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帝国音楽学校

1:きむらたかし@三田用水 :

2016/08/22 (Mon) 11:10:46

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1471831846.jpg
























〔「母家」…〕
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52026052.html#comments
にも書きましたが


東京都公文書館のデータ
http://www.archives.metro.tokyo.jp/
によると…

東京都内の「帝国*音楽学校」については、3校分の記録があります。

1 大正06年認可 帝国音楽学校 牛込区所在
2 昭和02年認可 帝国音楽学校 荏原郡世田谷町所在
3 昭和14年認可 帝国高等音楽学校 世田谷区所在

なお、
1については、
 認可の記録しかなく、その後不可欠になるはずの「校長就任認可」などの記録がないので、実際に開校したかどうかは疑問です。

2については、
 昭和02年校長就任認可、03年校長事務取扱就任認可、04年と09年に学則変更認可の記録があること
 昭和05年の東京府荏原郡世田谷町全圖をみると後述の代田701に「帝国音楽学校」が記載されていること
 「音楽年鑑」楽報社/昭和03年・刊にも「所在地 府下世田谷町代田七〇一」「校長福井直秋氏…」などと具体的な紹介記事があること
から、実動していた学校であることはまず間違いありません。

3については、その認可前のはずの昭和12年発行の大日本職業別明細図にこの学校の名称が記載されていて、あるいは、事実上この名前を使っていたのを、学則をこれに合わせて改組した可能性もあります。ただ、当時は「高等」という呼び方に今ほどの「しばり」があったわけではありませんので、その程度のことなら、学則変更でも済みそうな気もしますが。

【以上「母家」】

さらに、国会図書館にある
大日本音楽協会「昭和16年度 音楽年鑑」共益商社書店・刊
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109457
をみると、

巻頭の広告では
 昭和7年創立 と学校自体が明記しているのですが…

本文中の記事では
 昭和2年4月創立。幾多の變遷を經て、昭和12年田村虎蔵校長となり…
 (なお、声楽の教授陣中に、民藝運動の柳宗悦の夫人、柳兼子がいます。すでに世界的といってもよい名声を得ていた声楽家ですので、この時点ではかなり「しっかりした」学校だったと思われます)

と、さらに事態がヤヤコシくなります。

いずれにしても Wiki に書かれている、昭和6年設立の「帝国音楽学校」は年鑑のデータを含めても「存 在 し な い」うえ、昭和6年が、いわゆる「節目の年」でも何でもないことになるので、まず、その記述の信ぴょう性自体を疑ってかかる必要があり、そのまんま、それを敷衍してゆくのはやはり危険です。
2:きむらたかし@三田用水 :

2016/08/22 (Mon) 11:19:19

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1471832359.jpg 〔音楽年鑑S16の…〕
広告と奥付
3:きむらたかし@三田用水 :

2016/08/22 (Mon) 11:55:44

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1471834544.jpg 〔音楽年鑑S03〕
「音楽年鑑」楽報社/昭和03年・刊 の方の
記事と奥付

4:きむらたかし@三田用水 :

2016/08/22 (Mon) 12:05:31

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1510029128.jpg 〔「大日本職業別明細図 世田谷区」S12/12刊〕
世田谷中原周辺抜粋
5:きむらたかし@三田用水 :

2016/08/22 (Mon) 12:13:41

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1471835621.jpg 〔「東京府荏原郡世田谷町全図」S05〕
世田谷中原周辺抜粋
6:北沢川文化遺産保存の会 :

2016/08/22 (Mon) 17:22:16

帝国音楽学校の創立が昭和2年4月、とすれば小田急開通を見越してのものだということになりますね。確かにウィキのはアバウトだと思います。

 ネットにはこの学校のことを調べている久保絵里麻さんのことが載っています。彼女には邪宗門で会ったことがあります。(明治学院大学大学院博士後期課程2014年修了 芸術学博士)
第二回研究会で話してもらおうかと言っていたのですが、連絡が取れませんでした。彼女、台湾で発表していますが、後ろに写されているのは帝国音楽院のマーク、それと二階建ての校舎だと思います。http://www.mg-geika.net/act02/conf/01.html

 鈴木禎一については全集があることを知りました。年譜で点検しようと思って目黒区の図書館調べましたが蔵書なし、ところが世田谷区にはありました。まだ見ていませんが。

 東京都公文書館、案外に家から近いところにありました。検索では建物図面もあるようで閲覧したいものです。

 研究会については評判がよく話をさせてくださいという方もおられます。今回の司会だった石坂さんも劇場のオーナーだったことが分かりました。長年、店とか、劇場とか、喫茶店をやっていた人、四五人に話してもらうのがいいかなと。ただ、やっぱり薄謝でも講師謝礼はしなくてはと思いました。
7:きむらたかし@三田用水 :

