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富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/27 (Sun) 11:29:41























part.1が巨大になってしまったので…

[まずは…]
8月20日発行の町会のミニコミ誌
http://www.city.setagaya.lg.jp/kitazawa/12100/12112/d00138146_d/fil/137.pdf
に投稿した、part.1 の超要約の原稿から。

Re: 富士講 part.2 - 北沢川文化遺産保存の会

2017/08/27 (Sun) 14:12:33

わがまち ふるさと まだ続いているのですか?

なぜかNO3号が手元にある、貴重品なんだ。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2017/08/27 (Sun) 14:18:08

[おおっ…]

区長が大場さん
事務局が「第九出張所」!
(よく住民票をとりにゆきました。なつかしい。)

たしかに、貴重品ですね、これ。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2017/09/12 (Tue) 20:45:16

[今=2017/09/12 20:34]

yahoo auction
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c617613870


「4◆富士山神系御山絵図◆富士講 富士信仰 木版 手彩色 江戸後期~明治初期頃 川口御師 河口湖 浅間神社 神道 北口◆掛軸/古文書/摺物/刷物」

なるものが出品されているのですが…

¥1,000スタートで残り2時間で¥32.500!

富士信仰とか富士講に興味を持っている方がいかに多いのかがよくわかります。

多分4万円超えでしょうから、とても「手が出ません」けど、詳細な画像が多数ありますので、見るだけでも見ておくことをお奨めします。

鈴木金太郎さん - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 04:09:51

先日4月21日の富士吉田行(第138回町歩きのバスツアー)で、鈴木金太郎さんの足跡がまた一つ見つかりましたので、二つに分けて簡単に報告します。(^_^)

◆旧外川家住宅にて
世田谷郷土資料館の「社寺参詣と代参講」に、若林の富士講の一行は富士吉田で御師佐藤出羽の守の宿坊に泊まっていたという記述があるので、矢花さん経由で二日前に旧外川家住宅に質問したところ、外川和美さんが調べてくださって、佐藤出羽の守の宿坊がさるやだとわかった。ただ、その建物は二年くらい前にマンションに建て替えで既に取り壊されて今はないこと、だが、さるやの資料はふじさんミュージアムに寄贈されていることがわかった。

Re: 鈴木金太郎さん - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 04:18:09

先の続きです。

◆ふじさんミュージアムにて
学芸員篠原さんに世田谷の富士講について説明して、さるや(御師佐藤出羽の守の宿坊)の資料で、どこの富士講団体が宿泊していたか文字になったものがあるか聞いたが、資料の整理はまだこれからとのこと。なおも山冨丸平講のことを話していたら、心当たりがあったようで、申請書によってみせることが出来るものがあると教えていただき申請書を書いた。それで別室に額が出てきて、そこに鈴木金太郎さんの名前を確認。御師の家に綿入(どてら)20枚を奉納したという額。金太郎さんの他に馴染みのあるお名前もいくつか。額は昭和10年のもので、北澤八幡の石碑より更に五年後であり、金太郎さんの活動期間がさらに長いことがわかった。

こんな感じでした。

Re: 鈴木金太郎さん - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 12:18:03

先に書いた北澤八幡の石碑とは、富士講関係ではありません。
北澤八幡の参拝道が急傾斜だったので改修工事をした時に、敷石を誰が何枚寄進したという石碑があります。昭和5年のものですが、この時まで公の場に名を連ねていました。地元の名士だったのでしょうね。
鈴木金太郎さんは、少なくとも明治35年から大正9年まで富士講に関係して頑張っていたので、昭和5年の頃は壮年から老年期だったかなと思ってましたが、昭和10年の奉納額で富士講関連の活動をこの時期まで続けていたことが分かり、なんだか五年程雇用延長で頑張っている会社OBの話を聞いたみたいに、微笑ましい気持ちになりました。

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 12:27:34

このブログの富士講 part1の方を見ていたら、認識不足というか一度聴いていたけど忘れてた話なのですが、富士山四合目辺りに山冨丸平講の鈴木金太郎さんの五十度登山の石碑があると書いてあったのに気付いて、またなんだか嬉しくなりました。文献調査が出来るってことは有り難いことですね。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/24 (Tue) 15:07:58

〔「さるや」…〕
見つけました。

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 外「特別展渋谷の富士講 : 富士への祈り〔図録〕」同館/2010.1・刊
p.74 「上吉田地割図」

