〔このBBSの…〕
【本家】Web東京荏原都市物語資料館
中の
下北沢X物語(1267)~「鉛筆部隊」の64年の軌跡
http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/51462670.html
に、この列車に乗った疎開児童の一人である、立川裕子さんが、北沢の両親に宛てた手紙が引用されているので、この手紙と、前記のダイヤとを照合してみることにしました。
「ときどき汽車がとまりましたがほとんどとまりません。」
従前から不思議に思っていたのが、この記述でした。
あるいは、貨物列車のダイヤでこの列車を走らせたのか
とも思っていたのですが(その場合、編成上、貨車の入
替〔牽いてきた貨車の切り離しや、その駅からの新たな
貨車の連結〕の必要がない駅では、列車を停車させず、
その先の決められた駅で、反対方向の列車との交換〔す
れ違い〕や、後続の旅客列車に追い抜かれるために、余
った時間停車することになる)、今回時刻表をみて理由
がわかりました。
この疎開列車に先行する定期旅客列車である403レは、
八王子・甲府間は、今でいう「快速運転」で、大月を発
車後は、笹子、塩山、日下部にしか止まりません(とく
に、停車と再発車に時間のかかる、スイッチバックの初
狩・勝沼は通過)。
疎開列車が、これに少し後れて、いわゆる並行ダイヤで
運行されていたとすれば、帝都線(現・京王井の頭線)
や、小田急線(の、稲田登戸(現・向丘遊園)間の近郊
区間)といった、いわゆる郊外電車に乗りなれている
「都会の子」の目からみると「なかなか止まらない列車」
ということになるようなのです。
「私が目をさましたのは四時すぎでした。…だんだん日がさして行くにつれてそこらのけしきがはっきりとして来ました。(こうふ)に着くとうすうすとそこらのけしきがみえました。」
ダイヤの赤縦線のとおり、8月10日前後の甲府での日
の出は、午前5時ころ。
盆地ですので、すぐには日が差さないでしょうから、推
定される甲府の着時間5時20分(のおそらくやや過ぎ)
には、ちょうど「うすうすとそこらのけしきがみえ」る
頃合いではないかと思います。
「すわ湖も見えました。すわ湖のまわりにいっぱい家もありました。」
立川さんも、濱舘先生のいう、窓に顔を鈴なりにしてい
た一人だったのでしょう。
「着いたのは十時か十一時ごろだと思ひます。」
この点は、濱舘先生の記述から10時と考えてよいでしょ
う。
引率者の一人でしたので、当然旅程は十分に把握してい
たはずですし、あるいは、執筆時も、当時のガリ版刷り
の旅程表とか日誌を保管していた可能性もあります。