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北沢川文化遺産保存の会第4回研究大会 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/07/16 (Mon) 08:50:21

第4回北沢川文化遺産保存の会研究大会

Re: 北沢川文化遺産保存の会第4回研究大会 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/07/19 (Thu) 18:47:05

世田谷広報7月15日づけに

 先着70名と書きましたが、50名の誤りです。
 12時半 開場です。世田谷カトリック教会
 二階会議室です。

明友中学校について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/06/05 (Tue) 18:57:11

当方に問い合わせがあった。


昭和19年4月、世田谷区内に開校したと思われる「財団法人 明友中学校」に関して、何かご存知でしょうか?父が昭和20年の入学許可を受けた学校ですが、廃校となって現存しないのか、官報以外全くと言っていいほど情報を得られません。

 たまたま中央図書館に行く用事があったので、世田谷区教育史などに当たったが、記載はなし。司書の人も当たってくれたが見つからなかった。が、継続して調査してくれるとのこと。

Re: 明友中学校について - きむらたかし@三田用水

2018/06/05 (Tue) 19:36:43

官報なら、国会図書館のデジタルライブラリで内容を確認可能です。

まず、その発行日、号次を特定していただくのが先決ですよね。

Re: 明友中学校について - きむらたかし@三田用水 URL

2018/06/05 (Tue) 20:14:40

国立公文書館に…

多分これでは、というのがありました。
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/MetSearch.cgi?DEF_XSL=default&SUM_KIND=MetaSummary&SUM_NUMBER=20&META_KIND=NOFRAME&IS_KIND=summary_normal&IS_SCH=META&IS_STYLE=default&IS_TYPE=meta&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID=G9100001&IS_START=1&IS_TAG_S1=InD&IS_TMP_S7=c_t_search_3&IS_KEY_S7=SRG+BST+KNM&IS_TAG_S7=c_t&IS_LGC_S7=AND&IS_NUMBER=100&LIST_TYPE=default&IS_LIST_ON_OF=off&LIST_VIEW=&ON_LYD=on&IS_KEY_S1=%E6%98%8E%E5%8F%8B

ほかに

(明友中学校)財団法人設立許可の件
[請求番号]平5文部01503100[件名番号]001[保存場所]本館[作成部局]文部省[年月日]昭和18年10月28日

(明友中学校)法人財産移転報告
[請求番号]平5文部01503100[件名番号]003[保存場所]本館[作成部局]文部省[年月日]昭和19年02月09日

の2件ほど、海外植民学校の例からみて気になるデータ(実質的な設立者の名前など、結構「肝心なこと」がこの種のデータに書いてあることが多いので)がありますが、ネットで公開していないだけでなく、開示:要審査ですので、ご本人が、国立公文書館に足を運ぶほかありません。

Re: 明友中学校について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/06/05 (Tue) 20:29:25

素晴らしい!! 本人に、さっそく当方の掲示板を見よと連絡をいたします。

Re: 明友中学校について - きむらたかし@三田用水

2018/06/05 (Tue) 22:37:13

野澤町1-1 は…

かつて明治薬科大学のあった一画のようです。

Re: 明友中学校について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/06/06 (Wed) 08:42:49

さっそくにお礼のメールがありました。

 貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。素晴らしいネットワークにも感謝申し上げます。公文書館は東京都だけ検索して済ませてしまったので、ご相談して良かったです。

見つけていただいた資料の件名から、昭和19年に開校し、戦災のために昭和21年に移転し、いつのまにか廃校したのではないかと想像しました。
 ご指摘の通り、設立者個人名からアプローチすることも意義がありそうなので、審査を申し込んでみます。

今回も大変お世話になり、深くお礼申し上げます。


 前に広部さんのことを聞いてきたAさんです。

Re: 明友中学校について - 広部家について質問したA

2018/07/15 (Sun) 22:49:07

暑中お見舞い申し上げます。
国立公文書館、世田谷区立図書館、亡父の同級生氏から得た情報を報告させていただきます。

設立者:「明治薬学校」のOB6人と校長の養子
設立目的:戦時下の時局を乗り切る人材育成
設立場所:「明治薬学校」の寄宿舎(無償譲渡)
移転先:渋谷区笹塚(「明薬」系列校「東京女子薬学校」跡地)
廃校時期:昭和23年6月
廃校跡地:渋谷区立笹塚中学校が開校

校長の養子は後年、新制明治薬科大学の初代学長に就任しています。
不要とは思いつつ、投稿させていただきました。

亡父の同級生氏からは中里小学校の学童疎開エピソードもたくさん伺いました。

Re: 明友中学校について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/07/15 (Sun) 23:05:58

貴重な情報ですよ。今の時代、すべてが急速に変わっていってつい数年前のことさえも分からなくなっています。小さな歴史事実の総体の上に生きているのが我々と考える「明友中学」の創設の歴史も大事なものだと思います。

中里小学校は里山辺に疎開していたのですね、昭和20年になってここにB29が爆弾を落として大変な騒ぎとなったことを聞いております。
 浅間温泉には7校が疎開していましたがこれが再疎開するきっかけともなったようです。

Re: 明友中学校について - 広部家について質問したA

2018/07/17 (Tue) 16:56:32

恐れ入ります。

学童疎開に関しては、父達が宿泊した「ゆたかや旅館」さんが今も営業中で、「疎開の会」の幹事さんをご紹介くださいました。
しかもその方が亡父の同級生で宿泊先も同じでお元気、という幸運が重なりました。

Re: 明友中学校について - きむらたかし@三田用水

2018/07/18 (Wed) 08:27:16

[東京女子薬専]

「渋谷区詳細図」地形社S16より

図の右端が、現・補助26号線

Re: 明友中学校について - 広部家について質問したA

2018/07/19 (Thu) 18:12:14

渋谷区の地図、ありがとうございます。
卒業生に関する資料は見つからず仕舞いですが、しかたありません。

古事記橋という名の由来について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/07/10 (Tue) 19:56:04

 当会に、質問が来ました。
 梅ヶ丘駅近くの北沢川緑道に、「古事記橋」というのが架かっているが、由来を調べたが分からない、それで当会関係者で分かる人いませんかとの質問です。

Re: 古事記橋という名の由来について - きむらたかし@三田用水 URL

2018/07/12 (Thu) 15:48:10

「橋のあたりに『乞食』が住み着いていた」という説が有力だったと記憶しています。

Re: 古事記橋という名の由来について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/07/12 (Thu) 16:26:37

確かに、検索で調べると「うわさ」としてあるとのこと。

 古事記は「乞食」と音は通じますね

 「乞食」といえば、駒沢の「たんち山」、これも「たんちという乞食がおりましてね」という話は地元民から聞きました。ゆかりの寺「長徳寺」の住職からも聞きました。

 古事記橋というのは新しい命名のよう、実際の古事記とはあまり関係がないと判断できます。ふと思ったのは、近くに著名な「古事記研究」有名な誰かがいたのかも、それにしても気になる名前です。

Re: 古事記橋という名の由来について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/07/13 (Fri) 09:36:02

古事記橋についての問い合わせに

 この掲示板を紹介しておきました。つぎのような返答がありました。

「乞食」説は、私たちもちょっと聞いたことがあるのですが、「乞食」からいきなり「古事記」への移行はちょっと乱暴というか、そういう書き替えをするくらいなら、他の名前を探す方が自然だなぁという気もします。
「古事記」研究者がいた、というのはとても興味深い視点で、そうだったらいいなと思います。

 梅丘の古事記橋の由来は?は難解です。
 羽根木公園のすぐそばに橋はありました。根津山・六郎次山などの関係も見当たらないし謎ですね。

 いろいろな考えがでてくるとそこから由来が分かるかもしれません。

 

Re: 古事記橋という名の由来について - きむらたかし@三田用水

2018/07/13 (Fri) 19:33:55

■新編武蔵風土記稿の
世田谷村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763982/5

の件には言及がありませんし、念のためにみた
松原村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763982/56

の件にもありませんでした(もともと、風土記稿には、代田橋、常盤橋といった著名な橋しかとりあげられていません)

また、
世田谷の地名(上)
世田谷旧村古地名集
にも該当の記述はなく、

村尾嘉稜も十方庵敬順も、下北沢村の森嚴寺までは来てるのですが、当地に立ち寄った記述はないので、この種の地誌類からの探求はいわば「お手上げ」。

■と、なると「日本の地名成立の一般法則」に基づいて地名(橋名)の成立過程を考えるほかないようです。

この橋は、「世田谷の河川と用水」末尾の橋名リストによると、大正8年の地形図に掲載されているとのことですし、さらにさかのぼる明治13年の迅速測図でも橋が確認できます。また、この橋のある道は、旧(小)世田谷村の羽根木から元宿(通常の村の場合は「本村」にあたる)に通じる主要道の一つですので*、その架橋は近世期に遡ると考えられます。

*この道は、
天保7(1836)年の世田谷村絵図(世田谷の地名(上)p.219)には記載があるが、
文化2(1805)年の目黒筋御場絵図
https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M2008032520510889502.html
には記載がない


近・現代になって架橋されたのなら、同時に、行政庁などによって、いわば「強引」に命名されたはずですが、かの時代は
・まず、必要があって橋を架ける
・その橋について、地域民が名前を言い慣わすようになる
という順番です。

もちろん、この「言い慣わし」の前提としてなんらかの「縁由」があるはずですが、ここで成立する名前は、音価、いわば略かな表記によるもので、
音価では「Ko-ji-ki-ba-shi」、かな書きでは「こしきはし」です。

つまり、今の「古事記橋」か「乞食橋」かは、後世つまり近代になって、この「こしきはし」に漢字を当てはめた結果にすぎないわけで、この場合、古来より「できるだけ目出度い」あるいは「きれいな」文字を当てはめるのが、いわば「鉄則」ですので、「乞食橋」の文字を当てることは「あり得ない」。

つまり、地名の縁由がたとえ「乞食」であったとしても、現代表記では(他に適当な選択肢もないので)「古事記」になったはずです。

■結局、残る問題は、当初「こしきはし」との地名を成立させた「縁由」は「古事記」なのか「乞食」なのかにあることになります。

地名というのは、地域の人たちの中で徐々に言い慣わされ、それが地域の共通認識となったときに成立するものなので、そもそも、「古事記」が共通認識の基盤となるほど認識されていたのかは、極めて疑わしい。

もちろん、村役人と呼ばれる名主、年寄、百姓代といった人たちや、学問好きの豪農といった知識階級の人たちは、常識としてわきまえていたと思いますが、一般庶民にとってはせいぜい「神代のことが書いてあるとかいう本」という程度でしょうから、地名成立の前提となる地域民の共通基盤には、まずなりえなかったでしょう。

古事記について「小学生でも少なくとも名前だけは知っている」現代の常識で、近世を推し量ることには無理があります。

Re: 古事記橋という名の由来について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/07/13 (Fri) 20:47:35

まず、この問題を当会に寄せられた人が、ここで話題にして頂いたことに感謝するとのこと。確かにそうですね、個別の橋の問題だが、その背景には何かの意味があると共有できてきた点はとても良かったと思います。

 地名は地域の鏡だと言えます。橋の名前にせよ、一旦つけたら末代まで残る。乞食は避けたということはありますね。良き名をつけよ、古代以来の習慣ですね。

 古事記なのか、乞食なのか、大きな問題提起となったことは確かです。
 
 質問された方がこの掲示板を確認されたとの返答、興味を持っておられる方がまた書き込まれると面白い、それが一つの真実に行き着くかもしれません。乞、投稿を……。

 

小田急の工事用蒸気機関車 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/07/04 (Wed) 09:45:02
























〔主屋の〕

下北沢X物語(3551)―活動10年:地域風景資産―
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52071544.html

でふれられている、小田急の敷設工事中に中原の斎田孝さんが見たという蒸気機関車

旧官鉄600型の621号、同700型の703号のどちらかということになります。

まず、現物そのものの写真がある703号

保育社カラーブックス「小田急」所掲

Re: 小田急の工事用蒸気機関車 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/07/04 (Wed) 09:52:26





















〔次いで…〕

600型とほぼ同形式の500型の型式写真(ボイラーの圧力が違う)。
〔機關車知識普及會「写眞解説 機關車進歩の跡」交友社/S15・刊 所掲〕

ほとんど700型とも同形式ですが、ボイラーの上のドームの数が違います。

Re: 小田急の工事用蒸気機関車 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/07/04 (Wed) 11:11:48

〔ついでに…〕

戦時中の昭和19年に試験入線した
C58

詳細は
下北沢X物語(3167)~戦時小田急入線幻のC58?~
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52033500.html
のコメント1をご参照

成城大学の巡検 - きむらたかし@三田用水

2018/07/03 (Tue) 17:31:12

〔7月1日…〕

成城大学の境教授と同ゼミの学生さん5人が、Dr.オースティン写真の旧跡の巡検に来られました。

案内役は、当会の Star Fighters (2人の行動パターンから、別名「弥次さん喜多さん」ともいう)の米澤さんと藤井さん。

午後0時過ぎから3時過ぎまでのスケジュール終了後、聞くところによると、有志がシモキタのまちに再出撃した由。

Re: 成城大学の巡検 - きむらたかし@三田用水

2018/07/03 (Tue) 17:33:30

〔男の子の写真も載せなきゃ〕

男女とも「世が世なれば孫かよ!」って人たちでした。

いや、それにしても暑かった。

前日、九段下の図書館で調達してきた、近世の江戸の材木取引の文献も読まなければいけなかったので、早々にGHQこと自宅に退避させていただいたのですが、GHQもメチャクチャ暑い。

寄贈図書 - 北沢川文化遺産保存の会

2016/01/05 (Tue) 18:40:28

〇寄贈図書 夢二研究会 宇賀勇夫氏より
 「夢二研究会 会報 第13号 創立20周年記念特集 2015年12月5日発行
 
 初代『夢二会』折り折り 竹久みなみさんの記事にはこうあった。
 雑司ヶ谷の墓地の「夢二墓碑」の「台石は、曾て夢二が住んだ、世田谷松原の少年山荘にあった自然石」だとのこと。また、宇賀さんからは、「夢二情報があったらぜひ知らせてほしい」とのこと。

Re: 寄贈図書 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/01/05 (Tue) 21:31:36

[当日の旗振り役だった…]

楠さんにはお知らせしたのですが、昨年の三田用水ツアーで寄り道した、恵比寿伊達跡の「1月だけの夢二宅」、当方のWeb中
http://homepage3.nifty.com/baumdorf/KimuTaka/HalfMile/SxSyounennSansoh.htm
の末尾に追記してあります。

夢二の墓石 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/01/08 (Fri) 16:52:09

Wikipedia に写真がありました。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7d/%E7%AB%B9%E4%B9%85%E5%A4%A2%E4%BA%8C.jpg

Re: 寄贈図書 - きむらたかし@三田用水

2016/01/11 (Mon) 08:46:36

[宇賀さんから…]

こちらにも送っていただいたので、お礼のお手紙に、当方のWebの該当部分のハードコピーを同封しました。


夢二「出帆」挿絵の原画の展示 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/06/01 (Fri) 16:46:13

[「東京ステーションギャラリー」で…]

開催中の
千代田区×東京ステーションギャラリー「夢二繚乱」
会期:2018年5月19日(土)- 7月1日(日)