2016/08/22 (Mon) 21:16:55

〔久保さん…〕
というよりDr.なので「久保先生」ですが、背景のプレゼンを見ると、「[1928-1944]」となっています。

つまり、Dr.久保の認定では、同校は、昭和3年に開校し、昭和19年、かの山の手空襲以前に閉校していたことになります。

それぞれに、↑に書いたものとは異なる史料がないと、そうはならないはずで、それが何なのか、興味深いところです。

【史料といえば…】
都の公文書館のデータチェックは、いわばマストとして
国会図書館には、先にご紹介した昭和16年度版以前の音楽年鑑も、デジタルデータ化され、館内(または提携図書館)限定で閲覧・謄写可能です。
これらを手繰ってゆけば、昭和16年版にいう「幾多の變遷」の経過もトレースできるかと思います。

【PS】
国会図書館の
レコード音楽技芸家名鑑S15
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1056525/211?viewMode=
によれば
「昨年4月学院を学校と改め認可さる。」
とありあります(212コマ左)。

一体どうなっているのやら…。
8:きむらたかし@三田用水 :

2016/08/25 (Thu) 09:54:18

〔こんな…〕

ページ
http://www.shiro1000.jp/tau-history/nazis/nazis.html
をみつけました。

年月日が特定されているので、かなり信ぴょう性の高い資料に基づいていると思われます…
が、Wikiの例もあり、裏どり不可欠。
9:きむらたかし@三田用水 :

2016/08/25 (Thu) 10:25:26

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1472088326.jpg  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 



久保絵里麻「鈴木鎮一と才能教育―その形成史と本質の解明」7-Mar-2014
http://hdl.handle.net/10723/1942


論文本文

http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1942/14/A33_text.pdf

の96ページあたりから、詳細な学校の経緯が書かれています。
(なんと、今津さんの「昔の代田」が参照文献として掲示されています)

おおまかな結論を言えば
「3ないし4つの、『ほとんどまるで別の学校』が入れ代わり立ち代わり代田701の地に存続していた。共通しているのは『帝国』の名前だけ」

画像は、論文97ページの略年表を引用。

PS:Dr.久保は、ヴァイオリニストでもあります。
https://www.concertsquare.jp/blog/2010/2010070518.html
10:きむらたかし@三田用水 :

2016/08/25 (Thu) 17:23:04

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1472122024.jpg ヤヤコシクなってきたのでここまでのまとめです
11:きむらたかし@三田用水 :

2016/09/03 (Sat) 00:13:40

〔柳宗悦夫人…〕
兼子について、こんな論文

高 仁淑「柳兼子の公演活動と朝鮮における民芸運動」
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/3668/KJ00004167265.pdf

を見つけました。

「東京高等音楽学院は,学校の紛糾が起き,東京高等音楽学院と帝国音楽学校に分裂したが,柳兼子は,東京高等音楽学院と帝国音楽学校で声楽を教えることになり,終戦まで朝鮮人留学生にも音楽レッスンを行なった。その時の東京高等音楽学院の出身音楽家が洪蘭披,洪成裕,金元福等であり,帝国音楽学校卒業生が仝鳳楚,羅遅発,孫牧仁らである。」

12:きむらたかし@三田用水 :

2016/09/03 (Sat) 13:39:38

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1472877579.jpg





























[鈴木釣り堀写真]

この界隈で釣り堀というと、森厳寺川の水道道路との交点南のが有名ですが、帝国音楽学校からはちょっと遠すぎませす。

で、あるいは
北澤用水のタマデン山下の西
か?

2か所あったうち、東の方のは河川改修時になくなっていますし、地形的にみても西よりの方のかと。

しかし、何を釣っているんでしょうね。ヘラブナにしては道具が華奢すぎですし、さりとて、ゲンゴロウブナあたりなら何も釣り堀に来なくても、そこいらへんの川でいくらでも釣れたでしょうし。


【余談】
日本の釣り(和釣)に詳しい友人の話では
「釣りはフナに始まりフナに終わる」
と言われていたようです。
で、
「始まりのフナ」がゲンゴロウブナ
「終わりのフナ」がヘラブナ
の由。
 まぁ、ほかにも、「タナゴ釣り」なんていう、気の遠くなるような超マニアックな釣りの世界もありますが。


13:きむらたかし@三田用水 :

2017/04/04 (Tue) 10:47:11

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1491272454.jpg [東京府荏原郡世田谷町大字代田字『吹上』]

