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古事記橋という名の由来について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/07/10 (Tue) 19:56:04

 当会に、質問が来ました。
 梅ヶ丘駅近くの北沢川緑道に、「古事記橋」というのが架かっているが、由来を調べたが分からない、それで当会関係者で分かる人いませんかとの質問です。

Re: 古事記橋という名の由来について - きむらたかし@三田用水 URL

2018/07/12 (Thu) 15:48:10

「橋のあたりに『乞食』が住み着いていた」という説が有力だったと記憶しています。

Re: 古事記橋という名の由来について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/07/12 (Thu) 16:26:37

確かに、検索で調べると「うわさ」としてあるとのこと。

 古事記は「乞食」と音は通じますね

 「乞食」といえば、駒沢の「たんち山」、これも「たんちという乞食がおりましてね」という話は地元民から聞きました。ゆかりの寺「長徳寺」の住職からも聞きました。

 古事記橋というのは新しい命名のよう、実際の古事記とはあまり関係がないと判断できます。ふと思ったのは、近くに著名な「古事記研究」有名な誰かがいたのかも、それにしても気になる名前です。

Re: 古事記橋という名の由来について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/07/13 (Fri) 09:36:02

古事記橋についての問い合わせに

 この掲示板を紹介しておきました。つぎのような返答がありました。

「乞食」説は、私たちもちょっと聞いたことがあるのですが、「乞食」からいきなり「古事記」への移行はちょっと乱暴というか、そういう書き替えをするくらいなら、他の名前を探す方が自然だなぁという気もします。
「古事記」研究者がいた、というのはとても興味深い視点で、そうだったらいいなと思います。

 梅丘の古事記橋の由来は?は難解です。
 羽根木公園のすぐそばに橋はありました。根津山・六郎次山などの関係も見当たらないし謎ですね。

 いろいろな考えがでてくるとそこから由来が分かるかもしれません。

 

Re: 古事記橋という名の由来について - きむらたかし@三田用水

2018/07/13 (Fri) 19:33:55

■新編武蔵風土記稿の
世田谷村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763982/5

の件には言及がありませんし、念のためにみた
松原村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763982/56

の件にもありませんでした(もともと、風土記稿には、代田橋、常盤橋といった著名な橋しかとりあげられていません)

また、
世田谷の地名(上)
世田谷旧村古地名集
にも該当の記述はなく、

村尾嘉稜も十方庵敬順も、下北沢村の森嚴寺までは来てるのですが、当地に立ち寄った記述はないので、この種の地誌類からの探求はいわば「お手上げ」。

■と、なると「日本の地名成立の一般法則」に基づいて地名(橋名)の成立過程を考えるほかないようです。

この橋は、「世田谷の河川と用水」末尾の橋名リストによると、大正8年の地形図に掲載されているとのことですし、さらにさかのぼる明治13年の迅速測図でも橋が確認できます。また、この橋のある道は、旧(小)世田谷村の羽根木から元宿(通常の村の場合は「本村」にあたる)に通じる主要道の一つですので*、その架橋は近世期に遡ると考えられます。

*この道は、
天保7(1836)年の世田谷村絵図(世田谷の地名(上)p.219)には記載があるが、
文化2(1805)年の目黒筋御場絵図
https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M2008032520510889502.html
には記載がない


近・現代になって架橋されたのなら、同時に、行政庁などによって、いわば「強引」に命名されたはずですが、かの時代は
・まず、必要があって橋を架ける
・その橋について、地域民が名前を言い慣わすようになる
という順番です。

もちろん、この「言い慣わし」の前提としてなんらかの「縁由」があるはずですが、ここで成立する名前は、音価、いわば略かな表記によるもので、
音価では「Ko-ji-ki-ba-shi」、かな書きでは「こしきはし」です。

つまり、今の橋の名前が「古事記橋」なのは、後世つまり近代になって、この「こしきはし」に漢字を当てはめた結果にすぎないわけで、この場合、古来より「できるだけ目出度い」あるいは「きれいな」文字を当てはめるのが、いわば「鉄則」ですので、「乞食橋」の文字を当てることは「あり得ない」。

つまり、地名の縁由がたとえ「乞食」であったとしても、近・現代表記では(他に適当な選択肢もないので)「古事記」になったはずです。

■結局、残る問題は、当初「こしきはし」との地名を成立させた「縁由」が、「古事記」だったのか「乞食」だったのかにあることになります。

地名というのは、地域の人たちの中で徐々に言い慣わされ、それが地域の共通認識となったときに成立するものなので、そもそも、「古事記」が共通認識の基盤となるほど認識されていたのかは、極めて疑わしい。

もちろん、村役人と呼ばれる名主、年寄、百姓代といった人たちや、学問好きの豪農といった知識階級の人たちは、常識としてわきまえていたと思いますが、一般庶民にとってはせいぜい「神代のことが書いてあるとかいう本」という程度でしょうから、そのような本の名前が、地名成立の前提となる地域民の共通基盤には、まずなりえなかったでしょう。

古事記について「小学生でも少なくとも名前だけは知っている」現代の常識で、近世を推し量ることには無理があります。

Re: 古事記橋という名の由来について - 北沢川文化遺産保存の会

2018/07/13 (Fri) 20:47:35

まず、この問題を当会に寄せられた人が、ここで話題にして頂いたことに感謝するとのこと。確かにそうですね、個別の橋の問題だが、その背景には何かの意味があると共有できてきた点はとても良かったと思います。

 地名は地域の鏡だと言えます。橋の名前にせよ、一旦つけたら末代まで残る。乞食は避けたということはありますね。良き名をつけよ、古代以来の習慣ですね。

 古事記なのか、乞食なのか、大きな問題提起となったことは確かです。
 
 質問された方がこの掲示板を確認されたとの返答、興味を持っておられる方がまた書き込まれると面白い、それが一つの真実に行き着くかもしれません。乞、投稿を……。

 

Re: 古事記橋という名の由来について - きむらたかし@三田用水 URL

2018/07/28 (Sat) 13:38:01

[「乞喰橋」発見]

栃木県公報2531(H25/11/15)号p.888(pdf p.2)
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9877699_po_teiki2531.pdf?contentNo=1&alternativeNo=

掲載の、栃木県告示580号の保安林予定地のリストの中に
「大田原市大字北滝…字乞喰橋1345,1355」
との記載がありました。

水源涵養保安林に指定されようというのですから、山の中のそのまた山の中のような場所のはずで、そのような場所に、古事記研究家はもちろん乞喰すら住み着いていたとは思えないのですが。

Re: 古事記橋という名の由来について - きむらたかし@三田用水 URL

2018/07/28 (Sat) 14:38:38

[御府内中の御府内の「乞食橋」]

江戸府内それもその中心地の一つ神田に乞食橋がありました。
http://sannpo.iobb.net/wp-googleearth_e/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E5%8C%97%E3%83%BB%E5%86%85%E7%A5%9E%E7%94%B0%E3%83%BB%E4%B8%A1%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%B5%9C%E7%94%BA-2/%E4%B9%9E%E9%A3%9F%E6%A9%8B%E7%99%BD%E6%97%97%E6%A9%8B

神田駅すぐ南のほぼガード下。
案の定、明治になって「白旗橋」と改称されたそうですけど。

地図は
「俚俗江戸切繪圖 内神田・鍛冶町・柳原迄」
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/2155422-09.html
右上部分抜粋



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