個人的には、ほかのは「はっきりいって、どうでもいい」のですが(願わくば、夢二撮影の写真を展示してほしいところ)、「おおっ」と思ったのが、これ









「見どころ③ 初公開!
 自伝小説『出帆』挿絵原画

発表当時大きな話題となった『出帆』には、134点の挿絵が付けられました。本展では、この挿絵原画全点を一堂に初公開します。…
『出帆』原画 昭和2(1927)年 千代田区教育委員会蔵」

あの、玉電高井戸線を走り始めた電車を、夢二が、その少年山荘の「露台」から描いた絵をみることができそうです。

寄贈図書2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/06/08 (Fri) 20:34:26

〔去る2012年3月4日…〕

松原にあった夢二の(一応)終の栖、少年山荘のツアーを主催された、金沢市の楠英介さんから、これまで書かれたブログの記事に校訂を加えて書籍化された
「夢二の恋、友、旅」
をお送りいただきました。
 10年がかりで書きためた、夢二の足跡を辿る旅の記録の集大成だけあって、全146+18ページという大部のもので、この書籍化のために、プリンタ(と、ステップラー)を新規に購入された由。

 私が独り占めするのも問題ですし、多くの方に読んでいただけるように、後日邪宗門に常備することにしたいと思います。

 なお、書籍をご希望の方は、800円+送料300円(郵便振込)で頒けて下さるそうですので、
https://blog.goo.ne.jp/mojiroutakehisa/e/7da993a819c4e80cf6fe849cb8ca9434
をご覧ください。

[写真は、書籍の表紙。上部は、2012年の折楠さんから頂いたネーム・タグ]

Re: 寄贈図書 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/06/09 (Sat) 06:40:52

〔「夢二繚乱」展を…〕

開催中の東京ステーションギャラリーの回廊では、
「イザベラ・バード展」
も開かれている由。

これは、何がなんでも会期中にゆかねば。

Re: 寄贈図書 - きむらたかし@三田用水

2018/06/24 (Sun) 14:09:22

〔昨日…〕

楠氏の「夢二の恋、友、旅」を邪宗門に持っていって、その常備品として移管しました。

夢二の作品には興味があっても、経歴や旧居*に特段の興味のない方もおられると思いますが、そのような方にとっても、夢二作品の展示施設(執筆後閉館したものについては、注記あり)の探訪記は有益だと思います。

*〔松原の少年山荘〕
http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/SxSyounennSansoh.htm

Re: 寄贈図書 - きむらたかし@三田用水

2018/06/27 (Wed) 19:21:49

〔会期末ぎりぎりになってしまいましたが…〕

「夢二繚乱」展、行ってきました。

会期末のせいか、さほど広くない(といっても、東京駅
北口ドーム下の2階と3階をフルに使っているので全体の面積はそこそこあるのですが、個々のスペースごとにみるとはやや狭苦しい)会場は、ウイークディの午後でもあり、主に女性陣(何の意味があるのかわかりませんが、全員着物姿のマダム10数人の集団もいました)と、明らかにそれにつき合わされて疲れていること見え見えのシニアの男性陣で、場所によっては通り抜けしにくいほどいっぱい。

こちらは、突き詰めれば、小説「出帆」の、しかも、下高井戸近くを描いた挿絵2枚だけが目当てでしたので(実は、ほかにも世田谷というか松原近辺を描いた作品がないかかと探したのですが、見当たらず)、展示後半のそこまでなかなか行き着けません。

そんなときの鑑賞方法は、遠目で会場内を見回して「おおっ」と感じる「力のあるもの」だけに近付いて見るのがコツ。

今回も画題は忘れましたが、会場に入ってすぐの、後の俗称夢二調とは一味も二味も違っていて、しかも、遠くからでも「夢二の最初の」というか「唯一の」妻である他万喜さんであることが一目でわかる軸装の日本画。

もう一つは、そこから確か2室奥の、非常に小さな緑色バックの子供のための絵葉書の原画でした。

PS:2階回廊のイサベラ・バード展、ほとんど既知の展示内容だったのですが、それでも面白かったのはバードの携行食料
 「レーズン、チョコレートそしてブランデー」
と、お好みだったといわれる日本のお菓子
  「甘納豆と干菓子」
でした。

富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/27 (Sun) 11:29:41























part.1が巨大になってしまったので…

[まずは…]
8月20日発行の町会のミニコミ誌
http://www.city.setagaya.lg.jp/kitazawa/12100/12112/d00138146_d/fil/137.pdf
に投稿した、part.1 の超要約の原稿から。

Re: 富士講 part.2 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/08/27 (Sun) 14:12:33

わがまち ふるさと まだ続いているのですか?

なぜかNO3号が手元にある、貴重品なんだ。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/27 (Sun) 14:18:08

[おおっ…]

区長が大場さん
事務局が「第九出張所」!
(よく住民票をとりにゆきました。なつかしい。)

たしかに、貴重品ですね、これ。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2017/09/12 (Tue) 20:45:16

[今=2017/09/12 20:34]

yahoo auction
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c617613870


「4◆富士山神系御山絵図◆富士講 富士信仰 木版 手彩色 江戸後期~明治初期頃 川口御師 河口湖 浅間神社 神道 北口◆掛軸/古文書/摺物/刷物」

なるものが出品されているのですが…

¥1,000スタートで残り2時間で¥32.500!

富士信仰とか富士講に興味を持っている方がいかに多いのかがよくわかります。

多分4万円超えでしょうから、とても「手が出ません」けど、詳細な画像が多数ありますので、見るだけでも見ておくことをお奨めします。

鈴木金太郎さん - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 04:09:51

先日4月21日の富士吉田行(第138回町歩きのバスツアー)で、鈴木金太郎さんの足跡がまた一つ見つかりましたので、二つに分けて簡単に報告します。(^_^)

◆旧外川家住宅にて
世田谷郷土資料館の「社寺参詣と代参講」に、若林の富士講の一行は富士吉田で御師佐藤出羽の守の宿坊に泊まっていたという記述があるので、矢花さん経由で二日前に旧外川家住宅に質問したところ、外川和美さんが調べてくださって、佐藤出羽の守の宿坊がさるやだとわかった。ただ、その建物は二年くらい前にマンションに建て替えで既に取り壊されて今はないこと、だが、さるやの資料はふじさんミュージアムに寄贈されていることがわかった。

Re: 鈴木金太郎さん - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 04:18:09

先の続きです。

◆ふじさんミュージアムにて
学芸員篠原さんに世田谷の富士講について説明して、さるや(御師佐藤出羽の守の宿坊)の資料で、どこの富士講団体が宿泊していたか文字になったものがあるか聞いたが、資料の整理はまだこれからとのこと。なおも山冨丸平講のことを話していたら、心当たりがあったようで、申請書によってみせることが出来るものがあると教えていただき申請書を書いた。それで別室に額が出てきて、そこに鈴木金太郎さんの名前を確認。御師の家に綿入(どてら)20枚を奉納したという額。金太郎さんの他に馴染みのあるお名前もいくつか。額は昭和10年のもので、北澤八幡の石碑より更に五年後であり、金太郎さんの活動期間がさらに長いことがわかった。

こんな感じでした。

Re: 鈴木金太郎さん - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 12:18:03

先に書いた北澤八幡の石碑とは、富士講関係ではありません。
北澤八幡の参拝道が急傾斜だったので改修工事をした時に、敷石を誰が何枚寄進したという石碑があります。昭和5年のものですが、この時まで公の場に名を連ねていました。地元の名士だったのでしょうね。
鈴木金太郎さんは、少なくとも明治35年から大正9年まで富士講に関係して頑張っていたので、昭和5年の頃は壮年から老年期だったかなと思ってましたが、昭和10年の奉納額で富士講関連の活動をこの時期まで続けていたことが分かり、なんだか五年程雇用延長で頑張っている会社OBの話を聞いたみたいに、微笑ましい気持ちになりました。

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 12:27:34

このブログの富士講 part1の方を見ていたら、認識不足というか一度聴いていたけど忘れてた話なのですが、富士山四合目辺りに山冨丸平講の鈴木金太郎さんの五十度登山の石碑があると書いてあったのに気付いて、またなんだか嬉しくなりました。文献調査が出来るってことは有り難いことですね。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/24 (Tue) 15:07:58

〔「さるや」…〕
見つけました。

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 外「特別展渋谷の富士講 : 富士への祈り〔図録〕」同館/2010.1・刊
p.74 「上吉田地割図」

金鳥居に向かって参道の右手中ほど。

宿場町などに見られる典型的な地割ですね。

間口を狭くして、限られた街区をできるだけ多くの人が公平に使えるようにし(ただし、これは近世の「新田」でも同じですが)、
街路・水路などの「まち」の整備費や用水の水料などの公租公課は、武家の場合は石高割なのに対して、町家は間口割で負担するのが、このころの不文律だったみたいですので、その意味でも合理的。

また、2本の道路の中間に用水を通して、その両側のどちらの家でも水が使えるようにと、限られた土地をうまく使う工夫をしています。

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 20:18:35

まさにこの資料を外川さんに見せてもらいました。出典がわかってよかったです。一目見たときには、白黒でもあったので、町内会の回覧版か何かかなと思いましたけども、立派なものでしたね。(^_^;)

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 21:22:04

今回のツアーでは、富士吉田登山道の馬返しまで行きました。早めに動いて時間があったのですが、運転してくれた米澤さんに感謝です。
道すがらたくさんの石碑を見ましたが、一つ一つ見出すときりがないので、山冨丸平講のマークだけに気を付けながら歩きました。
信仰の登山道の零合目です。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/24 (Tue) 22:33:00

>一目見たときには、白黒でもあったので、町内会の回覧版か
>何かかなと思いましたけども、立派なものでしたね。(^_^;)

あるいは、外川さんがお持ちだったのは、この原典にあたる富士吉田市史編さん室「上吉田の民俗」1989のモノクロの図版のコピーで、それに、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の田原学芸員
http://www.kasetatsuya.com/norivernolife/noriver_nolife_taidan.html
をはじめとする学芸員さんたちが、必死こいてインキングしたのかもしれませんよ。

同館の「「春の小川」の流れた街・渋谷」の図録に類例がありますし。

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 05:52:59

先日4月21日の富士吉田ツアーでは、
山冨丸平講の下北沢​の鈴木金太郎さんと
若林の根岸弥三郎さんにスポットを当てて、足跡を辿りました。

下記の場所・石碑などにお名前が残っています!
これまでの話と重複しますが、まとめとして、3つに分けて記します。

明治5年  根岸家文書 冨士同行日〆帳
若林の一行は富士吉田御師・佐藤出羽守の宿坊に入るとの記述

明治6年  根岸家文書 富士講掛金帳
名主 根岸政五郎さん の後に 根岸弥三郎さん  …政五郎さんの子供?

明治21年2月 若林ピーコック辺りの石碑  
山冨丸平講 若林 扶桑教 根山政行さん 三十三度 
裏に石碑を建てた代表者として 根岸弥三郎さん 

続く

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 05:58:07

続きです

明治35年6月 富士吉田の北口本宮浅間神社の石碑  
山冨講 下北沢 先達 安野梅五郎さん 三十三度 
裏に世話人の一人として 若林 根岸弥三郎さん、下北沢 鈴木金太郎さん

明治44年8月 富士山の山小屋 マネキ
山冨丸平講 四代目 先達 鈴木金太郎さん
若林組 根岸弥三郎さん

大正9年7月 東北沢(池ノ上)の石碑
山冨丸平講 四代目 先達 鈴木金太郎さん 五十度

大正9年7月 富士山四合目あたりの石碑  
山冨丸平講 先達 鈴木金太郎さん 五十度
御師 佐藤

最後に続きます

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 06:08:45

最後です

昭和5年5月 下北沢の石碑  
表面 敷石並社前石段改築寄進連盟 の5人目に 鈴木金太郎さん 
裏面 発起人の7人の4人目にも 鈴木金太郎さん 

昭和10年8月 富士吉田さるや(御師 佐藤出羽の守の宿坊)の奉納額 
先達 鈴木金太郎さん 

以上になりますが、どの資料にも鈴木金太郎さん、根岸弥三郎さん、お二人以外にもお名前が出て来るわけで、それらのマッチングや広がりも、これから益々楽しめそうです。
例えば、東北沢(池ノ上)の石碑と北口本宮浅間神社の石碑に雑色の佐久間兼吉さんのお名前があることなど・・・

米澤さん - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 12:08:34

米澤さんと同行すると、必ずと言っていいくらい、出会いがあります。米澤さんが調査していると、近くを人が通りかかり、その人と話しをすると調べてたことがわかったりするということが、普通に起こります。いわゆる「何か持ってる」人です。
富士山関係ではこれだけ遊んでます。
2016年4月9日 大月で富士山の溶岩をみて盛り上がった後、北口本宮浅間神社で下北澤の石碑を発見。
2016年5月1日 新倉山浅間公園で外国人に人気の景色を見て、月江寺駅周辺を散策&美味しい定食屋 いづみやを発見。その後、旧外川家住宅を見学し加藤信子さんとお話し。最後は帰り道で猿橋も見学。
2016年10月9日 ふじさんミュージアムに行きマネキ・石碑の文献調査。
今年の2月と4月に鈴木金太郎さんのお孫さんと思われる方のお宅を訪ねましたが、残念ながらいずれもご本人には会えませんでした。
ツアー後の4月22日には米澤さんと世田谷郷土資料館を訪ねて武田さん、角和さんにこれまでのお礼や富士吉田ツアーでの発見などをお話ししました。

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 12:48:04

きむらけんさんが、資料館の方のサイトの「下北沢X物語(3505)―霊峰富士:観光の隆盛と信仰の衰退―」の中で、世田谷の富士講は今ではほとんど活動は休止していると書かれていますが、なかなかどうして、大山講の方は根強いものがあるようで、
2016年10月23日に、大山にて大山講の白装束集団に遭遇しました。中には北沢1丁目の方もいらっしゃいました!
今度、会の別宮さんが大山講や御師についての歩く会を案内してくださると決意表明していただいたこともあり、その時が楽しみです。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/04/25 (Wed) 14:25:10

〔中野の雑色村〕

M13測M30修測1/20000迅速測図「内藤新宿」抜粋

part.1の「2016/04/25 (Mon) 11:07:30」に追記した、
中野区の方の「雑色」です。

少なくとも、北澤の地でいう「雑色」は、京浜急行の駅のある「雑色」ではなくて、この中野の「雑色」と考える方が、地理的にも合理的。

現・中野区の富士講についてチェックしてみる価値はありそうです。

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 20:37:13

日本の三大名字の一つ鈴木さん。みんなが知っている昔話の主人公の一つ金太郎さん。では、鈴木+金太郎で鈴木金太郎さんが山ほどいるかと言えばそうでもなくて、むしろ、別々の場所でこの名前に出会ったとしたら、それらは同一人物かなと思う方が自然な流れですね。
でも、このブログの富士講 part1の方では、別人の鈴木金太郎さんもいたみたい
だと。

''ネット見つけました。(http://www.fujiyoshida.net/
二十三(?)夜講 四代先達『鈴木金太郎』の名が。''