旱天には大根畑から立ち上がる砂塵が、降れば降るで雨粒が、校舎に吹き付けていたのでしょう。

http://www.shiro1000.jp/tau-history/reikichi/onngaku.html

の校舎の写真を見ると、出入り口が正面ではなく横を向いていて、風除け室の造りになっています。
 あるいは、後から増築したのかもしれませんね。

【追記】
写真の上端中央やや右に鉄塔の一部が写り込んでいます。この鉄塔は校舎の東にあったので、この写真は、校舎の北面の校庭で撮影されたものということになります。
14:きむらたかし@三田用水 :

2017/08/06 (Sun) 18:36:51

[昨日話題になった…]

「国立音楽院」。

ここ
https://www.kma.co.jp/outline/index.html
(co.jpに注目)によると、最初国立市に開設された音楽教室なので、「国立音楽院」〔経緯からみて「こくりつ」ではなく「くにたち」〕を名乗っているようです。

その開設が昭和42年とのことなので、「本家」の「国立音大」よりはるか後。創立者が「国立」さんだったり、そうでなくても国立市内にあるときは別として、よく「本家」と裁判沙汰にならなかったものです。


15:きむらたかし@三田用水 :

2017/08/16 (Wed) 19:12:37

[下北沢X物語(3336)―第3回研究大会:世田谷代田「帝音」Ⅱ―〕
<http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52050980.html>
の「反例」発見。

「(三)
 久保さんの調べはとても地道なものである。
「台湾に行って帝音関係者の調べをすると例えば、身分証明書みたいなものでもしっかりと保存されているのですよね。日本ではありえないことですよね」
 確かにそうだ、公文書館とか資料館に行くことはある。ところが体系的に整理が行き届いているところは少ない。
 いつだったか図書館の人と話をしたことがある。地域文化を記したものは大切であるように思うが、館員はそういう意識が欠落しているという。オーソドックスなものを図書館が所蔵することが図書館だと思っていると。我らの意識レベルも低いと感じる。」
とあります。

 確かに、我が国の国立「公文書館」には、Dr.久保の指摘のとおり、過去の特定の個人のアーカイブはないように思います。

 ところで、かねてから追いかけている、ブラジル移民、というより「昭和初期からのアマゾン地方への日本人の移住」(なぜ、移「住」というかは説明が面倒なので省略)からみで、国会図書館のデータベースを検索していたところ…

「中野順夫旧蔵アマゾニア産業研究所関係資料」
http://iss.ndl.go.jp/books?rft.title=%E4%B8%AD%E9%87%8E%E9%A0%86%E5%A4%AB%E6%97%A7%E8%94%B5%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%82%BE%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%94%A3%E6%A5%AD%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%B3%87%E6%96%99&search_mode=advanced
というコレクションを見つけました。

 リストを見ると、昭和の初期、ブラジルのアマゾナス州の、東隣のパラ州との境近くに設立された「アマゾニア産業研究所」関係者の、同所に関連する資料のアーカイブでした。

 要するに、ナショナル・アーカイブである公文書館と、ナショナル・ライブラリである国会(立法院)図書館との「仕事の仕訳」が、日本と台湾とで違っているにすぎないわけです。

16:きむらたかし@三田用水 :

2017/11/08 (Wed) 11:42:26

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1510946335.jpg 〔平間声楽研究所〕

既報のとおり、昭和12年版では世田谷中原南方にあるのですが、この昭和10年版「大日本職業別明細図 世田谷」では下北沢の新屋敷953番地(現・北沢3-21-5)あたりに「平間文寿声楽研究所/北沢児童音楽園」があります。
17:クボ:

2017/11/08 (Wed) 13:19:33

下記の記事の件で、誤解があるようなので、書き込ませて頂きます。

2017/08/16 (Wed) 19:12:37
[下北沢X物語(3336)―第3回研究大会:世田谷代田「帝音」Ⅱ―〕
<http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52050980.html>
の「反例」発見。

「台湾に行って帝音関係者の調べをすると例えば、身分証明書みたいなものでもしっかりと保存されているのですよね。日本ではありえないことですよね」

↑この発言の意図は、「帝音」関連資料が資料として納められていたことに対する、いわば感激を述べたもので、
「日本の公文書館等で身分証明書などが保存されていることはあり得ない」という意図ではありませんので、その点は誤解なきようお願い致します。

18:きむらたかし@三田用水 :

2017/11/09 (Thu) 22:56:44

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1510235804.jpg 〔昭和12年当時の帝音の写真〕

