。

いずれにせよ、駅舎の戦前の写真を見付ければ、どっちかはっきりしますね。

Re: 1945年の戸越公園駅 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/10/16 (Mon) 11:57:40

[写真の出典]

しながわWEB写真館
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/photo/


「品川区立宮前小学校2」
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/photo/?id=pv&pn=31733
と題して載っておりました。

少し日時が経った後に撮影されたと思われる同じ表題のもう1枚の写真
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/photo/?id=pv&pn=31734

では駅の入口上に、しっかり「戸越公園駅」と書いた看板が掲示されれています。

池上線無料開放 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/10/05 (Thu) 17:10:58

○お知らせ
 会報で呼びかけていた10月9日(月)休日。池上線無料開放の日。乗りに行きませんか?という呼びかけをした。五人集まれば実施としたが。四人集まったので実施。五反田駅、JR東急線連絡口改札前集合。当日午後一時、参加希望は当方にメールで連絡のこと。aoisigunal@hotmail.com

Re: 池上線無料開放 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/10/11 (Wed) 15:35:29

七名参加、池上線はいずれの電車も超満員

安吾文学碑 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/10/01 (Sun) 17:04:15

代沢小安吾文学碑 金子善高さんがきれいにしてくれました。一人できつかったとのこと、今度は手伝いに行こうと思う。

無題 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/09/20 (Wed) 08:46:56

豪徳寺風景づくりの会の花形静雄さんから送られてきました。行ってみようと思います。

世田谷のダイダラボッチを歩く - 北沢川文化遺産保存の会

2017/09/10 (Sun) 09:09:24

第131回 9月16日(土) 午後1時 田園都市線 駒沢大学駅改札前
 案内人 きむらけん (新企画)世田谷のダイダラボッチを歩く
コース:野沢旧五輪道路→鶴ヶ久保公園(駒沢ダイダラボッチ)→連合艦隊司令長官旧居→明大野球場跡→安藤輝三大尉旧居→中里色街跡→山田風太郎旧居→世田谷変電所跡→大村能章旧居跡→三好達治旧居跡→萩原朔太郎旧居跡→武満徹旧居跡→帝国音楽学校跡→代田のダイダラボッチ跡→新代田駅 

◎申し込み方法、参加希望、費用について 参加費は各回とも550円(資料代保険代)
 参加申し込みについて(必ず五日前まで連絡してください。資料部数と関連します)
  電話の場合、 米澤邦頼 090-3501-7278
  メールの場合 きむらけん k-tetudo@m09.itscom.net FAX3718-6498

Re: 世田谷のダイダラボッチを歩く - 北沢川文化遺産保存の会

2017/09/14 (Thu) 22:19:28

16日の天気は、当初は晴れだったが、台風の影響で悪くなてきている。土曜の午後は雨の可能性が80パーセントとなった。明日の朝確認をして場合によっては中止の可能性あり。

Re: 世田谷のダイダラボッチを歩く - 北沢川文化遺産保存の会

2017/09/15 (Fri) 16:15:46

やはり台風の余波の影響を受けて16日午後の降水確率が高くなった。ダイダラボッチ探訪、雨天決行というほどのことまでないので、中止とした。

富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/27 (Sun) 11:29:41





















part.1が巨大になってしまったので…

[まずは…]
8月20日発行の町会のミニコミ誌
http://www.city.setagaya.lg.jp/kitazawa/12100/12112/d00138146_d/fil/137.pdf
に投稿した、part.1 の超要約の原稿から。

Re: 富士講 part.2 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/08/27 (Sun) 14:12:33

わがまち ふるさと まだ続いているのですか?

なぜかNO3号が手元にある、貴重品なんだ。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/27 (Sun) 14:18:08

[おおっ…]

区長が大場さん
事務局が「第九出張所」!
(よく住民票をとりにゆきました。なつかしい。)

たしかに、貴重品ですね、これ。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2017/09/12 (Tue) 20:45:16

[今=2017/09/12 20:34]

yahoo auction
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c617613870


「4◆富士山神系御山絵図◆富士講 富士信仰 木版 手彩色 江戸後期~明治初期頃 川口御師 河口湖 浅間神社 神道 北口◆掛軸/古文書/摺物/刷物」

なるものが出品されているのですが…

¥1,000スタートで残り2時間で¥32.500!