面白いですね。

山冨丸平講 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 21:06:24

丸平の由来についてですが、
このブログの富士講 part1の方で山吉講について文献からの引用で、
「山吉講は、渋谷道玄坂の吉田平左衛門という食行身禄の直弟子が?袓、同じ講紋の講社は昭和八年で、渋谷,玉川,三軒茶屋,下谷,寺島,砂町と七講あった」
と紹介していただきましたが、この吉田平左衛門さん。
「吉田から山吉講が名付けられたのと同様に、山冨丸平講の平は平左衛門の平から付けられたのではないかな」との見識を示して下さったのは、世田谷郷土資料館の武田学芸員さんです。
やっと平に巡り会えたと思いました。

Re: 富士講 part.2 - 米澤邦頼

2018/04/25 (Wed) 21:33:22

今は無き、さるや・佐藤出羽守の建物です。
※グーグルストリートビュー2015年7月画像から

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/25 (Wed) 23:13:00

[むしろ…]

気になるのは、お隣の「刑部ふとん店」
(刑部佐渡、左伴定美 屋号:ひだりども)
で、2017年までにリフォームはしているものの、看板は無くなっています。
廃業したのでしょうかね。

https://goo.gl/maps/xS8Lh2fnH2s

Re: 富士講 part.2 - 米澤邦頼

2018/04/26 (Thu) 01:33:19

刑部佐渡さん、現在は、古民家手相カフェ(2016年OPEN)
オーナーの女性は富士吉田出身 旧外川家住宅で案内ガイドもしているようです。こんど行ってみます♪

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/26 (Thu) 03:23:32

さるやに奉納された綿入れは、この布団屋さんで作られたものだったら面白いですね。石碑についても、世田谷で作って富士吉田に持って行ったのか、富士吉田の石工に発注して作ったのか、興味あります。
今の感覚なら現地調達する所ですけど…

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/26 (Thu) 12:12:07

「古民家手相カフェ」
http://kitaguchiyumeya.com/

屋号は「夢屋」

google street view の最新データで、刑部さんをみたら、小さい立看板で「夢屋」とあります。

https://goo.gl/maps/4ApwRCPFpQr

なお、「ふとん屋」さんは、ここ
https://goo.gl/maps/TcrwaGqpCLM2
にも


Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/04/27 (Fri) 19:44:49

〔石工〕

>石碑についても、世田谷で作って富士吉田に持って行ったのか、
>富士吉田の石工に発注して作ったのか、興味あります。

地蔵とか庚申塔だと、石工の名前も、奉納者のリストの後ろ
に彫ってある例も結構あるのですが、この石碑には見当たら
ないのでしょうか?

Re: 富士講 part.2 - 米澤邦頼

2018/04/28 (Sat) 10:12:21

北口本宮富士浅間神社の下北澤の石碑には石工名は彫られていませんでした。

雑色:佐久間謙吉さん『下落合同志会』に名前があります。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/28 (Sat) 13:03:02

[やはり…]

〉佐久間謙吉さん『下落合同志会』に名前があります。

「雑色」は「中野の雑色」と考えてよさそうですね.

なお、この「ピックアップなかの第40回2014年10月16日~12月15日放送) 」
https://youtu.be/R8t-0DDMuJY
の10分目あたりから、旧雑色村史。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/04/28 (Sat) 17:53:07

〔山冨丸平講〕

は、通常のルールでは、
Step1 まず「山冨講」があって、
Step2 その枝講として「丸平講」が成立した
はずなので…、

まずは、「丸平」の前に「山冨」の方の出自を固める必要があって、それをすっ飛ばして、一気に

〉「吉田から山吉講が名付けられたのと同様に、山冨丸平講の平は平左衛門の平から付けられた」

というのは、仮説としても、かなり乱暴と思われます。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/29 (Sun) 03:37:00

〔山冨講〕

part 1でご紹介済みですが

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館「渋谷の富士講-富士への祈り-」〔図録〕同/平成22年・刊

p.14掲載の、1842(天保3)年に、月三講の先達長嶋泰行が田端の妙行喜山に贈ったとされる

紙本着色富士講惣印図
現・北区田端藤三峰講・蔵

右欄上から4段目、右から3駒目に山冨講の笠印があって、どうやら

武州稲毛玉川
 要臧

と読み取れます。

稲毛といえは千葉(総州)を連想しますが、武蔵国橘樹郡に現在の川崎市高津区から中原区にかけてあった稲毛氏の荘園は稲毛庄と呼ばれているそうですので、かの喜多見の山冨丸平講は、いわばその直系に近いのかもしれません。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/04/30 (Mon) 22:34:17

件の石碑の建立当時としては、素直に考えると、一種の「利権」で、当地が聖域とみなされていたこともあり、特定の、あるいは特定の組合などの範囲の石工さんの独占市場だった可能性が高いと思われます(今でも、都内のお寺でも、特定の業者以外は葬儀を設えられない例もあるほどですので、まして昔の彼の地おや」ですので)。

そのあたりの検証には、せっかく同じ人の名前を掘った石碑が彼の地と世田谷北沢とで、2基あるのですから、両者の字体を対比することによって、自ずから結論は出そうに思います。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/05/02 (Wed) 17:28:55

〔中野の雑色…〕

の富士講について、何か情報源がないかと探していたら、Psrt 1で、様々ご教示をいただいた、大谷先達の
「富士信仰研究文献目録(2008)」
http://fjska.sakura.ne.jp/kijilist/index.php?title=%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%96%87%E7%8C%AE%E7%9B%AE%E9%8C%B2%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%98%EF%BC%89&oldid=73
との力作を発掘。

その膨大なリスト中に

00858 中野区民俗調査報告 -- 第2-4次 中野区教育委員会編 中野区教育委員会 1999 2004 第2次:新井・上高田 第3次:青梅街道周辺地域 第4次:江古田・沼袋 東京都中野区の富士講について地区ごとに調査 調査はいずれも牧野眞一→牧野真一

との文献があることが判明しました。

と、いうわけで、かねてから蔵書先を探しているのですが、未だ発見できません。

【追記】

まだ頒布中でした。
http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/403200/d014207.html

どうやら、この
青梅街道周辺地域 : 中野区民俗調査第3次報告
巻あたりかと…

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/07 (Mon) 05:43:05

[両碑の書体対比]

上:上吉田―下:下北沢

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/07 (Mon) 06:04:49

〔資料用に…〕

いわゆる「光線の具合がよかった」ので、下北沢の富士講碑背面。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/12 (Sat) 09:37:54

[富士吉田・幕末ころ]

F.ベアト

道路左右の灯籠から、この
https://goo.gl/maps/jKxHuwdp46S2
あたりかと思われます。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/05/13 (Sun) 13:54:46

〔もう1枚〕

ベアトらが付けたキャプションでは、富士宮近辺とされているが、
横浜開港資料館・編「F.ベアト幕末日本写真集」同館/S62・刊 p.90
の解説によれば、富士の山容から見て、これも富士吉田付近で撮影されている由。

【追記】
よくみると、中央の「お侍さん」の表情が実によいのです。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/05/18 (Fri) 19:47:08

〔お侍さんのアップ〕
一言で表現すれば「昨日、どこかで見かけたような人」ですよね。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/05/21 (Mon) 23:46:56

[静岡県富士山世界遺産センター 静岡県富士山資料デジタルアーカイブ]

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/2200575100

現在
富士山にかかわる
・平川コレクション
・小林コレクション
の画像データが公開されてます。

前者が富士に関連の絵はがき、後者が地図を中心とする画像で
静岡のコレクションといっても、

富士山北口全図
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/2200575100/2200575100200020/2_037/
なんてのも3種類ありますし(画像参照)、

笑えるのが
「富士山/大山 道中案内記」
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/2200575100/2200575100200020/2_013/
で、なんと東京方の起・終点が「吉原」

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/06/09 (Sat) 10:11:32

〔アーカイブされていることが判った…〕

「多摩川誌」
http://web.archive.org/web/20130105185141/http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/04siraberu/tama_tosyo/tamagawashi/parts/kensaku/mokuji2/01youyaku.html

中、第7編 民俗:第1章 民間信仰:3.2 代参講と山岳信仰
http://web.archive.org/web/20130105185141/http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/04siraberu/tama_tosyo/tamagawashi/parts/kensaku/mokuji2/01youyaku.html
の「富士講」の条に

「富士講の場合は,前述した御嶽講・大山講とはかなり異なった様相を示しており,山岳信仰全体からみても特色ある形態を持っている.つまり,前二者がムラあるいはムラ内部の組織を単位として御嶽山・大山と結び付いているのに対し,富士講の場合は先達と通称される富士行者を中心としてムラを超えて組織されており,元講・枝講の関係がみられること,また先達の超自然的な力が講の盛衰に影響を与えることが多く,必ずしも富士山そのものが講集団の信仰の中核に位置しているとはいえないこと等の点で特色がある.
 流域においては,多摩川の北側,武蔵野一帯に丸嘉講が広く分布し,川崎・横浜両市にばタテカワ講・本一講・丸金講・一山講・山真講・*山富講*・丸伊講などが分布している.」

とあり「山富講」が登場しています。


流石の北斎1 - きむらたかし@三田用水

2018/06/22 (Fri) 21:06:07

〔国会図書館蔵の…〕

北斎「富嶽百景」をみていたら、ものすごい絵がみつかりかした。

まず、その1「不二の山明」

流石の北斎 - きむらたかし@三田用水

2018/06/22 (Fri) 21:08:22

〔富嶽百景〕

その2「不二の室」

流石の北斎3 - きむらたかし@三田用水

2018/06/22 (Fri) 21:11:07

〔富嶽百景〕

その3「辷り」

これ、本編の最高傑作と思います。

エト邦枝の墓所 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/06/12 (Tue) 09:35:35

下北沢一番街で歌謡教室を開いていたのはエト邦枝です。カスバの女を歌っていた歌手。代田の帝国音楽学校を出ている

 当地ゆかりの歌手です。この人のファンから彼女の墓所が知りたいとのこと、どこに埋葬されているのか。ご存じの方、情報をよろしく。

伊藤文学さん情報 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/06/11 (Mon) 09:04:33

〇「週間文春」6月14日(木)
 「新・家の履歴書」
  伊藤文学86歳の誕生から今日まで

〇NHK教育テレビ
「Love 1948~2018」に出演
 日時 6月16日(土)23時より 

「東から下北沢、西から松原が押し寄せてくる」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/05/20 (Sun) 10:48:08































〔タイトルの…〕
ように、代田を評したのが、当の代田の古老、今津博さんでした。

感覚的にはなんとなくわかるものの、さて、何か裏付けは…とかねがね思っていたのですが、偶然、何と、それを「数値化」した「論文」が見つかりました。

大佛 俊泰 外「建物名称の空間分布からみた地域イメージの魅力度分析」日本建築学会計画系論文集 69 巻 (2004) 576 号 101-107

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/69/576/69_KJ00004227016/_pdf/-char/ja

結論は、(論文の)p.104の「表1」にあるので、画像で引用しますが、魅力度の数値は、やや乱暴にくくると(詳しくは論文の本文で)ある名称の駅や町から、離れた場所の建物にも、その名称が使われる傾向の大小を示しています。

世田谷の断トツは、二子玉川で、下北沢は実質2位(しかも、駅名しか命名要因がない)。松原は18位、代田は今津説の示唆するとおり57位。

池ノ上が魅力度4.42とされてるところからみると、おおむね、5.0ポイント前後から上が「本当は違うけど付けたくなる名前」と考えてよさそうです。

文士町文化地図第8版用追加考証 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/21 (Sat) 16:46:43



























〔下北沢341〕

見晴荘という下宿屋(というより、下記の巽らのいるところへ新美が転がり込んだような印象なので、アパートの可能性が高いか)に

新美南吉 〔童話作家:ごんぎつねで有名〕

なお、いずれも白秋の弟子で童謡詩人の
巽聖歌、与田準一、薮田義雄
と昭和6年半ばから、東京外語に入学するまでの7年春まで同宿していた由。

http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/51991868.html
参照

(以上、愛知県の新美研究家の山本達郎氏のご教示による)

追って、画面中の「文紀堂書店」消滅しています

Re: 文士町文化地図第8版用追加考証 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/05/04 (Fri) 09:27:38

〔新美と巽〕

2人の現・中野区上高田時代を中心とする交流について、
中野区立中央図書館のデジタルライブラリ中に
同館の企画展の図録、

巽聖歌と新美南吉-友情と名作を育んだ上高田-
[企画展示「中野区ゆかりの著作者紹介」第10回 地域の著作者紹介シリーズ]
http://archive.nakano-library.jp/mirador/809677941/

がありました。

白秋も訪ねてきたという、北沢のミハラシ荘についても、その7ページ目に少し言及があります。

Re: 文士町文化地図第8版用追加考証 - きむらたかし@三田用水

2018/05/19 (Sat) 21:52:36

[永瀬清子]

先の、愛知県の山本氏から送っていただいた
永瀬清子「かく逢った」編集工房ノア・刊 中
「巨木の倒れ -横光利一氏追悼」pp.232-242
の非常に「論理性の高い」文章を「素直に解釈」すると、こうなります。

在住は、昭和8年(帝都線開通)以降、昭和20年まで


Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure Part 2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/06 (Sun) 13:55:00





















「下北沢の戦後アルバム」掲載の飯田勝氏の作品中…

最後まで特定できなかった「北沢4丁目」(アルバムページ右下)の描画位置が、会の強力取材陣の一員、作道敬子さんの、松本清張の「砂の器」の今西刑事ばりの「靴底」ならぬ「電動自転車のタイヤを擦り減らす聞き込み捜査」の成果で、森厳寺川跡沿いの数年前に建替えられた家であることが判明しました。

この機会に、本日、6枚全部について、改めて「今昔写真」を撮ってきましたので、順次アップロードします。

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure Part 2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/06 (Sun) 13:59:22

図版右上・代沢三叉路南西角

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure Part 2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/06 (Sun) 14:00:52

図版右中・旧東北沢3号踏切

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure Part 2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/06 (Sun) 14:02:18

図版右下・北沢4丁目

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure Part 2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/06 (Sun) 14:03:54

図版中央・下北沢バス折返所

180609 画像差替え

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure Part 2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/06 (Sun) 14:05:46

図版左上・スズナリ前から東北沢4号踏切

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure Part 2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/06 (Sun) 14:07:06

図版左下・東北沢6号踏切

Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/03/25 (Sun) 17:49:46




















[mision cumplida]

下北沢文士町文化地図別冊「焼け遺ったまち 下北沢の戦後アルバム」

Post Editing page

懸案の、オースティン博士の写真と飯田氏の絵を掲載した小冊子「下北沢の戦後アルバム」、北沢川緑道の桜の開花に、ぎりぎり間に合い、24、25の両日配布されました。

オースティン博士が写真を撮った昭和21年から25年当時、日本人にとってモノクロ・フィルムでさえ入手しにくく高価だったという面も確かにあるのでしょうが、改めて見返してみると、どれも、日本人にとっては「至極当たり前で、日常的」すぎる光景ですので、わざわざレンズを向ける日本人は(マエストロ木村伊兵衛あたりは別かもしれませんが)まず、いなかったはずです。