別スレッドの「特別展『渋谷駅の形成と大山街道』」の4コマ目でご紹介した…
世田谷区立郷土館で開催中の「特別展 地図でみる世田谷」
の図録中#058
「大日本職業別明細図 索引附住所入信用案内 第三五三号 東京市 世田谷区」東京交通社/昭和12年12月20日発行

この地図の世田谷中原周辺の地図の抜粋は、すでに、このスレッドの4コマ目でご紹介済みですが、
その地図の左上に
「帝國高等音楽学院」
の正面のエントランスを中心に写した写真があることがわかりましたので、転載しておきます。
19:きむらたかし@三田用水 :

2017/11/10 (Fri) 20:48:32

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1512152613.jpg 〔鈴木の釣堀写真〕

「特別展『渋谷駅の形成と大山街道』」で既報の
「大日本職業別明細図」昭和7年版で、件の釣堀写真
http://livedoor.blogimg.jp/rail777/imgs/6/1/6116c31d.jpg
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52026975.html
の撮影場所について、もう一つの可能性が出てきました。
 里俗・ダイダラボッチ川の八大龍王堂の少し下流に「みどり釣場」という名前の釣堀としか考えられない場所があります。
 地図と言っても略図の域を出ない図ですが、素直に見ると代田926と960の中間。学校からは下北沢に向かってほぼ中間地点ですので、けん先生のご指摘通り「学校をちょっと抜け出して」通ってもおかしくない場所です。
 あとは地形的に写真の背景と整合するかなのですが…
20:北沢川文化遺産保存の会 :

2017/11/11 (Sat) 18:51:08

帝国音楽学校からみの会合

沢井さん(古関金子さんの姪御さん)の話を聞く会

 11月17日(金)13:00 邪宗門
 沢井さんの話を聞く会を予定していましたが、先方の都合のいい日ということでこの日に決定しました。
 今のところ四名の参加があります。会場の都合もありますので、参加希望される場合にはきむらけんに連絡をください。

なお、古関金子さんは古関裕而の奥さん、彼女が帝音に入るというので当地に居を定めた。
21:きむらたかし@三田用水 :

2017/11/19 (Sun) 09:34:18

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1511051659.jpg































[帝都地形図]
日本地形社・刊 T11測S22補修1/3000帝都地形図
羽根木+代田接合図 帝音周辺抜粋

帝音だけでなく、八大龍王堂、中原デパート、中原市場、静仙閣、世田谷中原2号踏切など、代田でこれまで話題になったポイントはほぼ網羅できるように切り抜きました。

ところで、駅東方の「春光園」って何でしょうか?地図によっては「春光園売店」がその西にあったことになっていますが。
22:きむらたかし@三田用水 :

2017/11/22 (Wed) 14:57:11

https://bbs5.fc2.com//bbs/img/_847400/847330/full/847330_1511330231.jpg 〔みどり釣場〕

代田926と960の間。ダイダラボッチ川沿いでT字路の下流。
を昭和5年図にプロットすると
代田940~944あたりと思われます。

23:北沢川文化遺産保存の会 :

2017/11/22 (Wed) 15:34:36

上記地図、963に「緑丘」の表示。北沢に住んでいた中村汀女がここに転居する、「やがてほど近い代田緑ヶ丘に居を定めた」(中村汀女俳句集成)と述べている。この地名地図上で見たのは初めてだ。この命名は、土地造成業者によるものが多い、買い手の心をくすぐる。
 砂利場の上に鶴ヶ丘とある。この場所が鶴ヶ丘分譲地だった。やはり土地造成業者によるものだと思われる。

 帝音がらみでいうと世田谷中原逆一踏切が代田吹き上げにいく道となっている。何かエピソードあるはずだ。駅方向へいくと先生に出会うから、はねた連中はこの踏切を多く使っていたように思われる
24:きむらたかし@三田用水 :

2017/11/23 (Thu) 21:36:04

〔平間が…〕

昭和12年当時、下北沢新屋敷に声楽研究所に加え、「北沢児童音楽〔園|團〕」を主宰している一方、

この下北沢新屋敷も学区に含む代沢小学校への浜館菊雄教諭の赴任は、このスレッドで既報のとおり昭和11年、
(「代沢小学校100週年記念誌2」(同校PTA・編,同校創立百周年を記念する会/S550505・刊)p.48)

ですので、両者の間には(協調関係なのか対抗関係なのかなどはまったく不明ですが)何等かの関連があるかもしれません。
25:きむらたかし@三田用水 :

2018/03/12 (Mon) 15:13:32

〔新資料発掘〕

「第一回 帝国音楽学校演奏会」日本青年館(1932 6.14) ほか

https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/41e7ec09136c0a0981bd2a7dfa33f2ee

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