富士信仰とか富士講に興味を持っている方がいかに多いのかがよくわかります。

多分4万円超えでしょうから、とても「手が出ません」けど、詳細な画像が多数ありますので、見るだけでも見ておくことをお奨めします。

真実味を帯びるジンギスカンの義経伝説 - うさぎ777

2017/09/12 (Tue) 19:00:36

真実味を帯びるジンギスカンの義経伝説

http://park.geocities.jp/j_con4/0204/p045.html#page296

秘密だが公的なものがあった徳川幕府の将軍の歴史。

( http://sky.geocities.jp/datepedia/02/update.html )

( http://park.geocities.jp/j_con4/0104/p044.html )

( 個人的意見 )

「東京聖三一教会」パイプオルガンコンサート - きむらたかし@三田用水

2017/09/12 (Tue) 11:33:47

池ノ上の「東京聖三一教会」パイプオルガンのランチタイムコンサートのお知らせです。
お時間があれば、お昼のお散歩にいかがでしょうか。

代沢小全景写真 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/08/04 (Fri) 09:46:51

代沢小は今は壊されてありません。時期はといません、全景写真を持っておられる方、おられましたら当方に連絡ください。地方テレビ局が鉛筆部隊のことを取り上げたいとのこと。
全景一枚で結構です。

Re: 代沢小全景写真 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/04 (Fri) 18:50:21

[そのローカル局さんは…]

世田谷区郷土資料館
http://www.city.setagaya.lg.jp/shisetsu/1213/1265/d00138265.html
にコンタクトを取られたほうがよいと思います。

池之上小学校の、昭和38年3月刊行の卒業アルバムには、結構鮮明な空中写真があります。

後発の「池小」ですらこうなのですから、ほぼ同時期から代沢小の卒アルにも、同様の写真が使われていたと思われます。

(冒頭のは池小のS38卒アル写真)

Re: 代沢小全景写真 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/08/04 (Fri) 20:40:07

ありがとうございます。
とりあえず四月にあった校舎お別れ会のときの写真が出てきましたので、これを送っておきました。放送時間が10分程度ですのであまり細部にこだわらなくてもいいように思いました。
 とりあえず問題は解決しました。ありがとうございます。

Re: 代沢小全景写真 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/07 (Mon) 13:41:25

[写真はありませnでしたが…]
戦時中の学校のイラスト版の見取図がありました。

「代沢小学校90周年記念誌」S45ころ刊
世田谷区郷土資料館・蔵


Re: 代沢小全景写真 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/08/07 (Mon) 14:48:15

手元の120周年記念誌に写真ありました。

Re: 代沢小全景写真 - きむらたかし@三田用水

2017/08/07 (Mon) 18:18:47

[↑の写真…]

初見です、すごい!!

 ところで、キャプションに「撮影方向」の記載ありませんでしょうか?

 ↑↑のイラストマップと素直に対応させると、北東方向(↑↑のマップの左下)から撮った写真のように見え、そうなると、画面手前の塀とフェンスの手前が「里俗・森厳川」ということになるのですが?

Re: 代沢小全景写真 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/08/07 (Mon) 18:29:17

写真をどの方角から撮ったかの注記はありません。二枚の写真が並べてあって、こちらは上の方の写真です。

Re: 代沢小全景写真 - きむらたかし@三田用水

2017/08/08 (Tue) 03:13:36

[2枚ともに…]

昭和7年というのはおそらく誤りでしょう。西側の南北方向の校舎が2枚目のにはなく、1枚目のにはあるので。

よく目にする2枚目の方が昭和7年撮影というのは、手前の橋場橋の工事の時期(と、いうより、この写真は、あくまで北沢川(用水)改修工事の記録写真であって、代沢小は「たまたま写りこんでいただけ」なのではないかとも思われます)から割り出したものと思われます(つまり、南西方向から撮っていることになる)。

となると、1枚目のは寄棟の校舎の位置から判断すると、南東方向からの写真ということになりますが、そうだとすると、校庭の南東端の手前、灌木の向こうに見える欄干は、代沢橋ということになります。
この橋は昭和7年当時にはなく、架けられたのは早くとも昭和10年ころです。

Re: 代沢小全景写真 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/27 (Sun) 14:13:15

[すっかり…]
忘れてました。

代沢地区のミニコミ誌「みにこみ7」の133(2015年4月)号
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/101/166/2302/2320/2377/d00013508_d/fil/133.pdf
に、昭和21年の大火当時の平面図が載っています。

本日はお騒がせいたしました - きむらたかし@三田用水

2016/06/18 (Sat) 20:32:04

〔1・2年に一度出る症状なのですが…〕

塩分不足も重なったようですが、毎度のことながら、CT,心電図,血液検査ともに取り立てて異状なし、とのことで、先ほど無事戻ってまいりました。
いろいろご心配いただきありがとうございました。