その意味で、外国人だからこそ遺せた「都市民俗」の記録なのだと思います。

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/03/28 (Wed) 09:45:03

【表紙】





























【追記】
このBBSでは、いわば「表現力」に制約がありますので
「下北沢の戦後アルバム」
の「正誤表」や「編集者追記」は、こちら
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html
で対応することにしました。

【インデクス】
表示されるページ中の画像をクリックすると大きな画像が表示されます

01:北口駅前から北方向〔「パン近江屋」=現・カルディのビル〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/781

02:北口駅前通り〔「近江屋不動産」=現・横浜銀行のビル〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/679

03:(現・一番街)本通り 元・宮田家具店
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/691

04:(現・一番街)本通り〔正面奥が「宮田家具店」〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/759

05:(現・一番街)本通り「稲毛屋金物店」
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/769

06:(現・一番街)栄通り最北端・本通り手前
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/645

07:(現・一番街)写真06の撮影位置から南方向を撮影
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/729

08 :(現・一番街)栄通り北から4分の1あたりを南方向から
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/761

09 :(現・一番街)栄通りキクヤ文具店の店頭
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/637
左右反転

10 :(現・一番街)栄通り南から4分の1あたりを南方向から
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/747

11:(現・一番街)栄通り南端(東北沢6号踏切)
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/771

12:(東通り)現・オオゼキ~駅南口の小田急線東沿いの道を北方向から〔架線柱は「帝都線」〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/739

13:下北沢駅南口駅前〔右端の「果実丸万」=現・マクドナルド〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/713

14:南口通り商店街〔現・DOCOMO・Softbankの間の横道の向かい〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/725

15:南口通り商店街 〔現・ミスタードーナッツの角〕を北から〔元「政府の配給」との解説付き〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/639

16:「砂場」南隣の八百屋店頭〔イチゴの木箱が懐かしい〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/617

17:南口通り商店街「砂場」南方を南方向から
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/779
左右反転

18:南口通り商店街南端付近を北方向から〔画面奥の支柱付きの電柱の場所が膳場青果店〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/745
左右反転


Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/03/31 (Sat) 21:43:37

[Editor's post Information]

写真15:南口通り商店街 〔現・ミスタードーナッツの角〕を北から〔元「政府の配給」との解説付き〕
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/639
の店入口の右の真新しい木の看板の真ん中の文字。

このリンク先
http://www.chidori-ya.co.jp/hp/profile/history.html
冒頭右の写真を参考にすると、

「食糧配給公團東京都支部委託製麺所」

と読み取ることができ、これで「ウラ」が取れました。

なお、関連新聞記事
「食糧営団配給・貯蔵に一貫性 主要食糧確保 国民生活に絶対安定感」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10027453&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

冊子の「あとがき」にも書いたとおり、やはり、「写真を拡大して観察する」と情報は無限に引き出せます。

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/01 (Sun) 07:16:44

Dr.Austin の著書

https://www.goodreads.com/author/list/7093647.Oliver_L_Austin_Jr_

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/01 (Sun) 07:22:38

〔佐藤洋一教授@早大 制作の…〕

ヴィデオ・クリップ
https://www.youtube.com/watch?v=ZmEixljWQuA&t=

冒頭近くに、北沢八幡のお祭り【四五睦の神輿・お神酒所】の画像が発掘されています。

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/01 (Sun) 08:21:59

〔毎日新聞〕

2018/03/29の記事

占領下の日本 カラー1000枚 撮影場所はどこ?
https://mainichi.jp/articles/20180329/k00/00e/040/252000c

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/02 (Mon) 20:13:58

[Editor's post information]

07:(現・一番街)写真06の撮影位置から南方向を撮影
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/729

オースティン写真の中央に、薪を背負った男性がいます。

終戦直後とはいえ、市街地で薪というのも、当初は変に思ったのですが、よくよく昔を思い出してみると、通常の「煮炊き」にはまず間違いなく都市ガスを使っていたはずですが、この時代、風呂だけはまだ薪や石炭で炊くのが普通だったはずです。

筆者の体験でも、昭和36年に世田谷北沢の当地に引っ越してくる前、大井町に住んでいたころは、風呂は薪や石炭で炊いていました
・庭の端に薪や石炭の置場があって、「お手伝い」で風呂を焚いているとき、足りなくなるとそこに取りに行った。
・毎月だったか3月に1回だったか「煙突掃除」の気のいいお爺さんが来て、巨大な試験管洗いみたいなブラシで、煙突内の煤を掃除してくれた。ほおっておくと、煤に着火してプチ火事になる由
・日本で民放のテレビ放送が始まったのは1953年だそうですが、たしか、物心ついた1955年ころには、東京ガスが、ガス風呂釜のCMを流していたと、おぼろげながら記憶しています。

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/03 (Tue) 20:24:46

[Editor's post information]

「それらしい」写真のうち、18枚までは撮影位置・方向が特定できたので「焼け遺ったまち 戦後の下北沢」の発刊にこぎつけることのできた、オースティン博士撮影の下北沢の写真なのですが…

残る2枚のうち1枚が

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/711

のお茶と海苔の店。

"Shimokitazawa"とのキャプションが付いていますが、どこにあったお店なのか、てがかりがありません。

 しかし、今日、米澤氏の示唆があったのは、店の左端近くに立っている黒漆塗りの柱に写った光景。

 これを
1 切り出して
2 拡大し
3 このままでは鏡像なので、左右反転して実像にし
4 コントラスト・レベルを調整すると…

赤丸の部分、色といい、形といい、周囲から抜きんでた高さといい

「東京ジャーミー旧館」
 http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/799
にしか見えないのです。

 そうだとすると、まだ仮説ではありますが、このお茶屋さんは、水道道路と都道鮫洲大山線との交点の大山交差点の北西。 つまり、オースティン博士の官舎のほんの筋向いということになります。

                  きむらたかし

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/06 (Fri) 15:46:05

[九段の昭和館に…]
今日の午前中に時間ができ、先方に連絡をとり、先方も時間が空いていたので、まず先に東急文化村の「猪熊弦一郎展 猫たち」を見てから、半蔵門線で九段下に回り、オースティン博士の写真展「希望を追いかけて」を見に行ってきました。

・「下北沢の戦後アルバム」が、一部パネル化されて、会場外側の通路に、「撮影地情報求む」のコーナー(このコーナー掲示の写真に「…アルバム」に準じてQRコードを追加した由)に並んで貼り出され、
・会場入口の巨大なAMSマップの左下に、下北沢での撮影ポイントが高密度でプロットされていました。

加えて、会場内に掲示されている、写真05

【 解説付きWEBページ
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/769
  写真本体
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/d3b2e888c3a4613d23dc424791b778f5.jpg


の前で話し込んでいるお2人の御婦人に、「是非、これを持って、下北沢に遊びに来てください」と「…アルバム」を進呈してきました。


Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/06 (Fri) 20:20:28

〔九段・昭和館 特別展「希望を追いかけて」〕

入口にある巨大AMSマップ
(参照 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/index_tokyo.html

赤矢印が、我が「下北沢」関係

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/08 (Sun) 05:16:00

[Dr. Austin のカメラ]

を、当方のブログにUPしました。

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/04/draustin-e472.html

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/11 (Wed) 10:52:51

〔Dr.Austin の世田谷区内の写真 追加特定〕


http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/585
の写真。山下温泉とあるとおり、世田谷線の山下駅近くにあったことがわかりました。

https://goo.gl/maps/vRGmLGWni9n

詳細は、下記をご覧ください。

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/04/draustin-263e.html

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/15 (Sun) 18:10:35

[下北沢写真のうち…]

02 北口駅前通り〔「近江屋不動産」=現・横浜銀行のビル〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/679

05 (現・一番街)本通り「稲毛屋金物店」
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/769

06 (現・一番街)栄通り最北端・本通り手前
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/645

について、ほぼ昭和24年に撮影されたことがわかりました。

委細は

「ギャラリートーク『オースティン・コレクションでの試み 写真のはたらきを考える』」
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/04/post-6f33.html

で。

【追伸】
このトークショー。定員20名とのことで、ぎりぎり「在庫」がありましたので、「戦後の下北沢アルバム」と「文化地図7版」を、会場で参加者に配布してきました。
「『昭和館』で見たけど、欲しかったんですよこれ」と声をかけてくださったかたもいますし、主催者側の方からも「下北沢大好きという方が喜んでいた」とのご報告もありました。

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/15 (Sun) 20:37:08

【時期ぴったりで…】
先ほど
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館
の田原学芸員さんから、今日から始まった企画展のビラが送られてきました。

題して「企画展 昭和20年代の渋谷」

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/17 (Tue) 00:37:31

【「下北沢の戦後アルバム」編集ログ】

結構あちらこちらで「いつごろから始まったプロジェクトなのか」とのご質問があり、毎回思い出しながらお答えするのも面倒なので、今日の出張の往復の新幹線の中で、編集ログのデータを
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/04/post-4ff1.html
にまとめました。

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - 北沢川文化遺産保存の会

2018/04/17 (Tue) 08:49:09

今日17日 読売新聞朝刊 31面都民版 トップ記事

「戦後写真はどこ?」「GHQの学者撮影」昭和館でのDr.Austin特別写真展紹介、ここに「下北沢で撮影写真18枚区民らパンフ」にで「焼け遺ったまち 下北沢戦後アルバム」がカラー写真入りで紹介されている。

国立国会図書館の献本 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/04/19 (Thu) 18:37:36

国立国会図書館から受領書がきた

 もうだいぶ経つ。「世田谷代田地域研究」は、国立国会図書館検索で引っ掛かるが、「焼け遺ったまち 下北沢戦後アルバム」は出てこない、さてどうしたもんか?

 アルバムは永久保存してほしいものだが……

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/24 (Tue) 21:58:20

〔Dr.オースティン展に…〕

関連してYouTubeにアップロードされている「今昔ヴィデオ」
https://www.youtube.com/watch?v=ZmEixljWQuA&t=


冒頭部の写真2枚分だけですが、ウラがとれました。

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/04/dr-5931.html

Re: Dr, Austin & Mr. Iida's picture brochure. - きむらたかし@三田用水 URL

2018/05/04 (Fri) 21:00:07

〔CX系、明5月5日6:00~8:30〕

「めざましテレビ」

「7時台に放送予定」の由
https://twitter.com/cx_mezamashi

遊歩道開通 - 米澤邦頼

2018/04/28 (Sat) 14:21:30

小田急線 元東北沢4号踏切から東北沢駅への遊歩道が開通(仮?)しました。

特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/10/17 (Tue) 18:46:54





















[標記の特別展が…]

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 で
平成29年10月28日(土)~平成30年1月21日(日)
開催されます。

https://www.city.shibuya.tokyo.jp/edu/koza/12kyodo/tenrankaishousai.html#15

展示物の提供(何かは見てのお楽しみ)など、少しばかりお手伝いさせていただいた折に聞き及んだところによると、西隣の世田谷区東北部、とりわけ帝都線や玉電沿線の住民にとっての見所は…

・明治18年に日本鉄道品川線(現・山手線)開通時に、今の湘
 南新宿ラインの渋谷駅(俗称・南渋谷駅)のところに、渋谷
 駅が開業して以来の変遷を、とくに大山街道を走った玉電や
 市/都電の停留場との関連を含めて示す展示
そして
・昭和39年のオリンピックを前に、首都高速3号線工事の進む
 東口駅前を中心に再現したジオラマ
  このジオラマ、かつて、東急プラザの閉館直前の展覧会
  で見たのですが、ヤジロベエ式の首都高3号線の橋桁工
  事、東横百貨店屋上の遊戯施設、工事中の東口周辺の道
  路の「ヤレ」た路面、など感動モノでした(写真は、そ
  の折のもの)

・渋谷駅からハチ公バスが使えるので、交通費低廉
・60歳以上入館無料(要証明資料提示)
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kyodo/index.html
なので、是非お運びを。

「上水記展」@東京水道歴史館 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/10/20 (Fri) 10:19:50

[秋のイベントもう一つ]

東京都水道歴史館(水道橋近く!)で
29年10月28日~11月5日
と、こちらは、史料(上水記原本)の劣化予防のためか短期開催

詳細は、下記リンク先で
http://www.suidorekishi.jp/event.html#event_josuiki

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水

2017/11/02 (Thu) 18:55:11

〔「上水記展」@東京水道歴史館〕

「一度は『上水記』の原典を見なければ」という一種の義務感もあり、また会期も短いことから、10月31日に、たまたま「外回り」の用事の後で立ち寄ってみました。

各地で出土した、上水の木製の埋樋の現物が展示されていて、その一部は「触ってよい」というのはありがたいのですが、写真撮影禁止というのは、これからオリンピックが来る東京都の機関としては「グローバル・スタンダード違反」でした。

「何とかしろよコイケ」という気分で、館をあとにしたのですが…

ひょこっと周辺を見回すと、玄関を出てすぐ左に細い通路。

実は、この場所、東京都水道局の「本郷給水所」の敷地らしいのですが、通路に沿って裏に回ると、何と神田上水の石積みの白堀(開渠)が復元されています。


Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/11/06 (Mon) 15:24:34

〔地図で見る世田谷〕

世田谷区立郷土資料館 で
平成29年10月28日(土曜日)から12月3日(日曜日)まで
開催。

http://www.city.setagaya.lg.jp/event/1991/d00155970.html

詳細は、ここ
http://www.city.setagaya.lg.jp/event/1991/d00155970_d/fil/dayori67.pdf

何といっても、「ほとんど宝箱」のDVD付き図録が魅力です。

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/11/06 (Mon) 18:58:07

「ヤジロベエ式の首都高3号線の橋桁工事」は良く覚えています。渋谷警察署の裏手で小父が徽章店を営んでいて、よく手伝っていました。東急文化会館の前の電車プールから須田町行きの電車にはよく乗りました。
 何となくうっすらと記憶にあるのですが、確か、ディビダーク工法とか言っていたように、検索で調べたら合っていた。

・渋谷警察側の道路予定地に中華料理屋さんがあって、この焼きそばは美味かった。今でも思い出します。
 ちょっと忙しいけど会期中には行こうと思います。

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水

2017/11/07 (Tue) 22:53:36

〔地図でみる世田谷〕

世田谷郷土資料館の特別展に
「図録が売り切れてしまう前に」
と、今朝アサイチで寄ってきました。
   
 図録+そのpdfを収録したDVD+職業別明細図のレプリカ付き。

 内容は、もう世田谷の地図だらけ(画像は、そのインデクス・ページ)。
 収録画像も世田谷全域の図となるとさすがに苦しいのですが、地域を限った図だと、細部の文字まで読み取れる高解像度です。

 冊子版の図録の厚さも約1センチとものすごいものでした。

 いや、手に入れられてよかった。

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水

2017/11/08 (Wed) 08:56:06

〔地図でみる世田谷〕

大日本職業別明細図では、下北沢あたりが込み入っていて、図録のデータでは細部が読み切れませんので、接写してきた写真を加工しました。

これは、昭和7年版の世田谷中原付近(11月26日再々撮影版)

12年版は図録の附録のレプリカで十分読み取れます。

PS:こうなると欲がでてきて、もっと鮮明なデータが欲しくなります。
  ノンフラッシュなら展示物の撮影OKなので、会期中にもう一度は接写に強いレンズ付きのカメラで、昭和7年図と10年図の下北沢~代田地域を撮って来たいと思います。

【追記】
で、撮ってきました。

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2017/11/post-1291.html

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/01/12 (Fri) 19:04:40

やっと特別展に出かけた。
 國學院大學の側なので図書館に行った。
 ①当会の「ダイダラボッチの紀要」の寄贈。
   目を通してから収蔵を決める。
 ②貴館に所蔵されている「ダイダラボッチ」についての
  論考を閲覧したい。 居住区の図書館の紹介状を

 特別展、当然ですが写真撮影禁止。
 ネットでは「海外の美術館は、撮影OKのところも多くて初めて海外の美術館に行ったときは、カルチャーショックでした。」とあった。どうも日本の場合は杓子定規だと。

 受付の人はかなり知識レベルの高い人でだいぶ話こんだ。
 当会の、文化地図を送りますと約束した。

 きむらたかしさんを知っている学芸員の人はいなかったけれど、名刺をおいてかえったら本人から電話があった。

 渋谷区に居住した文人と文士町に居住した文人との繋がりがあまりないように思った。

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水

2018/01/13 (Sat) 01:13:43

[世田谷と渋谷]

>渋谷区に居住した文人と文士町に居住した文人との繋がりがあまりないように思った。

確かに、双方に共通しているのは、竹久夢二位しか思い至りません。
 しかし、画家では、高須光治は、代々木山谷に住んだ岸田劉生の直弟子ですね。

>受付の人はかなり知識レベルの高い人でだいぶ話こんだ。

 確かに、あのおばちゃん、気配り経験知ともに、かの地の小説に出てくる、英国の図書館の女性ベテラン司書を髣髴とさせる面があります。

Re: 特別展「渋谷駅の形成と大山街道」 - きむらたかし@三田用水

2018/04/22 (Sun) 16:45:53

〔「地図でみる世田谷」展の…〕

図録054ページの「北沢四丁目案内図」(s11)

「セロハン工場」の下の「電気屋」って、三十尾さんのお家ですよね?