金鳥居に向かって参道の右手中ほど。

宿場町などに見られる典型的な地割ですね。

間口を狭くして、限られた街区をできるだけ多くの人が公平に使えるようにし(ただし、これは近世の「新田」でも同じですが)、
街路・水路などの「まち」の整備費や用水の水料などの公租公課は、武家の場合は石高割なのに対して、町家は間口割で負担するのが、このころの不文律だったみたいですので、その意味でも合理的。

また、2本の道路の中間に用水を通して、その両側のどちらの家でも水が使えるようにと、限られた土地をうまく使う工夫をしています。

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 20:18:35

まさにこの資料を外川さんに見せてもらいました。出典がわかってよかったです。一目見たときには、白黒でもあったので、町内会の回覧版か何かかなと思いましたけども、立派なものでしたね。(^_^;)

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/24 (Tue) 21:22:04

今回のツアーでは、富士吉田登山道の馬返しまで行きました。早めに動いて時間があったのですが、運転してくれた米澤さんに感謝です。
道すがらたくさんの石碑を見ましたが、一つ一つ見出すときりがないので、山冨丸平講のマークだけに気を付けながら歩きました。
信仰の登山道の零合目です。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/24 (Tue) 22:33:00

>一目見たときには、白黒でもあったので、町内会の回覧版か
>何かかなと思いましたけども、立派なものでしたね。(^_^;)

あるいは、外川さんがお持ちだったのは、この原典にあたる富士吉田市史編さん室「上吉田の民俗」1989のモノクロの図版のコピーで、それに、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の田原さん
http://www.kasetatsuya.com/norivernolife/noriver_nolife_taidan.html
をはじめとする学芸員さんたちが、必死こいてインキングしたのかもしれませんよ。

同館の「̻『春の小川』の流れた街・渋谷」の特別展図録p.16下部の図「明治末期の幡ヶ谷」という類例がありますし。

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 05:52:59

先日4月21日の富士吉田ツアーでは、
山冨丸平講の下北沢​の鈴木金太郎さんと
若林の根岸弥三郎さんにスポットを当てて、足跡を辿りました。

下記の場所・石碑などにお名前が残っています!
これまでの話と重複しますが、まとめとして、3つに分けて記します。

明治5年  根岸家文書 冨士同行日〆帳
若林の一行は富士吉田御師・佐藤出羽守の宿坊に入るとの記述

明治6年  根岸家文書 富士講掛金帳
名主 根岸政五郎さん の後に 根岸弥三郎さん  …政五郎さんの子供?

明治21年2月 若林ピーコック辺りの石碑  
山冨丸平講 若林 扶桑教 根山政行さん 三十三度 
裏に石碑を建てた代表者として 根岸弥三郎さん 

続く

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 05:58:07

続きです

明治35年6月 富士吉田の北口本宮浅間神社の石碑  
山冨講 下北沢 先達 安野梅五郎さん 三十三度 
裏に世話人の一人として 若林 根岸弥三郎さん、下北沢 鈴木金太郎さん

明治44年8月 富士山の山小屋 マネキ
山冨丸平講 四代目 先達 鈴木金太郎さん
若林組 根岸弥三郎さん

大正9年7月 東北沢(池ノ上)の石碑
山冨丸平講 四代目 先達 鈴木金太郎さん 五十度

大正9年7月 富士山四合目あたりの石碑  
山冨丸平講 先達 鈴木金太郎さん 五十度
御師 佐藤

最後に続きます

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 06:08:45

最後です

昭和5年5月 下北沢の石碑  
表面 敷石並社前石段改築寄進連盟 の5人目に 鈴木金太郎さん 
裏面 発起人の7人の4人目にも 鈴木金太郎さん 

昭和10年8月 富士吉田さるや(御師 佐藤出羽の守の宿坊)の奉納額 
先達 鈴木金太郎さん 

以上になりますが、どの資料にも鈴木金太郎さん、根岸弥三郎さん、お二人以外にもお名前が出て来るわけで、それらのマッチングや広がりも、これから益々楽しめそうです。
例えば、東北沢(池ノ上)の石碑と北口本宮浅間神社の石碑に雑色の佐久間兼吉さんのお名前があることなど・・・

