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世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水 Site
2017/07/30 (Sun) 15:15:53
[母家の…]
下北沢X物語(3329)~会報第133号:北沢川文化遺産保存の会~
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/52050182.html
の「2」の末尾に
「アイスが溶けない距離にあった帝音御用達のお店はどこか?情報求む。」
とありましたので、戦前の当地の地図にあたってみました。

まずは「グラフせたがや」41(H03冬)号p.34の
「昭和10~15年頃の中原商店街/海老沢昭一さんの記憶による」と題する地図

 有名な「ビリヤード店」も載っています。

 和菓子屋さんはあるものの、洋菓子屋さんはないのですが、この中で「アイスクリーム」を贖っていた可能性が一番高いのが「牛乳屋さん」です。

 すでに、お店を閉めて、かなり凝った看板建築の建物も建替えてしまいましたが、池ノ上の小清水牛乳店さん(邪宗門さんにも卸していた由)。お店の正面から右半分は、椅子とテーブルのあるミルクホールの設えになっていて、かつては、アイスクリームを自家製し、夏はかなりの売り上げだったと、うかがったことがありますので、この中原の牛乳屋さんも同じようなことをやっていて不思議はないことになります。



Re: 世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水
2017/07/30 (Sun) 15:36:33
[さらに念を入れて…]
かの「今津マップ」(出典は地図中)を引っ張り出してきました。

この近辺に洋菓子屋さんがないか?
もう一つは、炭屋さんがないか?
炭屋さんが夏の間は氷を扱っていた例は多く、たとえば、高女とか家政学校出のお嬢さんが、婦人雑誌に載っていたレシピでアイスクリームを作っていた、というパターンも考えられなくもありませんので。

「アイスクリームの溶けない距離」となると、今もある宮川鰻店さんあたりまでか、と思うので見てみたのですが、この範囲では洋菓子屋さん炭屋さんともに見当たらず(宮川さんの2ブロック北に「鈴木炭屋」というのがありますが、学校から少し遠すぎるように思います)。

結局、前出の図にもあった「興真牛乳屋」が一番可能性が高いといえます。

あと「それらしいハイカラな店」としては、レコード店が1軒にパン屋が2軒ありますが、これらは、帝音というより中原の土地柄自体の影響かもしれませんね。
Re: 世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水 Site
2017/07/31 (Mon) 13:39:07
[「スマックアイス」とは何ぞや]

「スマック」とは smack という英語起源のコトバらしく、
こんなの
https://www.pinterest.jp/pin/360358407654424168/
もあるので、広くは、

coated (by something)

という意味のようなのですが、

アイスクリームに関していえば、いわば狭義に

チョコレートでコートされた(×主としてバーのついた「アイスキャンデー」×)
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/864/meaning/m0u/

のを指していたようで、

團伊玖磨の「パイプのけむり」の中に

「アイスクリームは、嫌いだとおっしゃりながら、スマックのことを細かな歴史など3代の経営者のエピソードを織り交ぜながらアイスクリームについて蘊蓄を傾けておられた」由
(該当の原典未確認。何分相手が膨大なので、愛読者でもないと該当部分を短時間で見つけ出すのは難しそう)。
http://www.tasc.or.jp/~pipedan/other/newpage91-20.htm

(【追記】
http://www.tasc.or.jp/~pipedan/other/newpage250i.htm
によれば、18巻#25p.148の由)

かつては「スマックアイス」を製造していた「東京スマック」という会社があったことは確からしく、そうなると、工場製品で、しかもチョコレートでコーティングされていれば硫酸紙なりセロファン紙の袋に入れて配送も手軽にできそうななので、販売用の保冷ケースさえあればどの店でも売れることになります。

と、なると、中原商店街でいえば、和菓子屋・パン屋さんはもちろんですが、タバコ屋さんでも可能でしょうし、また中原市場の中の6軒のうち菓子屋(他は、魚屋、煮豆屋、八百屋、乾物屋、肉屋)でも販売可能ということになります。

興真牛乳屋さんは、もともと冷蔵庫を持っているのが強みですので(牛乳については、昭和2年の警視庁令によって、牛乳が搾乳直後から消費者に届くまで、殺菌工程を除けば、終始その温度を摂氏 10 度以下に維持することを要したので、牛乳販売店に冷蔵庫は不可欠)、依然第一候補ではありますが、もう少し手広く調べてみる必要がありますね。
Re: 世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水 Site
2017/07/31 (Mon) 15:37:38
[「東京スマック商会」捕捉]

なんと、びっくりする資料中にありました。

東京都城南工業用水源小規模地域調査報告 : 関東西部地域調査第6報 p.20
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9615487_po_09-08_02.pdf?contentNo=1&alternativeNo=

所在地は、
東京都品川区北品川4-626

これ、国会図書館で検索して出てきたものなのですが、どっかで読んだ資料と思っていたら、数年前から、三田用水
https://mitaditch.blogspot.jp/
の関係で、何度も見ている資料だったのです。

Re: 世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水 Site
2017/08/01 (Tue) 08:12:42
東京都品川区北品川4-626

は、地図の青丸の場所。大崎駅近くですが、三田用水の末流が流れていたり、結構面白い場所です。。

Re: 世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水
2017/08/04 (Fri) 18:26:09
[スマックアイス]

またも、手持資料の中から「お宝(?)」情報が。

西川勢津子「思い出万華鏡」SCC/2002・刊

「…横浜駅には丸い棒状のアイスクリームにチョコレートを巻いた「スマックアイス」(*3)というのが、折り箱入りの二倍の値段で十銭[※後記引用者註参照]でしたが、それはそれはおいしかったものでした。」p.71