 しかし、改めて池ノ上地区を眺めてみると、昭和36年にこちらに引っ越してきたときには、結構この地図の時代のお店が意外に残っていたのですねぇ。

 

北澤八幡神社 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/03/31 (Sat) 22:14:30

矢島宮司さんのインタビュー記事がありました

下北沢の守護神が経験した戦争・戦後―「北澤八幡神社」物語

https://www.70seeds.jp/shimokita-110/

都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/17 (Sat) 16:42:39

[今日は…]

皆様、お疲れ様でした。

取り急ぎ、お約束した、旧・東北沢4号踏切北の小田急築堤にあった、里俗・森厳寺川のカルバートです(2004年8月撮影〔TeleElmarit(2nd.)〕)。

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/17 (Sat) 16:57:05

[別アングルで…]

上流(西)側の水路跡を入れたもの(2003年1月ころ撮影〔Elmar135(M)〕)

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/18 (Sun) 01:48:36

[レジュメ前半]

北沢川文化遺産保存の会 定例ツアー「都市物語を旅する会」第123回       平成28年12月17日(土)
「下北沢の終戦直後(1946~1950)のカラー写真跡を歩く」
              キュレーター きむらたかし

1 Dr.Austin 撮影写真について
 1903年にニューヨーク州で生まれ、ハーヴァード大学で博士号を受けた、アメリカの鳥類学者Dr. Oliver L. Austin jr. は、アメリカ陸軍の推挙により、1946年、連合軍占領下の日本に赴任、日本国内の鳥類の調査のかたわら日本の鳥類学者とも交流を深めている。
 同博士が遺した、日本各地の戦後まもなくの情景を捉えた空気感や臭いまでも伝わるような鮮明なカラー映像は、米国フロリダ州立大学のWebで公開されている
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/ )。

 それらの中で、特に注目されるのは、博士が、代々木大山町にあった連合軍接収の官舎(#665)に住んでいた関係からか、数多く撮影されている当時の下北沢の街の「まるで戦争などなかったように見える」日常的な風景の写真群である。
 1年ほど前、連合軍による日本占領について、若い方の中には、たとえば下北沢の街角のあちらこちらに土嚢が積まれ、その中で兵士たちが自動小銃や機関銃を構えて常時警戒している、という今の中東のそこここで見られるような情景をイメージしている方もいるのを知って呆然とした覚えがある。

 しかし、これらの写真を見れば、民間人の「学者さん」が、妻子や友人を連れ、人目を引く真っ赤なジープ(何枚かの写真に写り込んでいる)に乗って、「丸腰」で東京の町中を走り回っていたことが、理解できると思う。

 それらの撮影場所の「今」を訪ね、Dr.Austin撮影の写真との対比を試みる。
  
The Oliver L. Austin Images

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/

同解説ページ by Takashi Kimura
【「今」の写真は、こちらで】
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html

01:北口駅前から北方向〔「パン近江屋」=現・カルディのビル〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/cec70103e8117354303c97a8c4bbf4ee.jpg

02:北口駅前通り〔「近江屋不動産」=現・横浜銀行のビル〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/b4c2cea35381773074d21ebce9df2908.jpg

03:本通り(=現・一番街) 「宮田家具店」
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/9c13b826c1930322b60c1189433fb513.jpg

04:本通り(=現・一番街)中程から西方向〔正面奥右が「宮田家具店」〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/2f935400ef04dcfa5979eba93ca57687.jpg

05:本通り(=現・一番街)「稲毛屋金物店」
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/d3b2e888c3a4613d23dc424791b778f5.jpg

06:栄通り(=現・一番街)最北端・本通り手前から北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/9d01918ecf2a9431386c572585a5dd09.jpg
【追記】
 写真正面の「出雲工業」の移転先と思しき建物を見つけたので、このスレッドの末尾に追記します。

07:(現・一番街)栄通り北端やや南から南方向を撮影
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/a291ec6f9f042efb4c9267068c9a9514.jpg

08<-07:栄通り(=現・一番街)北から4分の1あたりから北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/f274e0c55404d7da8da9144a60547a2b.jpg

09:栄通り(=現・一番街)キクヤ文具店の店頭 【註:Web上の写真は「裏焼き」】
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/2d516b0ccb5471ed56bed612ab36d5d2.jpg

10<-08:栄通り(=現・一番街)南から4分の1あたりから北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/76c893b396a9180bedc7ffe48a19d54b.jpg

11<-09:栄通り(=現・一番街)南端から北方向(元・東北沢6号踏切西脇)
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/79f9fa74986248ab9ff5b355bab84e50.jpg

12<-10:東通り(オオゼキ~駅南口の小田急線東沿いの道)を元・東北沢6号踏切東脇から南方向〔架線柱は「帝都線」〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/d8a398fde1bcc9f47377545efcbda347.jpg

13<-11:下北沢駅南口駅前〔右端の「果実丸万」=現・マクドナルド〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/0031018287881a6a69a388b4325bcfd0.jpg

14<-12:南口通り商店街 現・DOCOMO・Softbank前付近から南方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/37a93b2a4c45e7cf8dcdeb86818b691a.jpg

15<-13:南口通り商店街 現・ミスタードーナッツの角を北方向から〔「配給」との解説付き〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/af57130b14be12c1a5c0d387df492f15.jpg

16<-14:「砂場」南隣の八百屋店頭〔イチゴの木箱が懐かしい〕
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/a9e5deff6fa2cbe0dc71bbc3349d2955.jpg

17<-15:南口通り商店街「砂場」南方から北方向 【註:Web上の写真は「裏焼き」】
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/151d9f3c1dd8c42dd7ecd4f99c30595f.jpg

18<-16:南口通り商店街南端付近から南方向〔画面奥の支柱付きの電柱の場所が膳場青果店〕【註:Web上の写真は「裏焼き」】

  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/494d7c976ef0fea0ff3b45730b4d2dd7.jpg

*地図の原図は、住宅協会発行の「世田谷住宅地図1962年度版」(米澤氏発掘)

*2018/03/28改訂

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/18 (Sun) 01:57:29

[レジュメ後半]

2 里俗・森厳寺川跡を歩く
 徳川家康の次男で越前北ノ庄藩初代藩主だった結城秀康の位牌所として、慶長13(1608)年に建立されたといわれる森厳寺〔正式には「八幡山 浄光院 森巌寺」〕。
 その境内の西脇を流れ、現・世田谷区立代沢小学校の南東で北沢川〔北沢用水〕に合流することから、森厳寺川と呼び習わされていた川跡の暗渠を、元・膳場青果店東方から後述の「東京セロファン工場」跡地まで、北に向かってたどる。
 今は暗渠化され、ほとんどが遊歩道や駐輪場となっているが、現・世田谷区立北沢中学校北東にあった湧水などを水源とするこの川は、かつては旧・下北澤村の中ではほとんど唯一の水田地域(現・茶沢通りと遊歩道の間)を潤していた川で、上流部には北沢小学校北脇からの三田用水の「山下分水」が合流していて、明治期にはその分水路で水車が稼働していた。

3 「東京セロファン紙工場」について
 この工場は、我が国におけるセロファン紙製造の嚆矢である。
 セロファン紙は、1908(明治41)年にスイスのブランデンベルガ―が発明し、1912(同45)年ころに製品化され、大正期に入ると、我が国にも、食品、特に菓子の包装材として輸入されはじめていた。
 大正10年、脱脂綿を溶解したビスコースを使って電球のフィラメントを作る実験をしていた杉山繁太郎が、偶然セロファンの製法に気付いて渋谷区西原の自宅で研究を行った後、同12年、当地〔東京府荏原郡世田谷町大字下山谷577番地〕に試験的な工場を建てた。
 杉原は、大正15年、同地に、蓄電池製造業者であった河合光治の出資を得て光進社を設立したが、経営不振から、昭和4年に、星野錫〔せき〕らが設立した東京市日本橋区通二丁目2番地6に本社を置いた東京セロファン紙株式会社がこの工場を引き継いだ。
 しかし、同社の世田谷工場〔敷地477.67坪、建物126.10坪〕となったこの工場は、
・ 敷地狭小のため、半幅〔幅45センチ〕の製品が限界で、いわばグローバル・スタンダードである全幅〔幅1メートル〕のものは製造できず、また、その総製造量の面でも限界があった。
・ 同工場のボイラーに石炭を使用していたため、煙突から排出される煤煙について、住宅地化の進む周辺の住民からたびたび苦情が寄せられるようになった。
といった事情を抱えていた。
 昭和8年に同市足立区南鹿浜町に建設された、敷地が広大で水運の便もある同社の王子工場に製造拠点を集約する一環として、昭和11年5月9日に閉鎖、同12年に敷地も売却された。

【参考資料】セロファン紙製造と「水」
 セロファンは、かつて「透明 紙」「紙 ガラス」と呼ばれていたことからわかるように、その原料は、普通の「紙」と同じで、木材を粉砕して作るパルプや綿などの主成分のセルロースである。
 パルプなどを、水酸化ナトリウムなどのアルカリと二硫化炭素で溶かして暗褐色のコロイド状のビスコースを作り、それをスリットに通すなどして薄く成型したものを、硫酸(や塩酸)などの酸で中和して元のセルロースに戻すことによって製造される。
 これらの酸は、高濃度のものを水で希釈して用いていたと思われるが、ビスコースを中和してできた直後のセロファンの表面には、酸がある程度は残ってしまい、その洗浄のための水が必要となるはずで、現に、前掲の「世田谷工場のスケッチ」にも円筒状の水タンクと思われるものが櫓の上に載っていることが見て取れる。
 この敷地の東には、北沢川(北沢用水)の支流の里俗・森厳寺川が流れており、この川には、前述の、三田用水の現・北沢小学校北にあった山下分水が流れ込んでいたので、最初は、この水を利用していたのかとも考えたが、「スケッチ」を見ると櫓の右下に井戸用のポンプ小屋と思われる建屋があるのと、無色透明が特長のセロファンは、とりわけ汚れを嫌うはずなので、井戸水を製品の洗浄に使っていた可能性が高そうである。
 しかし、洗浄水の排水については、下水道が未発達の時代なので川に流していたと考えるほかなく、「水は三尺流れれば澄む」で、現代のように再処理など「考えてもいなかった」だろうから、「硫酸」などの希釈水が森厳寺川に流れ込んでいたことになる。

*図は、東セロ株式会社 社史編纂室・編「東セロ70年史」同社/2000年・刊p.3より
 画面手前が南の由
 したがって、奥の横方向の道と左端の道が茶沢通り

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2016/12/19 (Mon) 02:44:48

[ようやく発掘した…]

カルバートの東側の写真です。

 画面右方向が築堤。手前の穴で、築堤上部からの水を合流させて、そのまま、画面左方向にある下流の暗渠に繋がっていると思われる。

この構造物は、今も残っている。
(2006年11月撮影〔Summaron 3.5(L E39)〕)

*これにて、小田急の森厳寺川カルバート関係写真の「虫干し」完了。

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/19 (Mon) 19:12:34

[世田谷町大字下北澤3丁目〔旧〕字新屋敷1008番]

旧^2朔太郎邸裏木戸からの「敷島」最短ルート
(詳細は
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/51975452.html

の解説図です。

この家の勝手口+裏木戸+裏路地の存在がわかったので、
・女物の下駄を履いて
・ほとんど寝巻で
朔太郎が下北沢の街を徘徊した理由が「合理的」に説明可能になりました。

夜が明けるのを待って一番街(本通り)の煙草屋に「敷島」を買いに行くときの、

図の緑色が、正規ルート
  (男物の下駄を履いてゆくにはこのルートしかない)
同じく水色が、勝手口→裏木戸を使ったショートカットルート
  (女所帯でもあって勝手口には男物の下駄がないので、
   急ぐ時には、女物の下駄を履くしかない。
   さりとて、勝手口に男物の下駄を常備しておくのは
   御用聞きなどの目もあり、萩原家の沽券にかかわる)
と、いうわけですね。

 その所要時間の差は、せいぜい数十秒でしょうが、
・夜中にタバコを切らし
・火鉢の灰の中の吸殻を発掘しながら吸うが
  (代田時代の話だったと思いますが、葉子さんによると
   書斎の火鉢の中に吸殻が「剣山のように」刺さってい
   た由)
・それも吸い尽くし
・悶々としている裡にようやく夜が明けて…
・煙草屋が開く時刻を待ちかねて家から飛び出してゆき
・開店支度中の、まだ木戸を開けたばかりの煙草屋に飛び込んで
・「敷島」を購う
という状況が想定されます。

 「たかが」数十秒なのですが、それが「タバコ呑み」には、「永遠」とはいえなくても、少なくとも「一劫」*には匹敵する貴重な時間なのですよね。

http://blog.goo.ne.jp/nammkha0717/e/5274cc751e8173af47f280776cdefee1

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/26 (Mon) 00:59:46

[Dr.Austin の…隣家のご子息からのお手紙]

 先日、邪宗門にニュージャージ[US]からの手紙が届いたと聞き及び、それが何やらNakadaという人からのもので、件のDr.Austinの写真が4枚同封されていたとのことから、もしやと思って調べてみたら…

なんと、大山町の Dr.Austin の隣家のご子息(と、いっても around eighty)らしいことがわかりました。

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/the-nakada-family

 送り状も何も入ってないので、手掛かりは発信人の住所のシールだけ。

 米澤氏の調査で、奥さんのメールアドレスらしきものはわかったものの「誤爆」は避けたいので、念のため、金ちゃんに facebook を調べてもらったら、上のサイトにある写真と夫婦とも全く同じ顔。

 と、いうわけで、英語もどきと、ご子息の方は中学までは日本にいたらしいので、少なくとも読めはするはずの日本語とを併記して、メールを発信しておきました。

http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/the-nakada-family

#Quote
Dear Xxxx Nakada

I heard that Mr.Sakumichi (Jashuumon of Setagaya) received you and Dr. Yoshinao's mail.