米澤さん - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 12:08:34

米澤さんと同行すると、必ずと言っていいくらい、出会いがあります。米澤さんが調査していると、近くを人が通りかかり、その人と話しをすると調べてたことがわかったりするということが、普通に起こります。いわゆる「何か持ってる」人です。
富士山関係ではこれだけ遊んでます。
2016年4月9日 大月で富士山の溶岩をみて盛り上がった後、北口本宮浅間神社で下北澤の石碑を発見。
2016年5月1日 新倉山浅間公園で外国人に人気の景色を見て、月江寺駅周辺を散策&美味しい定食屋 いづみやを発見。その後、旧外川家住宅を見学し加藤信子さんとお話し。最後は帰り道で猿橋も見学。
2016年10月9日 ふじさんミュージアムに行きマネキ・石碑の文献調査。
今年の2月と4月に鈴木金太郎さんのお孫さんと思われる方のお宅を訪ねましたが、残念ながらいずれもご本人には会えませんでした。
ツアー後の4月22日には米澤さんと世田谷郷土資料館を訪ねて武田さん、角和さんにこれまでのお礼や富士吉田ツアーでの発見などをお話ししました。

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 12:48:04

きむらけんさんが、資料館の方のサイトの「下北沢X物語(3505)―霊峰富士:観光の隆盛と信仰の衰退―」の中で、世田谷の富士講は今ではほとんど活動は休止していると書かれていますが、なかなかどうして、大山講の方は根強いものがあるようで、
2016年10月23日に、大山にて大山講の白装束集団に遭遇しました。中には北沢1丁目の方もいらっしゃいました!
今度、会の別宮さんが大山講や御師についての歩く会を案内してくださると決意表明していただいたこともあり、その時が楽しみです。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/04/25 (Wed) 14:25:10

〔中野の雑色村〕

M13測M30修測1/20000迅速測図「内藤新宿」抜粋

part.1の「2016/04/25 (Mon) 11:07:30」に追記した、
中野区の方の「雑色」です。

少なくとも、北澤の地でいう「雑色」は、京浜急行の駅のある「雑色」ではなくて、この中野の「雑色」と考える方が、地理的にも合理的。

現・中野区の富士講についてチェックしてみる価値はありそうです。

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 20:37:13

日本の三大名字の一つ鈴木さん。みんなが知っている昔話の主人公の一つ金太郎さん。では、鈴木+金太郎で鈴木金太郎さんが山ほどいるかと言えばそうでもなくて、むしろ、別々の場所でこの名前に出会ったとしたら、それらは同一人物かなと思う方が自然な流れですね。
でも、このブログの富士講 part1の方では、別人の鈴木金太郎さんもいたみたい
だと。

''ネット見つけました。(http://www.fujiyoshida.net/
二十三(?)夜講 四代先達『鈴木金太郎』の名が。''

面白いですね。

山冨丸平講 - 藤井理嗣

2018/04/25 (Wed) 21:06:24

丸平の由来についてですが、
このブログの富士講 part1の方で山吉講について文献からの引用で、
「山吉講は、渋谷道玄坂の吉田平左衛門という食行身禄の直弟子が?袓、同じ講紋の講社は昭和八年で、渋谷,玉川,三軒茶屋,下谷,寺島,砂町と七講あった」
と紹介していただきましたが、この吉田平左衛門さん。
「吉田から山吉講が名付けられたのと同様に、山冨丸平講の平は平左衛門の平から付けられたのではないかな」との見識を示して下さったのは、世田谷郷土資料館の武田学芸員さんです。
やっと平に巡り会えたと思いました。

Re: 富士講 part.2 - 米澤邦頼

2018/04/25 (Wed) 21:33:22

今は無き、さるや・佐藤出羽守の建物です。
※グーグルストリートビュー2015年7月画像から

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/25 (Wed) 23:13:00

[むしろ…]

気になるのは、お隣の「刑部ふとん店」
(刑部佐渡、左伴定美 屋号:ひだりども)
で、2017年までにリフォームはしているものの、看板は無くなっています。
廃業したのでしょうかね。

https://goo.gl/maps/xS8Lh2fnH2s

Re: 富士講 part.2 - 米澤邦頼

2018/04/26 (Thu) 01:33:19

刑部佐渡さん、現在は、古民家手相カフェ(2016年OPEN)
オーナーの女性は富士吉田出身 旧外川家住宅で案内ガイドもしているようです。こんど行ってみます♪

Re: 富士講 part.2 - 藤井理嗣

2018/04/26 (Thu) 03:23:32

さるやに奉納された綿入れは、この布団屋さんで作られたものだったら面白いですね。石碑についても、世田谷で作って富士吉田に持って行ったのか、富士吉田の石工に発注して作ったのか、興味あります。
今の感覚なら現地調達する所ですけど…