で、今日お約束した、2009/01/24に今里地蔵のお堂の扉が開いていたときの、お地蔵さんの映像です。


Re: 本日はお騒がせいたしました - 北沢川文化遺産保存の会

2016/06/18 (Sat) 20:51:20

いや、よかったです。みなで心配していました。ともあれお大事に。

今里地蔵の… - きむらたかし@三田用水 URL

2016/06/19 (Sun) 09:02:38

〔クローズアップ〕

「よだれかけ」のためよくわからないのですが、座像だとするとプロポーション的に不自然はないのですが、立像の断片つまり上半分の可能性もあると思います。

ブログ「水の行方を追って」の
http://wanjin.blog.fc2.com/blog-date-20150304.html
によると

この今里地蔵は
1)現在の上大崎周辺の「五反田田圃」にあったものを高輪台交差点周辺に移した
2)その後、桜田通り拡幅のために現在の場所に持ってこられた
とされています(ただし、出典不明)

このうち
2)については、
 現在地は旧今里村内であり
 「高輪台交差点周辺」のうち、北寄りであれば一応旧今里村内と考えられる
 ので、あり得る話ですが、

しかし
1)については
 もともと地蔵は塞ノ神でもあり
 http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/Hokora.htm
 (もう一つの主要な用例は、幼くして死んだ子供の墓石ないし供養塔)
 いずれにしても、村あるいは村内の集落(小字・小名)の境界に設けられるのが原則で、移動させるとしても、他村に持ってゆくことは、まずあり得ないことといえます(「2)」の移動は別の情報によれば戦後とされていますが、それでも上記のように「旧今里村」の村内での移動です)。

 これに対し「1)」を無視して「高輪台交差点周辺にもともとあった」というのであれば、ここは、北の今里村、南西の上大崎村、南東の白金猿町の「塞」にあたるので、得心が行くのですが。

昨日の… - きむらたかし@三田用水 URL

2016/06/19 (Sun) 10:31:30

〔目黒川御成橋からの放水〕

主として城南地域から出た水を再生して流しているようです。
前週の下見のときには見ることができなかったので、ラッキーでした。

今里地蔵の由来 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/26 (Sat) 19:45:01

[信憑性の高い…]

データがでてきましたので「流転のお地蔵さん」について、多少解明が進みました。

https://mitaditch.blogspot.jp/2017/08/blog-post.html

会報134号 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/08/26 (Sat) 18:38:55

今日印刷して事務局に届けました。街歩きは一月の代官山を歩くまで入りました。

 二月、三月、四月、今日話したところでは、二月帝音、三月、品川用水取水口、四月、今年、車でのツアー好評だったことから、富士関係はどうか?との案。

亀有のタヌキ - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/17 (Thu) 11:52:21

〔下北沢X物語(3341)―日本偽汽車紀行 常磐線亀有3―〕
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52051389.html

亀有に鉄道が開通したのが、1896年。その、13年後の、1909年の、上野発の時間表です(赤丸が海岸線の列車)。

この時間表以外に、上りの旅客列車に加え、開通直後から肥料と米の輸送が、従来の舟運から、鉄道にシフトしはじめましたのでその貨物列車を加えると、密度はこの5倍くらいあったと思われます。

加えて、1901年に平まで伸長された後は常磐炭鉱の石炭輸送が始まっていますので、タヌキが列車の間合いを見つけるのは困難。というわけで、タヌキの偽汽車は19世紀中の出来事ということになりそうです。

それはさておき、三河島とか隅田川の貨物駅なしには、今の東北本線、上越線、山手線と重なっていた、上野―田端(当初)あたりは超過密状態になっていたでしょうね。

Re: 亀有のタヌキ - 北沢川文化遺産保存の会

2017/08/17 (Thu) 17:07:35

時刻表を見ると、確かに、狸の出番は難しいですね。
所謂、偽汽車は典型的なパターンがあるのですが、亀有の場合、化けた汽車が描かれないことです。音だけの登場というのが「日本偽汽車紀行」の中でもあまり類例がないのです。
(写真は向島多聞寺の狸)

Re: 亀有のタヌキ - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/17 (Thu) 18:51:14

[時間表をよくよく見ると…]

上野午後11時10分発、新宿同11時56分着

という、上野とか浅草界隈で「ヘベレケになったオジサン」専用みたいなスジがありますね。

絵本「ぼくのお嫁さんになってね」 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/16 (Wed) 19:48:37

[今日…]
2017-08/16の読売夕刊11面にデカデカと載っています。

 記事では、当然ながら、田中さんやけん先生にも言及しています。

Re: 絵本「ぼくのお嫁さんになってね」 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/08/17 (Thu) 16:56:03

長野県では、民放二局が取り上げています。
鉛筆部隊の田中さんはあちらでは有名人になっています。

 あちらの知人から「確かに時の人になりました。  SBC,NBS:TV その上読売新聞に出演」と。新聞出演というのも面白い……


Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.