We,"Kitazawa-gawa bunka isan hozon no kai(Association for preservation of the cultural heritage about the Kitazawa river [setagaya Tokyo] )" found the Web of Dr. Austin's photography in 1946-50 at Fsu, early summer of this year.

We holed workshop (Aug.) and tour (Dec.) about Dr. Austin's shooting points at Shimo-Kitazawa area.
(Please access to
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/2016-12-18.html
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52034893.html
etc.

http://kimuraken.bbs.fc2.com/ article "都市物語を旅する会@161217"
and
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html )

So, we can send agendas of the workshop and tour, and also digest copy of "Ohyama-chou si (the town history of Shibuya-Ku Ohyama town)" (there was a place of ex-Nakada's and Ex.Austin's house. attached file is an old map of Ohyama town), by e-mail, via file transfer sight ("https://www.filesend.to") or traditional mail, if you need.

                             Sincerely yours

By NIHON-GO below

 世田谷邪宗門の作道氏宛、中田ご夫妻からのお手紙が届いた旨聞き及びました.

私ども北沢川文化遺産保存の会でも、Austin博士の写真のWebを今年の初夏ころに知り、その下北沢地域での撮影場所について、8月にはその研究会、12月には探索会を開催しております。

 ご要望がございましたら、その際の資料、あわせて、かつて中田家などのありました渋谷区大山町の町史(町の昔の地図を添付いたします)のダイジェストをメール、ファイル転送サイトあるいは郵便でお送りしたいと思います。

                                   草々

           Takashi Kimura
           XX-X,1-Choume, Kitazawa,
           Setagaya city,
           Tokyo, JAPAN
           mailto:xxxxxxxx@nifty.com
#UnQuote

さて何が飛び出して来ますか…

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/12/31 (Sat) 19:29:56

[朔太郎書斎の火鉢の「剣山のように刺さっていたタバコの吸い殻」]

 やっと、かつて見た出典を見つけ「ウラ」が取れました。

前橋文学館「同館特別企画展『萩原朔太郎とデザイン -非日常への回路-』図録」同館/2007・刊

p.43 「住空間① 設計した家」中「代田の家の平面図」のうち「2階」抜粋を解読

 キャプションに「1986(昭和61)年、長女葉子が記憶に基づき、建設会社に依頼して、作成してもらったもの」とあるので、「タバコの/吸殻/[放置?]」と読める手書き部分は、葉子さん自身が書いたか、葉子さんからの直接の聞き取り結果を記載したものと思われます。

Have a nice year!

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水

2017/01/04 (Wed) 15:43:50

[2016/12/18 (Sun) 01:48:36]の

06・栄通り(=現・一番街)最北端・本通り手前から北方向
  http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/files/original/9d01918ecf2a9431386c572585a5dd09.jpg

 画面正面の「出雲工業」は、作道敬子さんの聞き込みでは「この後、代沢に移った」とのことでしたが、今日、茶沢通りでそれらしき建物を見つけました。
 商号に「設備」の2文字が加わっていますが、Dr. Austin の写真の看板の、上部に書かれている業務内容は「電灯 電力 水道 衛生 暖房」、さらに左脇には「ポンプ」とあり、まさに建築物の「設備」関係ですので、まず、間違いないだろうと思います。

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/17 (Sat) 15:58:02

[オースティン博士の写真展]


当方のブログについたコメント
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/08/post-9fe0.html#comment-141333416
によると
本2018年3月
九段下の昭和館
で、オースティン博士の写真展が開催されるようです。

詳細がわかりましたら、ここに追記します。

がありましたので、下記のとおり回答しておきました。

なお、この昭和館では、78回転のSPレコードの音声のデータ
ベースを構築中のようです。

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/18 (Sun) 17:07:52

[オースティン博士の写真展]

まだ「予告」段階ではありますが…
会期は3月10日から5月6日
とのことです

http://www.showakan.go.jp/events/index.html

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/03/01 (Thu) 11:03:54

〔オースティン博士の写真展〕

詳細が公表されました。

http://www.showakan.go.jp/events/kikakuten/index.html

なお、3月3日発売の「東京人」4月号に、関連記事が載るそうです。
http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin.html

Re: 都市物語を旅する会@161217 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/03/23 (Fri) 23:29:04

現在、九段の昭和館で開催中のオースティン博士の写真展について、早大の佐藤教授から、以下のメールが届きました。

youtube のスライドショーについては「なるほど、この手があったか!」ですね。

#Quote

昭和館で開催中の写真展ですが、
撮影地点マップの他、同じ位置で撮影した写真のスライドショー映像も
展示しています。
以下、同じものをyoutubeにあげておりますので、
よろしければご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=ZmEixljWQuA&t=



北沢八幡のお祭りについては、
同映像の冒頭部分にいくつか写真が出てきます。
これについてもさらに調査をしております。

#UnQuote

帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/08/22 (Mon) 11:10:46


























〔「母家」…〕
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52026052.html#comments
にも書きましたが


東京都公文書館のデータ
http://www.archives.metro.tokyo.jp/
によると…

東京都内の「帝国*音楽学校」については、3校分の記録があります。

1 大正06年認可 帝国音楽学校 牛込区所在
2 昭和02年認可 帝国音楽学校 荏原郡世田谷町所在
3 昭和14年認可 帝国高等音楽学校 世田谷区所在

なお、
1については、
 認可の記録しかなく、その後不可欠になるはずの「校長就任認可」などの記録がないので、実際に開校したかどうかは疑問です。

2については、
 昭和02年校長就任認可、03年校長事務取扱就任認可、04年と09年に学則変更認可の記録があること
 昭和05年の東京府荏原郡世田谷町全圖をみると後述の代田701に「帝国音楽学校」が記載されていること
 「音楽年鑑」楽報社/昭和03年・刊にも「所在地 府下世田谷町代田七〇一」「校長福井直秋氏…」などと具体的な紹介記事があること
から、実動していた学校であることはまず間違いありません。

3については、その認可前のはずの昭和12年発行の大日本職業別明細図にこの学校の名称が記載されていて、あるいは、事実上この名前を使っていたのを、学則をこれに合わせて改組した可能性もあります。ただ、当時は「高等」という呼び方に今ほどの「しばり」があったわけではありませんので、その程度のことなら、学則変更でも済みそうな気もしますが。

【以上「母家」】

さらに、国会図書館にある
大日本音楽協会「昭和16年度 音楽年鑑」共益商社書店・刊
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109457
をみると、

巻頭の広告では
 昭和7年創立 と学校自体が明記しているのですが…

本文中の記事では
 昭和2年4月創立。幾多の變遷を經て、昭和12年田村虎蔵校長となり…
 (なお、声楽の教授陣中に、民藝運動の柳宗悦の夫人、柳兼子がいます。すでに世界的といってもよい名声を得ていた声楽家ですので、この時点ではかなり「しっかりした」学校だったと思われます)

と、さらに事態がヤヤコシくなります。

いずれにしても Wiki に書かれている、昭和6年設立の「帝国音楽学校」は年鑑のデータを含めても「存 在 し な い」うえ、昭和6年が、いわゆる「節目の年」でも何でもないことになるので、まず、その記述の信ぴょう性自体を疑ってかかる必要があり、そのまんま、それを敷衍してゆくのはやはり危険です。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/08/22 (Mon) 11:19:19

〔音楽年鑑S16の…〕
広告と奥付

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/08/22 (Mon) 11:55:44

〔音楽年鑑S03〕
「音楽年鑑」楽報社/昭和03年・刊 の方の
記事と奥付

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2016/08/22 (Mon) 12:05:31

〔「大日本職業別明細図 世田谷区」S12/12刊〕
世田谷中原周辺抜粋

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2016/08/22 (Mon) 12:13:41

〔「東京府荏原郡世田谷町全図」S05〕
世田谷中原周辺抜粋

Re: 帝国音楽学校 - 北沢川文化遺産保存の会 URL

2016/08/22 (Mon) 17:22:16

帝国音楽学校の創立が昭和2年4月、とすれば小田急開通を見越してのものだということになりますね。確かにウィキのはアバウトだと思います。

 ネットにはこの学校のことを調べている久保絵里麻さんのことが載っています。彼女には邪宗門で会ったことがあります。(明治学院大学大学院博士後期課程2014年修了 芸術学博士)
第二回研究会で話してもらおうかと言っていたのですが、連絡が取れませんでした。彼女、台湾で発表していますが、後ろに写されているのは帝国音楽院のマーク、それと二階建ての校舎だと思います。http://www.mg-geika.net/act02/conf/01.html

 鈴木禎一については全集があることを知りました。年譜で点検しようと思って目黒区の図書館調べましたが蔵書なし、ところが世田谷区にはありました。まだ見ていませんが。

 東京都公文書館、案外に家から近いところにありました。検索では建物図面もあるようで閲覧したいものです。

 研究会については評判がよく話をさせてくださいという方もおられます。今回の司会だった石坂さんも劇場のオーナーだったことが分かりました。長年、店とか、劇場とか、喫茶店をやっていた人、四五人に話してもらうのがいいかなと。ただ、やっぱり薄謝でも講師謝礼はしなくてはと思いました。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2016/08/22 (Mon) 21:16:55

〔久保さん…〕
というよりDr.なので「久保先生」ですが、背景のプレゼンを見ると、「[1928-1944]」となっています。

つまり、Dr.久保の認定では、同校は、昭和3年に開校し、昭和19年、かの山の手空襲以前に閉校していたことになります。

それぞれに、↑に書いたものとは異なる史料がないと、そうはならないはずで、それが何なのか、興味深いところです。

【史料といえば…】
都の公文書館のデータチェックは、いわばマストとして
国会図書館には、先にご紹介した昭和16年度版以前の音楽年鑑も、デジタルデータ化され、館内(または提携図書館)限定で閲覧・謄写可能です。
これらを手繰ってゆけば、昭和16年版にいう「幾多の變遷」の経過もトレースできるかと思います。

【PS】
国会図書館の
レコード音楽技芸家名鑑S15
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1056525/211?viewMode=
によれば
「昨年4月学院を学校と改め認可さる。」
とありあります(212コマ左)。

一体どうなっているのやら…。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/08/25 (Thu) 09:54:18

〔こんな…〕

ページ
http://www.shiro1000.jp/tau-history/nazis/nazis.html
をみつけました。

年月日が特定されているので、かなり信ぴょう性の高い資料に基づいていると思われます…
が、Wikiの例もあり、裏どり不可欠。

Dr.久保の学位論文 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/08/25 (Thu) 10:25:26

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 



久保絵里麻「鈴木鎮一と才能教育―その形成史と本質の解明」7-Mar-2014
http://hdl.handle.net/10723/1942


論文本文

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1942/14/A33_text.pdf

の96ページあたりから、詳細な学校の経緯が書かれています。
(なんと、今津さんの「昔の代田」が参照文献として掲示されています)

おおまかな結論を言えば
「3ないし4つの、『ほとんどまるで別の学校』が入れ代わり立ち代わり代田701の地に存続していた。共通しているのは『帝国』の名前だけ」

画像は、論文97ページの略年表を引用。

PS:Dr.久保は、ヴァイオリニストでもあります。
https://www.concertsquare.jp/blog/2010/2010070518.html

帝国*音楽学校年譜 - きむらたかし@三田用水

2016/08/25 (Thu) 17:23:04

ヤヤコシクなってきたのでここまでのまとめです

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2016/09/03 (Sat) 00:13:40

〔柳宗悦夫人…〕
兼子について、こんな論文

高 仁淑「柳兼子の公演活動と朝鮮における民芸運動」
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/3668/KJ00004167265.pdf

を見つけました。

「東京高等音楽学院は,学校の紛糾が起き,東京高等音楽学院と帝国音楽学校に分裂したが,柳兼子は,東京高等音楽学院と帝国音楽学校で声楽を教えることになり,終戦まで朝鮮人留学生にも音楽レッスンを行なった。その時の東京高等音楽学院の出身音楽家が洪蘭披,洪成裕,金元福等であり,帝国音楽学校卒業生が仝鳳楚,羅遅発,孫牧仁らである。」

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2016/09/03 (Sat) 13:39:38































[鈴木釣り堀写真]

この界隈で釣り堀というと、森厳寺川の水道道路との交点南のが有名ですが、帝国音楽学校からはちょっと遠すぎませす。

で、あるいは
北澤用水のタマデン山下の西
か?

2か所あったうち、東の方のは河川改修時になくなっていますし、地形的にみても西よりの方のかと。

しかし、何を釣っているんでしょうね。ヘラブナにしては道具が華奢すぎですし、さりとて、ゲンゴロウブナあたりなら何も釣り堀に来なくても、そこいらへんの川でいくらでも釣れたでしょうし。


【余談】
日本の釣り(和釣)に詳しい友人の話では
「釣りはフナに始まりフナに終わる」
と言われていたようです。
で、
「始まりのフナ」がゲンゴロウブナ
「終わりのフナ」がヘラブナ
の由。
 まぁ、ほかにも、「タナゴ釣り」なんていう、気の遠くなるような超マニアックな釣りの世界もありますが。


所在地は… - きむらたかし@三田用水 URL

2017/04/04 (Tue) 10:47:11

[東京府荏原郡世田谷町大字代田字『吹上』]

旱天には大根畑から立ち上がる砂塵が、降れば降るで雨粒が、校舎に吹き付けていたのでしょう。

http://www.shiro1000.jp/tau-history/reikichi/onngaku.html

の校舎の写真を見ると、出入り口が正面ではなく横を向いていて、風除け室の造りになっています。
 あるいは、後から増築したのかもしれませんね。

【追記】
写真の上端中央やや右に鉄塔の一部が写り込んでいます。この鉄塔は校舎の東にあったので、この写真は、校舎の北面の校庭で撮影されたものということになります。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/06 (Sun) 18:36:51

[昨日話題になった…]

「国立音楽院」。

ここ
https://www.kma.co.jp/outline/index.html
(co.jpに注目)によると、最初国立市に開設された音楽教室なので、「国立音楽院」〔経緯からみて「こくりつ」ではなく「くにたち」〕を名乗っているようです。

その開設が昭和42年とのことなので、「本家」の「国立音大」よりはるか後。創立者が「国立」さんだったり、そうでなくても国立市内にあるときは別として、よく「本家」と裁判沙汰にならなかったものです。


Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/16 (Wed) 19:12:37

[下北沢X物語(3336)―第3回研究大会:世田谷代田「帝音」Ⅱ―〕
<http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52050980.html>
の「反例」発見。

