[Editor's post information]
07:(現・一番街)写真06の撮影位置から南方向を撮影
http://digital-collections.ww2.fsu.edu/omeka/items/show/729
オースティン写真の中央に、薪を背負った男性がいます。
終戦直後とはいえ、市街地で薪というのも、当初は変に思ったのですが、よくよく昔を思い出してみると、通常の「煮炊き」にはまず間違いなく都市ガスを使っていたはずですが、この時代、風呂だけはまだ薪や石炭で炊くのが普通だったはずです。
筆者の体験でも、昭和36年に世田谷北沢の当地に引っ越してくる前、大井町に住んでいたころは、風呂は薪や石炭で炊いていました
・庭の端に薪や石炭の置場があって、「お手伝い」で風呂を焚いているとき、足りなくなるとそこに取りに行った。
・毎月だったか3月に1回だったか「煙突掃除」の気のいいお爺さんが来て、巨大な試験管洗いみたいなブラシで、煙突内の煤を掃除してくれた。ほおっておくと、煤に着火してプチ火事になる由
・日本で民放のテレビ放送が始まったのは1953年だそうですが、たしか、物心ついた1955年ころには、東京ガスが、ガス風呂釜のCMを流していたと、おぼろげながら記憶しています。