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/26 (Thu) 12:12:07

「古民家手相カフェ」
http://kitaguchiyumeya.com/

屋号は「夢屋」

google street view の最新データで、刑部さんをみたら、小さい立看板で「夢屋」とあります。

https://goo.gl/maps/4ApwRCPFpQr

なお、「ふとん屋」さんは、ここ
https://goo.gl/maps/TcrwaGqpCLM2
にも


Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/04/27 (Fri) 19:44:49

〔石工〕

>石碑についても、世田谷で作って富士吉田に持って行ったのか、
>富士吉田の石工に発注して作ったのか、興味あります。

地蔵とか庚申塔だと、石工の名前も、奉納者のリストの後ろ
に彫ってある例も結構あるのですが、この石碑には見当たら
ないのでしょうか?

Re: 富士講 part.2 - 米澤邦頼

2018/04/28 (Sat) 10:12:21

北口本宮富士浅間神社の下北澤の石碑には石工名は彫られていませんでした。

雑色:佐久間謙吉さん『下落合同志会』に名前があります。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/28 (Sat) 13:03:02

[やはり…]

〉佐久間謙吉さん『下落合同志会』に名前があります。

「雑色」は「中野の雑色」と考えてよさそうですね.

なお、この「ピックアップなかの第40回2014年10月16日~12月15日放送) 」
https://youtu.be/R8t-0DDMuJY
の10分目あたりから、旧雑色村史。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/04/28 (Sat) 17:53:07

〔山冨丸平講〕

は、通常のルールでは、
Step1 まず「山冨講」があって、
Step2 その枝講として「丸平講」が成立した
はずなので…、

まずは、「丸平」の前に「山冨」の方の出自を固める必要があって、それをすっ飛ばして、一気に

〉「吉田から山吉講が名付けられたのと同様に、山冨丸平講の平は平左衛門の平から付けられた」

というのは、仮説としても、かなり乱暴と思われます。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/04/29 (Sun) 03:37:00

〔山冨講〕

part 1でご紹介済みですが

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館「渋谷の富士講-富士への祈り-」〔図録〕同/平成22年・刊

p.14掲載の、1842(天保3)年に、月三講の先達長嶋泰行が田端の妙行喜山に贈ったとされる

紙本着色富士講惣印図
現・北区田端藤三峰講・蔵

右欄上から4段目、右から3駒目に山冨講の笠印があって、どうやら

武州稲毛玉川
 要臧

と読み取れます。

稲毛といえは千葉(総州)を連想しますが、武蔵国橘樹郡に現在の川崎市高津区から中原区にかけてあった稲毛氏の荘園は稲毛庄と呼ばれているそうですので、かの喜多見の山冨丸平講は、いわばその直系に近いのかもしれません。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/04/30 (Mon) 22:34:17

件の石碑の建立当時としては、素直に考えると、一種の「利権」で、当地が聖域とみなされていたこともあり、特定の、あるいは特定の組合などの範囲の石工さんの独占市場だった可能性が高いと思われます(今でも、都内のお寺でも、特定の業者以外は葬儀を設えられない例もあるほどですので、まして昔の彼の地おや」ですので)。

そのあたりの検証には、せっかく同じ人の名前を掘った石碑が彼の地と世田谷北沢とで、2基あるのですから、両者の字体を対比することによって、自ずから結論は出そうに思います。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/05/02 (Wed) 17:28:55

〔中野の雑色…〕

の富士講について、何か情報源がないかと探していたら、Psrt 1で、様々ご教示をいただいた、大谷先達の
「富士信仰研究文献目録(2008)」
http://fjska.sakura.ne.jp/kijilist/index.php?title=%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%96%87%E7%8C%AE%E7%9B%AE%E9%8C%B2%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%98%EF%BC%89&oldid=73
との力作を発掘。

その膨大なリスト中に

00858 中野区民俗調査報告 -- 第2-4次 中野区教育委員会編 中野区教育委員会 1999 2004 第2次:新井・上高田 第3次:青梅街道周辺地域 第4次:江古田・沼袋 東京都中野区の富士講について地区ごとに調査 調査はいずれも牧野眞一→牧野真一

との文献があることが判明しました。

と、いうわけで、かねてから蔵書先を探しているのですが、未だ発見できません。

【追記】

まだ頒布中でした。
http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/403200/d014207.html