「(三)
 久保さんの調べはとても地道なものである。
「台湾に行って帝音関係者の調べをすると例えば、身分証明書みたいなものでもしっかりと保存されているのですよね。日本ではありえないことですよね」
 確かにそうだ、公文書館とか資料館に行くことはある。ところが体系的に整理が行き届いているところは少ない。
 いつだったか図書館の人と話をしたことがある。地域文化を記したものは大切であるように思うが、館員はそういう意識が欠落しているという。オーソドックスなものを図書館が所蔵することが図書館だと思っていると。我らの意識レベルも低いと感じる。」
とあります。

 確かに、我が国の国立「公文書館」には、Dr.久保の指摘のとおり、過去の特定の個人のアーカイブはないように思います。

 ところで、かねてから追いかけている、ブラジル移民、というより「昭和初期からのアマゾン地方への日本人の移住」(なぜ、移「住」というかは説明が面倒なので省略)からみで、国会図書館のデータベースを検索していたところ…

「中野順夫旧蔵アマゾニア産業研究所関係資料」
http://iss.ndl.go.jp/books?rft.title=%E4%B8%AD%E9%87%8E%E9%A0%86%E5%A4%AB%E6%97%A7%E8%94%B5%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%82%BE%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%94%A3%E6%A5%AD%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%B3%87%E6%96%99&search_mode=advanced
というコレクションを見つけました。

 リストを見ると、昭和の初期、ブラジルのアマゾナス州の、東隣のパラ州との境近くに設立された「アマゾニア産業研究所」関係者の、同所に関連する資料のアーカイブでした。

 要するに、ナショナル・アーカイブである公文書館と、ナショナル・ライブラリである国会(立法院)図書館との「仕事の仕訳」が、日本と台湾とで違っているにすぎないわけです。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2017/11/08 (Wed) 11:42:26

〔平間声楽研究所〕

既報のとおり、昭和12年版では世田谷中原南方にあるのですが、この昭和10年版「大日本職業別明細図 世田谷」では下北沢の新屋敷953番地(現・北沢3-21-5)あたりに「平間文寿声楽研究所/北沢児童音楽園」があります。

Re: 帝国音楽学校 クボ

2017/11/08 (Wed) 13:19:33

下記の記事の件で、誤解があるようなので、書き込ませて頂きます。

2017/08/16 (Wed) 19:12:37
[下北沢X物語(3336)―第3回研究大会:世田谷代田「帝音」Ⅱ―〕
<http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52050980.html>
の「反例」発見。

「台湾に行って帝音関係者の調べをすると例えば、身分証明書みたいなものでもしっかりと保存されているのですよね。日本ではありえないことですよね」

↑この発言の意図は、「帝音」関連資料が資料として納められていたことに対する、いわば感激を述べたもので、
「日本の公文書館等で身分証明書などが保存されていることはあり得ない」という意図ではありませんので、その点は誤解なきようお願い致します。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2017/11/09 (Thu) 22:56:44

〔昭和12年当時の帝音の写真〕

別スレッドの「特別展『渋谷駅の形成と大山街道』」の4コマ目でご紹介した…
世田谷区立郷土館で開催中の「特別展 地図でみる世田谷」
の図録中#058
「大日本職業別明細図 索引附住所入信用案内 第三五三号 東京市 世田谷区」東京交通社/昭和12年12月20日発行

この地図の世田谷中原周辺の地図の抜粋は、すでに、このスレッドの4コマ目でご紹介済みですが、
その地図の左上に
「帝國高等音楽学院」
の正面のエントランスを中心に写した写真があることがわかりましたので、転載しておきます。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/11/10 (Fri) 20:48:32

〔鈴木の釣堀写真〕

「特別展『渋谷駅の形成と大山街道』」で既報の
「大日本職業別明細図」昭和7年版で、件の釣堀写真
http://livedoor.blogimg.jp/rail777/imgs/6/1/6116c31d.jpg
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52026975.html
の撮影場所について、もう一つの可能性が出てきました。
 里俗・ダイダラボッチ川の八大龍王堂の少し下流に「みどり釣場」という名前の釣堀としか考えられない場所があります。
 地図と言っても略図の域を出ない図ですが、素直に見ると代田926と960の中間。学校からは下北沢に向かってほぼ中間地点ですので、けん先生のご指摘通り「学校をちょっと抜け出して」通ってもおかしくない場所です。
 あとは地形的に写真の背景と整合するかなのですが…

Re: 帝国音楽学校 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/11/11 (Sat) 18:51:08

帝国音楽学校からみの会合

沢井さん(古関金子さんの姪御さん)の話を聞く会

 11月17日(金)13:00 邪宗門
 沢井さんの話を聞く会を予定していましたが、先方の都合のいい日ということでこの日に決定しました。
 今のところ四名の参加があります。会場の都合もありますので、参加希望される場合にはきむらけんに連絡をください。

なお、古関金子さんは古関裕而の奥さん、彼女が帝音に入るというので当地に居を定めた。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2017/11/19 (Sun) 09:34:18

































[帝都地形図]
日本地形社・刊 T11測S22補修1/3000帝都地形図
羽根木+代田接合図 帝音周辺抜粋

帝音だけでなく、八大龍王堂、中原デパート、中原市場、静仙閣、世田谷中原2号踏切など、代田でこれまで話題になったポイントはほぼ網羅できるように切り抜きました。

ところで、駅東方の「春光園」って何でしょうか?地図によっては「春光園売店」がその西にあったことになっていますが。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/11/22 (Wed) 14:57:11

〔みどり釣場〕

代田926と960の間。ダイダラボッチ川沿いでT字路の下流。
を昭和5年図にプロットすると
代田940~944あたりと思われます。

Re: 帝国音楽学校 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/11/22 (Wed) 15:34:36

上記地図、963に「緑丘」の表示。北沢に住んでいた中村汀女がここに転居する、「やがてほど近い代田緑ヶ丘に居を定めた」(中村汀女俳句集成)と述べている。この地名地図上で見たのは初めてだ。この命名は、土地造成業者によるものが多い、買い手の心をくすぐる。
 砂利場の上に鶴ヶ丘とある。この場所が鶴ヶ丘分譲地だった。やはり土地造成業者によるものだと思われる。

 帝音がらみでいうと世田谷中原逆一踏切が代田吹き上げにいく道となっている。何かエピソードあるはずだ。駅方向へいくと先生に出会うから、はねた連中はこの踏切を多く使っていたように思われる

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水

2017/11/23 (Thu) 21:36:04

〔平間が…〕

昭和12年当時、下北沢新屋敷に声楽研究所に加え、「北沢児童音楽〔園|團〕」を主宰している一方、

この下北沢新屋敷も学区に含む代沢小学校への浜館菊雄教諭の赴任は、このスレッドで既報のとおり昭和11年、
(「代沢小学校100週年記念誌2」(同校PTA・編,同校創立百周年を記念する会/S550505・刊)p.48)

ですので、両者の間には(協調関係なのか対抗関係なのかなどはまったく不明ですが)何等かの関連があるかもしれません。

Re: 帝国音楽学校 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/03/12 (Mon) 15:13:32

〔新資料発掘〕

「第一回 帝国音楽学校演奏会」日本青年館(1932 6.14) ほか

https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/41e7ec09136c0a0981bd2a7dfa33f2ee

世田谷代田2号踏切の写真 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/03/11 (Sun) 14:23:40
























〔YouTube の…〕

昭和36年 小田急線(新宿~小田原)の 踏切事情 代々木上原 代田 経堂 祖師ヶ谷大蔵 喜多見 生田

https://youtu.be/so2q3XKjupg

の開始から27秒目以降に
「世田谷区立代田小学校前」
なる写真がありました。

キャプションどおり、代田小学校の正門の真ん前にあり、
踏切入口の中央に白い木杭が立っていて
「諸車及学童通行止 北沢警察署」
と書かれています。

昭和38年の空中写真
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.39.45.099N35.39.16.130/zoom/12/?data=showa-38

と照合すると、これが、かの
「世田谷代田2号踏切」
のようです。

なお、これに続き37秒あたりからは、1号踏切の写真もあります。


Re: 世田谷代田2号踏切の写真 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/03/11 (Sun) 15:00:33

学童通行止めという表示が、この踏切での悲劇を物語っていますね。こちらを通れば簡単に学校に行ける、が、立て続けに事故が起こり学童が轢かれたのでしょう。恐らく学校が北沢署と相談し、こういう風にしてもらったのでしょう。

 今は地下化して踏切はなくなりました。が、当時を物語る貴重な映像です

代沢小「ミドリ楽団」 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/01/07 (Sun) 15:45:07

〇新年になってミドリ楽団の在籍者から連絡があった。

 一つは、「ミドリ楽団」のレコードについて関係者にないか?と連絡を取っていたところ。三枚持っているうち、一枚は割れたが後はあるとのこと。

 もう一つ持ち上がったのは「ミドリ楽団同窓会」のことだ。

 現在のところ四五名に連絡が取れるようになった。さしあたって、連絡を取って小さな集まりをしたらどうか。
 邪宗門に集まって、ミドリ楽団の在籍時の話をそれぞれがする。もう一つは、レコードを聴くというものだ。

 さしあたって小さな集まりをして、できることなら一世一代「ミドリ楽団同窓会」を開くというものだ。

 ミドリ楽団在籍されておられた方は、当方に連絡をください。aoisigunal@hotmail.com

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/01/07 (Sun) 22:54:29

ミドリ楽団のレコードについて、再度連絡があり、またレコードがみつかったと。

 必死に探し回っていたがルートを辿れば容易にこのレコードに行き着く。またミステリアスな年になりそうだ。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - きむらたかし@三田用水

2018/01/12 (Fri) 17:51:11

〔デジタル・データ化〕

気づかぬ間に、ここまで進んでいたとは!

2週間ほど、原盤をおあずかりできれば、レコード会社や放送局のレベルまでは無理ですが、ほぼ遜色のないデジタル・データ化ができると思います。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/01/12 (Fri) 18:44:33

〔デジタル・データ化〕

 失われたレコードの情報が集まりつつあります。今は、安倍圭子さんが動いてくれています。他にも声を掛けてくださるとのこと。
 器楽関係の全国学校音楽コンクールは今は盛会ですが、その端緒を作ったのはミドリ楽団です。教本レコードとしてコロンビアが出したようです。その知られていない真実をできれば知らせていきたいとのこと。

 レコードはミドリ楽団の集まりのときに持ってくるように伝えます。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」同窓会 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/02/08 (Thu) 17:30:22

これまた話がどんどん進んでいます。
 まず、会報でミドリ楽団の同窓会を開いたらどうかという提案をしました。

 この話、方々に伝わりました。3月22日(木)19:00に安倍圭子さんの傘寿記念演奏会があります。これには地方在住のミドリ楽団団員も来られるとのこと。

 それで翌日23日にミドリ楽団同窓会を行ったらということになり、実施することになりました。当初は、邪宗門でやる予定でしたが、どうも十名以上になりそうです。

 それで今日、代沢小に連絡して、同窓会を行うので音楽室を使わせてもらえないかと御願いしました。この許可は受けました。プログラムとしては、まずレコードを聴きます。
 つぎに楽団員から当時の思い出を語ってもらいます。
 15時から17時までを予定しています。同窓会以外も参加OKとしました。ただ、代沢小SPは聴けないそうです。

 明日、ミドリ楽団団員と渋谷で会います。彼女は三枚レコードを持っています。これを借りてきます。
 なるべく早く邪宗門にこれを持っていきたいと思っています。デジタルデーター化をよろしく。
 CDはこちらで用意したいと思います。品番と枚数の指示をよろしく、御願いします。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/09 (Fri) 16:23:59

〔進行状況〕
 昨晩、カートリッジ(昔風に言えば「ピックアップ」)Shure Me75 ED を引っ張り出し、それに SP盤専用の針 N75-3 をセットしました(どちらも30年ほど前「絶滅危惧種」になったときに入手して以来、秘蔵していた「未使用品」です)。
 ターンテーブルは、半年ほど前にベルト交換と注油済なのですが、一つだけ自力で直せるはずのマイナー・トラブルがあるので、修理方法を検討中です。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/02/09 (Fri) 18:31:56

返答をありがとうございます。

・今日は、レコードを持ってきてくださった内山さんと井の頭線ホームで出会って、そのまま邪宗門に行きました。

 1、レコードは聴けました。
 2,邪宗門でも店の機器でCDに焼けるとのこと。
 3,代沢小にはレコードプレイヤーがないとのこと。
   邪宗門のを持っていけば聴けるとのこと。
 4,今日、内山さんから預かったレコード三枚は
   邪宗門に預けてきました。
  どうかよろしく御願いします。 

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - きむらたかし@三田用水

2018/02/11 (Sun) 16:31:04

>1、レコードは聴けました。
>2,邪宗門でも店の機器でCDに焼けるとのこと。

・SP版は、ちょっとした「はずみ」で割れちゃうことがあるのと
・当方も「計算上」はOKですが、やってみなけりゃわからない要素がある
ので、まずは「保険」。というわけで、まず、邪宗門さんでCD化していただいてください。

その上で、連休明けに折をみて、邪宗門さんに取りにうかがうことにいたします(どうガードして、安全に運ぶかも課題ですけど)。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/18 (Sun) 23:57:04

〔連携プレーで…〕

無事デジタル化完了。
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/02/spcd-9869.html

CDは、邪宗門で聞けます。

ついでに、ジャケットの写真も、少々シャープにデジタル処理しました。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - きむらたかし@三田用水

2018/03/01 (Thu) 22:02:31

[CD用ジャケット]

ただし、代沢小学校用と、今回の功労者お3方宛て贈呈用の限定版です。

ただ、表紙(右)と裏表紙に、このレコードの情報が網羅されているので、ご紹介しておきます。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - 北沢川文化遺産保存の会

2018/03/01 (Thu) 22:14:31

素晴らしいジャケットですね。当日紹介しますが、皆さんほしがるでしょうね。

 そういえば、レコードの持ち主の内山智恵子さんから、1954年8月1日から、銀座山葉ホールで開かれた第二回「ミドリバンド演奏会」のプログラムを預かっていました。

 ミドリバンドがいつまで活動していたのか、当日参加者に問いたいと思います。

Re: 代沢小「ミドリ楽団」 - きむらたかし@三田用水

2018/03/05 (Mon) 03:45:05

〔第2回 ミドリバンド演奏会〕
@1954/08/01 山葉ホール
の、プログラム表紙の写真です。

2018/02/18 - きむらたかし@三田用水

2017/12/24 (Sun) 00:53:14

[この工事]

代替バスのルートとか、いろんな意味で見ものかもしれません。

Re: 2018/02/18 - きむらたかし@三田用水

2018/02/10 (Sat) 18:05:24

【速報】
 この工事、どうやら、すでに京王井の頭線下北沢駅北東にセット済の、写真の巨大な鉄筋コンクリート製の橋げたを「横にずらして」既存のそれと入れ替える算段のようです(はるか昔の世田谷代田の西の環状7号をまたぐ陸橋の架設工事に似ています)。
 したがって、前夜の終電後の25時ころから取り掛かって、どうやってみても、夜間だけでは終わらないので、18日の昼まで電車を止めるほかないのでしょう。
 「野次馬」としては、
・この工事を一部始終を観察できる場所があるのか
・この工事の、いわば「見せ場」は18日の何時ころか
に興味があるところです。

Re: 2018/02/18 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/26 (Mon) 17:59:54

