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北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水
2017/01/26 (Thu) 14:13:49
Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水
2017/01/26 (Thu) 22:29:18
とくに、「?」つきのものについては、是非、銭湯の名前を、このスレッドにコメントしていただきたく、お願いいたします。
加えて、どこのでも構いませんので、壁絵
(当然、時期や男女の浴場によって違ってあたりまえですので
・浴場名
は当然ですが
・時期
・男女の別
はお忘れなく。)
とか、番台の看板じいさん、ばあさん、あるいは看板娘(銭湯にに行ったら、同級生の女の子が番台にいて恥ずかしかった、なんて話も目にしますので)とか、脱衣場の面白物などの情報も是非(これも、くれぐれも「時期」をお忘れなく)。
Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - 北沢川文化遺産保存の会
2017/01/26 (Thu) 22:40:04
山の湯について、北沢小の「記念写真集を見たら昭和13年の運動会の写真にお風呂屋さんと煙突らしいひょろっと高いものが写っていました。」と、これは及川園子さん情報。
Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水
2017/01/27 (Fri) 01:36:56
〔唐突に思い出した話ですが…〕
戦前、といっても昭和10年以降だったと思いますが、海綿の需要が大きくなって、南洋から輸入した海綿の加工のために水槽が必要になったとき、日本橋の丸善は、たしか麻布か渋谷あたりだったかの銭湯を1軒買収して加工工場にしたとのこと(出典は、思い出してから、いずれ)。
銭湯を丸々買収するのは大店〔おおだな〕(当時)の丸善ならではでしょうが、一時借り上げるのならそれほどの大企業でなくてもできそうです(貸主のオーナーにしてみれば、その間の採算が合えばよい)。
その場合は、地図制作者からみれば「ただの工場」ですので、銭湯の記号が地図に載るわけはありません。
Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水
2017/01/27 (Fri) 17:29:19
[代澤湯]→[第2淡島湯]でした。
Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - 北沢川文化遺産保存の会
2017/01/27 (Fri) 18:13:50
関連情報
宮前湯 代田1ー37ー3
宝湯 大原1ー1-4
Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水 URL
2017/01/28 (Sat) 02:51:18
〔改訂5版〕
ベースは、推定昭和11年ころ発行の、地形社版「世田谷區詳細圖」
http://www.setagaya-old.com/other-bath1.html
https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=1SyZc0「」AxeepyaPWSp3HDN6XSoScA&ll=35.65964778866135%2C139.6693291242542&z=16
「大日本職業別明細図 311号」東京交通社/S07・刊
各参照
Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - きむらたかし@三田用水
2017/01/30 (Mon) 21:17:35
〔「ヤマノユ」の表記〕
2014/11の解体直前に撮った写真を確認しました。
玄関正面上の表記は「山」「変体仮名の『の』に近い『乃』」「湯」
しかし、煙突の方の表記は「山の湯」でした。
その時々の経営者の趣味の違いでしょうか。
〔2014/11/02撮影:CANON FD17/4〕
ようやく納得 - きむらたかし@三田用水
2017/03/12 (Sun) 21:58:23
〔今は亡き…〕
人文社が復刻・出版していた、地形社の昭和14年版の世田谷区詳細図。
かつて、まだ地番入りの古い地図を入手するのが難しいときに、やむなく入手して使っていたのですが、とにかく判読しにくいのが悩みでした。
今回昭和11年版の地形社発行のオリジナルを入手してわかったのですが、地形社図では、地番が薄い赤色で印刷されていて、それを含めて、強引にモノクロ2色に変換したのが原因だったようです。
銭湯マップ:くずすて湯 - きむらたかし@三田用水
2017/03/15 (Wed) 21:19:04
〔前掲の…〕
地図の「煙突マーク」は、ちょうど今の本多劇場のエントランスのあたりにあります。
ところが、
住宅協会「世田谷住宅地図 1962年版」中「北沢4丁目南部」によれば、「くずすて湯」は、茶沢通りの西、井の頭線土手の南に接する位置にあります。
Re: 北澤+下代田銭湯マップ S16 - 北沢川文化遺産保存の会
2017/03/15 (Wed) 22:04:59
銭湯はすっかりと消えてしまいましたが。こうして図示されると銭湯も当地に密集していたことがわかりますね。下北沢静仙閣アパートの住人も銭湯に行っています。アパートが多いことと寮がたくさんあったことと関連してきます。銭湯も集まっていたというのは文化史の一端に位置づけられますね。