で、文中の註「(*3)」はというと…

「*3 スマックアイス 薄いチョコレートに包まれたアイスクリーム。現在でも日本ではこの形のアイスクリームを総称してアイススマックと呼んでいるが和製英語」p.72

とありました。

※引用者註
 最初は趣旨が読み取れかったのですが、
  当時の「普通のアイスクリーム」(おそらく、今のラク
  トアイス・クラス-α)が『折箱』に入れて売られていて、
  その価格が一般的には「5銭」だったのに対し、多分乳
  成分が多かった『スマックアイス』は、その『2倍の10
  銭』だった
との意味かと解釈しています。

 先の、「工業用水…調査」は三田用水関係
https://mitaditch.blogspot.jp/

 今度の西川著作は、海外植民學校関係
https://edcutokyo.blogspot.jp/

の史料としてキープしてあったもの。

 どちらも「地域資料」というほどエリアが限定されているものではないのですが、いやはや、ここまで「かぶる」とは…。
Re: 世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水 Site
2017/08/05 (Sat) 04:46:48
[推理小説の…]
皆川博子「倒立する塔の殺人」PHP文芸文庫
に、こんな件がありました。

「幼いころ、母が銀座に買い物に出たときのおみやげは、円筒形の厚紙の容器に入った《スマック・アイス》だった。直径三センチ長さ十センチぐらいの筒型の、とろけるようなアイスクリームの外側を、紙のように薄いはりはりしたチョコレートで巻いたのが、ひとつひとつパラフィン紙にくるまれて、六本ぐらい詰まっていた。ドライアイスで冷やしているので、チョコレートは、霜でうっすら白かった。」

図は、6本入りパッケージの想像図

Re: 世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水
2017/08/05 (Sat) 23:24:52
[今日の…]
Dr.Eriaの講演後の、参加者によるディスカッションの中で、当会会長で、「しなのや」の長井社長から、びっくりする発言が。

世田谷中原駅前で堀之内道の小田急踏切際にあった中原市場の中の6軒、つまり菓子屋、魚屋、煮豆屋、八百屋、乾物屋、肉屋のうちの1軒、確か「乾物屋」さんが、現「しなのや」の前身とのこと。
Re: 世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水 Site
2017/08/06 (Sun) 08:38:23
[ここ…]
「明治・大正・昭和の写真」中の
「1936年(昭和11年)。東京の大衆食堂の様子」
https://twitter.com/polipofawysu/status/878223136952647680

土門拳の作品とのことですが、壁の品書き中に「アイスクリーム スマック」とあります。
Re: 世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水 Site
2017/08/08 (Tue) 19:34:04
〔困ったときの…〕

jstage の、こんな
関 武雄, 可児 利朗, 元山 正「市販アイスクリームの成分検査について(第6回日本薬学大会公衆衛生部会研究報告)」公衆衛生年報 Vol. 1 (1953) No.1 pp,41-43
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhs1953/1/1/1_1_41/_article/-char/ja/
論文の中に「スマック」を発掘しました。

 昭和27年当時の「俗称・アイスクリーム」の成分分析のリポートなのですが、「スマック」は♯15としてその対象になっています。

 興味深いのは
・昭和03年の調査結果との対比
  スマックを含むかは不明だが、S03当時、乳タンパク質
   0.0~1.0%の「安物」   が1個 5銭
   1.1~2.0%の「やや高級品」が1個10銭
  (p.42)と。西川氏の記憶どおりだったことがわかる。

  また、S27当時の「俗称・アイスクリーム」の価格は
   最高60円(♯12)
   最低10円(♯18)
   なのに対し、スマックは
     30円(♯15)
  なので(p.43「第4表」)、依然「中級品」の面目を
  保っていたようである。

・昭和27年当時は、「氷菓子」(いわば「アイスクリームもどき」)と「冷凍乳菓」(同「当時の定義でのアイスクリーム」)との境界線が、乳脂肪分「たったの3%」だったこと
など。

 その他、今後の懸案としては
・#15のスマックの成分が、乳脂肪分は比較的低いのに、タンパク質成分が結構高い理由の分析が必要らしい
  【追記】もしかしたら、脱脂粉乳をかなり多用していたの
      かもしれません。
      あれ、当然脂肪分は少ないですが、タンパク質は
      残りますし、なによりも「妙な甘さ」がありますので。
ところにあります。

 いずれにしても「アイスクリーム」の基準が、今とは全くちがい、「スマック」も今の基準では「ラクトアイス」。「アイスクリーム」には勿論「アイスミルク」の基準にも及ばないかもしれません。
 ただ、デンプン、ゼラチンといった「詰め物」というか「増量材」が不検出というところに「ウチは、そんじょそこらの戦後勃興したメーカーとはちがうんだ」という「老舗の矜持」を感じます。



Re: 世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水 Site
2017/08/08 (Tue) 21:46:19
東京スマック商会 創始者 伊藤桂藏

交詢社「日本紳士録 44版」同/昭和15年・刊
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127298/52
Re: 世田谷中原のスマックアイスクリーム - きむらたかし@三田用水 Site
2017/08/10 (Thu) 18:17:53
[どうやら…]

「津村節子自選作品集,第1巻」岩波書店/2005年・刊 の111ページ辺り に、こんな
「私がドライアイスというものを初めて見たのは東京に転居してからで、当時スマックアイスクリームという菓子があった。筒状のアイスクリームをチョコレートで包み青い模様の躐紙のような紙で卷いてある。ミシン目の…」
記述があるようです。

「筒状の」の部分と「躐紙のような紙で卷いてある」の部分は、先の「皆川博子『倒立する塔の殺人』」と整合していますので、これらについてはまず間違いなさそうですね。