[2月13日撮影の「資料映像]]

「どうやって、狭い道をここまで持って来たのだろう?」と思うような「ドデカイ」クレーン車が、すでに「スタンバ」っておりました。

狼谷情報を求む - 北沢川文化遺産保存の会

2017/12/21 (Thu) 12:57:50

ブログで狼谷のことを書いたら、リンクしているフェイスブックで盛り上がってしまいました。

 発端は古老のコメントです。(三十尾さん)

①狼谷 懐かしい地名 小生の秘密の遊びは この辺りが多かっッタ 魚はべた めだか, 鳥は オナガ アオジ ヒヨドリ うぐいす カケス メジロ ホオジロ シジュウカラ キクイタダキ コノハズク フクロウ これらは全てここで覚えた。
②こわい 恐ろしいとこだった これに焼き場 医療少年院ときたから オドロオドロしいいところだった。

皆様、狼谷情報をください。

Re: 狼谷情報を求む - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/21 (Thu) 19:20:00

「リンクしているフェイスブック」のアドレスが、ブログ右端のリストをどう探してもわからないのですが…

それはともかく

「新編武蔵風土記稿」には

「 火屋 村の西にあり、此辺を狼谷と云、広さ九百坪…四ツ谷西念寺、勝興寺、戒行寺、麹町栖岸院、心法寺、五ヶ寺の拝領地にして荼毘所なり、文禄年中〔註:1592-96〕まで 四谷千日谷にありしか、後年千駄ヶ谷村に移り、寛文四年〔註:1664〕八月当所に移されしと云」

〔巻之十一 豊島郡之三
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763977/7

とあります。



 池ノ上あたりの古老は、比較的最近まで「狼谷の焼き場」と呼んでいましたし、当方も「代々幡斎場」と言われるより「狼谷」と言われた方がすぐに場所がイメージできます。

なお、昭和22年当時は
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.40.48.891N35.40.10.056/zoom/11/?data=showa-22

同38年当時は
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.40.48.891N35.40.10.056/zoom/11/?data=showa-38

Re: 狼谷情報を求む - きむらたかし@三田用水 URL

2018/01/12 (Fri) 00:06:50

〔今日…〕

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館に行きました折、ロビーの書棚に
堀切森之助・編「幡ヶ谷郷土誌」幡ヶ谷を語る会/1993・刊
(ただし、渋谷区立図書館の書誌データや文体などからみて、原文は昭和12年ころ書かれたらしい。)
があったので、道路・水路・公共交通関係の部分をコピーしてきました。

その、「世田谷道(鎌倉街道)」の項(pp.35-)の末尾近くに、駒場道について

「執れは甲州街道開通後に造られた路ではあったらうが、古くから開かれてゐたであらうといふ事は、甲州街道からの分岐點の西角に幅八寸、厚さ六寸、高さ三尺程の「おほかみだに道」の古い石標があった事でも知る事ができる。唯だ惜しむらくは少年の頃に深い関心も無く見過ごして来た事であるから、その建立歳次の記憶が無い事である。しかしその歳次を知り度いと思へば大正の末年頃、この畑中道にも等しい小径を現在の三間道路に改修した際、この道路の下を東から西へ流れる下水道の暗渠の側溝材料に、此の石標を西角寄りへ埋没するのを目撃して居るのであるから、其所を掘返したならば此の石標を得て歳次を知る事も出来るであらう。
 元来此の道は駒場道の本道では無い。それが地理的條件と時代の推移によって甲州街道開通以前から存在したであらうと推定される本道を、今は廢道同様の有様に変ぜしめて自ら隆昌を衿って居るが、これも寛文四年(一六六四年)八月以来代々木大上谷(狼谷)火葬場への道として、(新編風土記曰ふ。四谷西念寺勝興寺戒行寺麹町栖岸院心法寺五ヶ寺の拝領地、同上年茶毘所を造ると)多くの亡き人々の霊を送迎してゐるがため、その功徳によって本道以上に榮えたのでもあらうか。」(p.38)

とありました。

文中の「おほかみだに道」と刻まれた旧い石標。今も甲州街道と駒場道の交点付近の地中に眠っているのかもしれませんね。

(地図の原図は
東京逓信管理局「東京府豊多摩郡代々幡村」逓信協会/M44・刊
< https://www.tokyo-23city.or.jp/base/archive/home51files/Yoyohata-Toyo_CHOSON/Yoyohata-Toyo_CHOSON_kmview-zoom.html >参照)

Re: 狼谷情報を求む - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/05 (Mon) 19:59:00

〔幡ヶ谷地蔵窪の…〕
お地蔵さん、「廃道寸前だった」駒場道の旧道、そして、ついでに牛窪のお地蔵さんを、昨4日に見てきました。

http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/02/post-619a.html

2体+のお地蔵さん、どちらも、像が安置されている現代的な堂宇をみると、地域の方々の篤い信仰を集めていることが、よくわかりました。

松澤の「将軍池公園」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/01/28 (Sun) 15:53:17





















[今日…]
午後、上北沢に用事があったので、帰りに、北澤川源流部で旧都立松澤病院内の(名物患者の名前に因む)将軍池と(その主治医の名前に因む)加藤山の東側の道路までの部分が、公園として整備されたらしいので、見に行きました。

写真奥の茶色い柵の向こうの黒い部分が将軍池、その奥が加藤山。

Re: 松澤の「将軍池公園」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/01/28 (Sun) 16:06:40






















〔そのうち…〕
古墳と見間違える人も出てきそうです。

Re: 松澤の「将軍池公園」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/01/28 (Sun) 17:44:30

〔ここに…〕
アクセスされる方には、ほとんど「釈迦に説法」かもしれませんが、現地の説明板。

加藤医師の「作業療法」への取り組みについては、他に「硬い」文献もあるのですが、とりあえずは、これ
http://jsmh.umin.jp/journal/39-3/393-394.pdf
が、最も端的かもしれません。

他の史料をみてみると…
・それまで「ほとんど半裸で過ごし、言葉を発っしても他人には何を言っているのかわからなかった」患者さんが
・この、将軍池/加藤山の作業に従事しているうち
・服を身に付け、自ら、現場で作業する他の患者さんたちの指揮をするようになった
といったエピソードなど「目からウロコ」の情報も数多いのですが…

ps:加藤医師は後に下北沢に精神科医院を開設。同院は、ご子孫によって、今も存続しています。

Re: 松澤の「将軍池公園」 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/02/02 (Fri) 10:43:31

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1050346/9

〔このあたりの…〕

水路、つまり、北沢用水/北沢川について、ここ
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/02/post-902c.html
にまとめてみました。

新年のご挨拶 きむらたかし@三田用水 URL

2018/01/01 (Mon) 15:12:02

皆様の本年のご多幸をお祈り申し上げます。

きむらたかし

2017年、当会の十大ニュース募集。 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/12/29 (Fri) 18:04:53

思いつくかぎりを挙げてみる。

・下北沢文士町文化地図第七版の発行
・紀要「ダイダラボッチ」の発行
・戦争経験を聴く会、語る会、第10回の開催。
・「帝音」をテーマとした第三回北沢川文化遺産保存の会の研 究会の開催。
・フロリダ州立大学に申請していたドクターオースチン写真の 使用許可願いがおりたこと
・暮れの忘年会で、ロスコンパニェロスの素晴らしい美声が聴 けたこと。
・計画していた街歩き、ダイダラボッチ跡を歩く、武蔵野文学散歩の二回が降雨で中止になったこと。
・世田谷区に申請していた絆予算が満額下りたこと。
・解体される代沢小から長机2&椅子十数脚の永久貸与を受けたこと

 みなさん思いつくことはありませんか。

Re: 2017年、当会の十大ニュース募集。 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/12/30 (Sat) 08:47:55

つけくわえ

・街歩き、初の車による県外旅行実施 山梨県
・ダイダラボッチ音頭
 2017年12月30日 視聴1400回超える!
 https://www.youtube.com/watch?v=DQxilyFjqWA

第134回 街歩き - 北沢川文化遺産保存の会

2017/12/06 (Wed) 18:17:55

12月16日(土) 午後1時 京王線幡ヶ谷駅改札前
 案内人 渋谷川・水と緑の会 梶山公子さん 
 渋谷川の跡を歩く

コース:幡ヶ谷駅→玉川上水・二字橋→宇田川水源の地(JICA・NITE)→旧徳川山脇の流れ→大山の池→底抜け田んぼ(小田急線南側)→西原児童遊園地→小田急沿線の小川跡→田中地蔵→山手通り下・流れの合流点→新富橋→初台川→代々木八幡と縄文古代住居→代々木八幡駅かつて「代々木九十九谷」と呼ばれた地域に渋谷川の支流である宇田川が流れていました。明治神宮の西側にあたる西原、大山町、元代々木などの地域です。そこには縄文時代の人々も住んでいました。上記のような宇田川の跡をたどって地域の歴史を感じ取る楽しいツアーにしたいと思います。是非ご参加ください。

参加費資料代保険 550円
申し込み 12月13日までに
  メール きむらけん k-tetudo@m09.itscom.net
  電話3718-6498

Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/10 (Sun) 18:51:00

[資料:その1]

https://www.tokyo-23city.or.jp/base/archive/home51files/Yoyohata-Toyo_CHOSON/Yoyohata-Toyo_CHOSON_kmview-zoom.html
豊多摩郡代々幡町 M44郵便地図

です。

Re: 第134回 街歩き - 北沢川文化遺産保存の会

2017/12/10 (Sun) 18:59:09

いつもの係の米澤邦頼さんが当分不在となりますので、申し込みはきむらけんにしてください。14日には保険の申し込みをいたします。

Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/10 (Sun) 19:26:52

[資料:その2]

M42測 S03修測3_世田谷+S06部修_中野 接合図 抜粋

なお、梶山さんのWebの関連ページは、
http://www015.upp.so-net.ne.jp/riverandsongs/back7.html


Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水

2017/12/17 (Sun) 04:16:22

〔とりあえず…〕

Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/18 (Mon) 16:40:15

〔疑問氷解1〕
 「代々木九十九谷ツアー」の折、渋谷区立大山公園東脇の坂道を下りきった突き当りの「A」の場所。
 どう見ても、東から西に向かって傾斜している、いわゆる「逆川」の状態に見えて不思議でならなかったのですが、goo mapの昭和38年の空中写真で、理由がわかりました。
 あそこは、その前にご案内いただいたJICA=NITEの池のある西から東に向かう谷戸(赤線)と、代々幡斎場東の北から南に向かう谷戸つまり「狼谷」(橙線)の合流点で、後者の下端部とだとすれば、東から西方向に下がっていても何の不思議もないことになります。

 なお、JICA=NITEの谷戸も、38年写真ではNITE側の西にもう一つの溜井のような池が見られ、[資料:その2]の地形図とも整合しているので、2つの谷戸が合流してできたものと思われます。


「下水道宇田川幹線」(緑線)については、田原光泰「『春の小川』はなぜ消えたか」之潮/2001・刊:p.210参照

Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/21 (Thu) 00:53:44

[正面の突当りが「A」点]

画面上方が、代々幡斎場のある、狼谷右岸の台地

Re: 第134回 街歩き - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/23 (Sat) 13:01:44

[難透水層]

 梶山さんの、JACA=NITEでの「この辺りは浅いところに地下水がある」とのお話を聞いて思い出したことがあって、以前、烏山の寺町通り区民集会所に展示してあった、「湧水分布図」と「ローム層中の難透水層の分布」図を引っ張りだしました。

 図は、この2枚(「ガラガラ」=「ガラス越し」の「ガラケー撮影」なので不鮮明ですが)の重ね図の抜粋で、グレーの雲みたいなものが難透水層の位置、赤点が湧水(データがやや古い)の位置。

 JICA=NITEの池(赤矢印)、そして、駒場のケルネル田圃の池(青矢印)も、難透水層の縁にあることがわかります。

 ちなみに、JICAの標高は36メートル程度で、池面は約2メートルほど下、これに対し、玉川上水=三田用水の流れていた尾根筋の南側にある我が家の標高は39メートル強で、我が家の井戸の水位は初夏で地表面マイナス3.5メートルなので、ほぼ整合。

「シモキタガール」系情報 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/14 (Thu) 22:12:18

さきほど、こんなページに辿り着いてしまいました。

ヘアサロン激戦区「シモキタ」の美容師に聞くファッションのこだわり〔2017年11月24日〕
http://www.asahi.com/and_bazaar/articles/SDI2017112278261.html?iref=andb_pc_kiji_backnum_article_05

写真展を観に行く人と開く人 シモキタガールのこだわりを聞く〔2017年12月12日〕
http://www.asahi.com/and_bazaar/articles/SDI2017121189731.html?iref=andb_pc_kiji_pickup_article_01

シックにポップを盛り込む「シモキタガール」のお気に入り〔2017年12月14日〕
http://www.asahi.com/and_bazaar/articles/SDI2017121391881.html?iref=andb_pc_kiji_pickup_article_01

小田急GSE - きむらたかし@三田用水 URL

2017/12/05 (Tue) 18:16:44

[この12月5日に…]

小田急の新ロマンスカーが公開されました。

20m車体かつ非連接ということなので、SE系ではなくてEXE系。
前頭部も、EXEみたいで、VSEと較べると格段に「あまり美しくない」。

まぁ、「小田急悲願の『新宿―小田原間60分」を70年を経てようやく実現させる車両のようですので。今回に限っては許せますが「その次は是非とも連接車をと切望する」ところです。

テレビ放送予告 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/11/29 (Wed) 08:29:50

 放送局BS朝日
 番組名「ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~」
(毎週土曜午後6時~6時54分放送中)
放送予定日2017年12月23日(土)予定 
「安倍圭子×宮嶋泰子」
○番組内容
今、あなたに聞きたいことがある……
様々なジャンルで時代を切り拓いてきたトップランナーたち。
彼らは、如何にして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?
知られざる『裸の履歴書』が明かされる。
週末の土曜18時からお届けする『ザ・インタビュー』は時代の「トップランナー」と人間洞察のプロである「インタビュアー」との手に汗握る真剣勝負をお届けする、全く新しい感覚のドキュメンタリー番組です。
今回の放送は、マリンバ奏者/安倍圭子様の素顔にテレビ朝日スポーツコメンテーター/宮嶋泰子さんが迫ります。

*安倍圭子さんから連絡をいただいた。「ミドリ楽団物語」も紹介したがどのように編集されているかは分からないが、「ミドリ楽団」の話はエピソードとして出てくるとのこと。

北沢・代田の住宅地・史料集 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/11/23 (Thu) 10:51:22

〔緑丘〕

S05東京府荏原郡世田谷町全図 : 番地界入
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142506

北沢・代田の住宅地・史料 - きむらたかし@三田用水

2017/11/23 (Thu) 10:57:59

〔鶴ヶ岡住宅地〕

S07大日本職業別明細図

北沢・代田の住宅地・史料 - きむらたかし@三田用水

2017/11/23 (Thu) 11:01:25






























〔守山公園分譲地〕

S22修正 1/3000帝都地形図「羽根木」

北沢・代田の住宅地・史料 - きむらたかし@三田用水

2017/11/23 (Thu) 12:34:47

〔清風園〕
s03/12/18 警視廳・東京府公報 p.883


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