どうやら、この
青梅街道周辺地域 : 中野区民俗調査第3次報告
巻あたりかと…

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/07 (Mon) 05:43:05

[両碑の書体対比]

上:上吉田―下:下北沢

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/07 (Mon) 06:04:49

〔資料用に…〕

いわゆる「光線の具合がよかった」ので、下北沢の富士講碑背面。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水

2018/05/12 (Sat) 09:37:54

[富士吉田・幕末ころ]

F.ベアト

道路左右の灯籠から、この
https://goo.gl/maps/jKxHuwdp46S2
あたりかと思われます。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/05/13 (Sun) 13:54:46

〔もう1枚〕

ベアトらが付けたキャプションでは、富士宮近辺とされているが、
横浜開港資料館・編「F.ベアト幕末日本写真集」同館/S62・刊 p.90
の解説によれば、富士の山容から見て、これも富士吉田付近で撮影されている由。

【追記】
よくみると、中央の「お侍さん」の表情が実によいのです。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/05/18 (Fri) 19:47:08

〔お侍さんのアップ〕
一言で表現すれば「昨日、どこかで見かけたような人」ですよね。

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/05/21 (Mon) 23:46:56

[静岡県富士山世界遺産センター 静岡県富士山資料デジタルアーカイブ]

https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/2200575100

現在
富士山にかかわる
・平川コレクション
・小林コレクション
の画像データが公開されてます。

前者が富士に関連の絵はがき、後者が地図を中心とする画像で
静岡のコレクションといっても、

富士山北口全図
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/2200575100/2200575100200020/2_037/
なんてのも3種類ありますし(画像参照)、

笑えるのが
「富士山/大山 道中案内記」
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/2200575100/2200575100200020/2_013/
で、なんと東京方の起・終点が「吉原」

Re: 富士講 part.2 - きむらたかし@三田用水 URL

2018/06/09 (Sat) 10:11:32

〔アーカイブされていることが判った…〕

「多摩川誌」
http://web.archive.org/web/20130105185141/http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/04siraberu/tama_tosyo/tamagawashi/parts/kensaku/mokuji2/01youyaku.html

中、第7編 民俗:第1章 民間信仰:3.2 代参講と山岳信仰
http://web.archive.org/web/20130105185141/http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/04siraberu/tama_tosyo/tamagawashi/parts/kensaku/mokuji2/01youyaku.html
の「富士講」の条に

「富士講の場合は,前述した御嶽講・大山講とはかなり異なった様相を示しており,山岳信仰全体からみても特色ある形態を持っている.つまり,前二者がムラあるいはムラ内部の組織を単位として御嶽山・大山と結び付いているのに対し,富士講の場合は先達と通称される富士行者を中心としてムラを超えて組織されており,元講・枝講の関係がみられること,また先達の超自然的な力が講の盛衰に影響を与えることが多く,必ずしも富士山そのものが講集団の信仰の中核に位置しているとはいえないこと等の点で特色がある.
 流域においては,多摩川の北側,武蔵野一帯に丸嘉講が広く分布し,川崎・横浜両市にばタテカワ講・本一講・丸金講・一山講・山真講・*山富講*・丸伊講などが分布している.」

とあり「山富講」が登場しています。


流石の北斎1 - きむらたかし@三田用水

2018/06/22 (Fri) 21:06:07

〔国会図書館蔵の…〕

北斎「富嶽百景」をみていたら、ものすごい絵がみつかりかした。

まず、その1「不二の山明」

流石の北斎 - きむらたかし@三田用水

2018/06/22 (Fri) 21:08:22

〔富嶽百景〕

その2「不二の室」

流石の北斎3 - きむらたかし@三田用水

2018/06/22 (Fri) 21:11:07

〔富嶽百景〕

その3「辷り」

これ、本編の最高傑作と思います。

【追記】
この絵を見ると、今更いうまでもない「画力」だけでなく、「ほとんどネコ並みの動体視力」の凄さを感じます。

川合 泰代「富士講からみた聖地富士山の風景」 - きむらたかし@三田用水 URL

2019/01/31 (Thu) 10:08:39

〔またも…〕
偶然発掘

川合 泰代「富士講からみた聖地富士山の風景」
地理学評論 Ser. A  2001年 74 巻 6 号 349-366
https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1984a/74/6/74_6_349/_pdf/-char/ja

既知の論文と違い
江戸末期から「ほぼ絶滅状態」となった昭和期までの、富士講の変容を追っています。


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